おいらも、遊んでも遊んでも遊び尽きない、そんな釣り遊びを思う存分楽しみたいものだわい!!!!!
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このブログのすべては、個人的なメモ帳、そのものです。(~不定期更新、毎月1日にチャレンジ中)
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①雑感~事に逢(あ)えば心を生じ、事すぎればまた無心(荘子)
次のことは、最近、読み込んだものの中から、『仏教の真実』(田上太秀、講談社現代新書)、について、けっこう、沢山、そして、物凄く、興味を引いた箇所を、少し、抜粋し、編集し、引用しているものです。
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<予備知識>
正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)・・・(『大辞林 第三版』)
① 語意
真理を見通す知恵の眼によって悟られた秘蔵の法。
② 書名
・宋の大慧宗杲(だいえそうこう)の法語を侍者沖密慧然が集録した書。六巻。1147年成立。
・道元著の法語集。1231~53年にわたるもので、八七巻、また九五巻とも。禅の本質・
規範を述べた曹洞宗の根本経典。永平正法眼蔵。
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まちがった日本仏教の風習~「火」、「水」、「数珠(じゅず)」、そして、「仏像」~
その2 「水」 ➮ 釈迦(しゃか)は水で身を清める行事をしなかった
古来、洋の東西を問わす、宗教儀礼や修行には水が神聖視されており、水で身も心も清めようとする願いがあったことは周知のことである。(・・・)
これを宗教的な雰囲気の場所でおこなえば、祈願が達成できるという意味付けがなされる。(・・・)
滝に打たれて荒行をおこなう人がいる。
暑い季節ではさほど苦行とは思えないが、寒い冬に滝に打たれるのはよほどの決意がないとできない。
いわゆる苦行である。
これは神仏に祈願する時に水でけがれを除き、心身を清めるという修行で、水垢離(みずごり)と言われる。
海水を浴びておこなうこともあり、これは塩垢離(しおごり)と言われる。
わが国では神社の鳥居を入ると社殿の脇で手を洗う風習、すなわち水垢離の風習がある。
体を洗浄することはできないので、簡単に手のひらだけを洗って済ませている。
また、大きな寺院には池がある。
これはインドのヒンドゥー教寺院の脇にある温泉(沐浴場)に入り、体を洗浄して寺院に参詣するという風習を受けている。(・・・)
密教では灌頂(かんじょう)と言って、水を頭に注(灌)ぐ儀式が行われている。(・・・)
密教以外の仏教寺院でも得度式の折に出家僧に水を注いでいる。
この水を注ぐのには身を清める意味があるが、仏教本来の儀式でない。
これも水垢離の意味を持つ。
修験道では水そのものを大日如来と信じていて、水で体を洗うとか川で沐浴するとかすれば成仏すると説いている。
これも水垢離の意味を持つ。
わが国の禅宗の(・・・)道元(・・・)は『正法眼蔵』洗面の巻でつぎのように述べている。
身心を洗浄して香油を塗り、塵垢(じんく)を除くことが第一のブッダの教えである。
このようにすることで体の内外ともに清浄となる。
さらにこのようにすることで体を構成する五臓六腑(ごぞうろっぷ)も清浄となり、消せなかった悪性の罪も洗い清められる。
この考えはじつは『法華経』の経文を引用して解釈したのであるが、引用した経文は『法華経』の原文とは異なっているので、道元独自の考えである。
つまり、『法華経』には水で罪が洗浄されるとはどこにも説かれていないのである。
では、釈迦はこのような水垢離の風習についてどのように考えていたのだろうか。
釈迦は(・・・)、心の罪や垢は水では洗浄できないと、お経(相応部経典、七、二十一、サンガーラヴァ経)で教えている。(・・・)
釈迦は水を浴びて身を洗浄しても日頃悪行の垢は洗い落とせないと言った。
人の道を踏み外さずに、己の心を律して生きること、悪行をしない、善いことをする習慣を身につけることで人の身心は清められると教えたのである。
(以上、『仏教の真実』田上太秀、講談社現代新書)
ひとは水によって清らかになるのではない。
真実と理法とをまもるひとは、清らかである。
(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元約、岩波文庫⇐『仏教の真実』から孫引き)
なあるほどね。 (^_^)
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②竹田青嗣・西研のヘーゲル解読 11+α
今号は、お休み、にさせていただきます。 (・Θ・;)
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③遠投浮き釣り一文字釣法 2+α
今号は、お休み、にさせていただきます。 (・Θ・;)
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それにしても、書きとめておきたいこと、それは、春一番が招いた新しい季節のこと、そう、今年もまた、いよいよ、釣り遊びの前半戦の本番が始まるのだ、そう言えば、若い時分に、何処かの誰かさんが、「人生は、趣味とサムマネーが肝心金目(かんじんかねめ)のこと」、なんぞと諭(さと)してくれたものだが、おいらも、そんなことを大義名分にして、ついに、とうとう、やっと、遊んでも遊んでも遊び尽きない、そんな釣り遊びを思う存分楽しみたいものだわい、とまあ、そんなことなのさ。
テヘツ。 (*´ω`*)
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ありがとうございました。 m(u_u)m
(なお、手前勝手ながら、パワー欠乏のため、ペタ交換中断中、ごめんなさい。 m(_ _ )m )