2017年1月
2017年1月第一週、妻が薬を飲み始めて約一週間、経過観察のための診察があった。薬の効果があったのか、検査画像上、右肺の原発巣の影は少し縮小したように見えた。腫瘍マーカー値も正常範囲内ではないものの年末より低下していた。医師によると副作用も想定よりも軽度(随分軽度って、酷い場合どんなことになるんだ・・)だとのことであった。1月23日に診察し、薬の効果が見られ、副作用も想定内であれば正式にこの薬で治療を続ける判断ができるとのことで、その判断を確認し、東京での治療に切り替えることに決まった。
1月第二週、僕は息子と母を連れ、東京に戻り、妻と娘と離れての生活が始まった。
毎日ビデオ通話で妻の様子は確認していた。副作用は相変わらずだったが、薬の効果があり、咳は殆どなくなっていた。
以前書いた通り、玄米菜食の経験もあり、12月に読んだ本(ナナメ読みも入れて50冊程度)の中で、東城百合子氏のものが一番腹落ちしていた。食事療法については東城氏以外の書籍もいくつか読んだが、何かを摂取しない、何かを大量に摂取する等、少し極端で(少なくとも僕からみると)不自然なものが多かった。まずは個人的に体調が改善した実績のある玄米菜食に近く、直感で良いと思った自然療法を学び、妻が東京に戻るまでの間、自然療法(食、手当等)を実践できる環境を整えることとした。
玄米ご飯を美味しく炊き、出汁からお味噌汁を自分で作れるようになるということを目標とした(レベル低)
まず食材集め。玄米は無農薬、無化学肥料のもので、加えてなかなか見つからないのだが、最も原種に近いと言われるササニシキを探した。
玄米は体内の不要なものを排出する作用があるとのことで、体自体を整えることは勿論、薬の蓄積を防ぐことができるのではないかと考えた。また花粉症が改善した経験からも体から不要な物を輩出し、乱れを整える効果があるのではないかとも感じていた(花粉症は体が乱れ、本来無害の花粉を異物として体が誤認し、反応するものだと思っているので)。
一週間二週間たち妻の咳は殆ど出なくなっていたが、皮疹は顔にも増え、表情は病的だった。妻も無用な外出はしたくないと言い出していた。
東京に来ている僕の母はというと、丁度息子の授業参観があったり、マラソン大会があったりで、普段一緒に生活していない孫との結構東京生活を結構満喫していた。
東京に戻ってから僕は妻が帰ってくるまでに厳格な玄米菜食を約一か月実践し、自分の体で結果を確かめようと思っていた。前回の玄米食から少し体重戻しており、一月初旬の体重は78㎏、その後厳格な玄米採食を実施した。朝は夕食からの間隔を空けるべく薬草茶(ビワ茶、番茶、スギナ茶等の独自ミックス)のみ、お昼は玄米おにぎりを持ち歩き、外出先でも公園のベンチ等でよく噛んで食べる、夕食は玄米ご飯にすり黒ゴマ、梅干し、お味噌汁というサイクルを回した。すぐに毎朝快便となり、体が軽くなった。その結果、1月末の体重70㎏、寝つき、目覚めも良い、鼻の詰まりもなし、体調は良好だった。
そうしている間にすぐに妻を迎えに行く23日となり、僕は一人妻を迎えに関西に向かった。関西の大学病院で最終確認の検査は僕も同席しようと病院で待ち合わせ検査に臨んだ。結果は変わらずだったが、ジオトリフは続けられるということで、正式に東京での治療を開始できることとなった。その医師から東京の自宅近くの総合病院の呼吸器内科に紹介状を書いて頂いた。
娘との久しぶりに再会し、もう一刻も早く東京に戻りたくて、文字通りとんぼ返りでその日の午後明るいうちに東京の自宅についた。僕の母には生活が落ち着くまで数日居残ってもらうことにしていたので、東京に到着次第準備してもらっていた玄米菜食が開始された。