「火垂るの墓」
を見たときふと思った。
これ、草太兄ちゃんが悪いんじゃねーの?
おばさんとこ抜け出して野宿とか無理でしょ!!
と子どもの頃に見たときから思っていた。
近年その理解が支配的になりつつあるが、
当時そんなこと言おうものなら
「戦争のー」「残酷なー」「戦争肯定する非国民ー」
だの言われそう。
かわいそうだとおもわないのか!って言われたけどさ。お兄ちゃんの責任はある、というとたいてい
「なんて不謹慎なヤツだこいつ!」
みたいな目を向けてくる。
けっ!!エラそうに!
かわいそうっておもってるよ。モチ。
かわいそう、と思わないほどマグロではない!ただ、それとコレ(妹を護るための選択をする責任)を一緒にしてはいけないよ?感情と理論は分けて冷静に見ないとね♪(自分のことになるとテンパるワリに上から目線でエラそうに言ってみた)
かわいそうにおもう自然な気持ち・感情につけ込んだ扇動教育は、ゲスにもほどがあると思う。「火垂るの墓」はこれに利用されていたこともあり、個人的に好みでもない。べつに高尚だからすきになる必要もないけどさ。
真意は別にあっても、あったとして、見た人のほとんどが真意のソレと違うこと受け取ってた。じゃあ真意が伝わる演出しろよ、わかるように撮れよ、ということである。アレの真意はホントはこうなんですー!と説明をしなければあぁ!とならない物語なら何について書いた物語になんの?
マニアによる解釈?企画の一案?しかないじゃん。
ちがう?
あ、そうだ。ここで、
今日1番言いたいことかいときます。
子どもだとか、レディネスのできていない者に対して、「火垂るの墓」のように極限状態の恐怖や怯えや悲しさなどの負の感情を抱かせると同時に反戦を掲げて、反権力、反体制の思想を一方的に植えつけるやり方は洗脳である。卑怯で人道において最も蔑むべき手法。
火垂るの墓が好きじゃないのはこの洗脳教材としてのイメージが強いからでもある。
共産思想が好きな奴らがまねていることは、そのやり方が非常に強い影響を与えた実績のあるもの、いうこと。
唯物主義に感情の話をしても伝わらないだろうが、主張だけはしておかなければイカンとおもう。
沈黙はすべてを受け入れること。
こんなの許せない。許しちゃいけない。
こういう「刷り込み」を、子どもにしちゃいけない。
歳を食ったからかな。
いまはこころからそう願っている。
どうか感情に付け込む矯正は子どもにしないであげて下さい。お願いします。
僕は子どもいないし今後関わることももうなさそうなのであなたに、どうか頼みます。
「火垂るの墓」って(好きなヒトのことを知らないけど)少なくとも自分は何度も見返したい気持ちになる映画じゃないんよ
辛気くさい!
ムダに長い!
だからテレビ放送しててもみない。ちょっと見てもすぐに替える。見ない。まぁ、実を言うとはじめに見たとき以降きっちり見たことはないんだけど。
おまえは毎年夏の金ローで見たいのか?
おれは見たくない。
辛気くせぇのは大っキライだからな!!
「火垂るの墓」の放送のたび思っていたことがある。
いやいやいや、戦争なんてみんなかわいそうだったんじゃん。火垂るの墓はその辛い日々を耐え切れずアニキが逃げたので余計悲惨になってたんやん。
そういうつもりじゃなかったとしても(アニキが妹を巻きこんでいるので)堪えられなかった、そうた兄ちゃんがわるい。
何がって?わかるでしょ、
決定的な分水嶺は、「おばさんのとこを逃げた」こと。
野宿生活でせつこがビチビチになって窮地に陥った際に、
『すんませんした、無理でした。妹がアカンですのでどうか助けてください』と頭下げておばさんとこに戻るなり(コレが正攻法だったと思ってる)
医者にも見せれたんだし、畑もあったわけで、空襲の前の社会システムは機能してたようだし、医療施設は機能してたわけで。入院させるなり施設に入所させるなり、まったく対処できない状態ではなかった。
オトナからの自由を優先して、穴の中から出ることをしなかった。守るべきせつこはビチビチになり死んでいった。それが無念なのか逆恨みかしらないが自分もなんか成仏せずに駅で地縛霊?になって街の人をずーっとにらむようにしてる(昔の記憶だし、わざわざ見直すつもりもないから違ってたらスマン!)
20年くらい前、24時間テレビだったかな?
火垂るの墓の放送の後のトークで関根勤さんが言った!ついに正論をはなったのである。ここに歴史的瞬間が訪れた。
「これ、絶対お兄ちゃんが悪いよね!」
Q.E.D.
そうた兄ちゃん、ってずーっと書いてたけど、
そうた兄ちゃんは「北の国から」でした。
名前まじで思い出せん!こうた、けいた、なんとかいた?だった気がする。どうでもいいからそうたのままなおしません。