おはよございます。

朝早くから起きてるというのはおそらく調子がいいのだとおもう。なのでこないだから思ってたことを、端的に書いてみたいと思う。



何度か書いているが、誰も読んでないにせよこのアメブロには感謝している。誰も読んでないというのは問題ではない。自分のようなコミュニケーションが苦手なものほど大切だと言うことがわかった。


何か自己の思っていること、自分の頭の中にあることを自身や他者に意味がつたわるよう、体裁を整えて書くことは非常に自身の思考力に成長をもらたすことを実感したから。


「何かしら書き手の思考を反映している文章」を客観的な視点で読む自分に対して、または(読まれることはほぼない、とても低い確率で目触れられることが無いとしても全く接点のない)他者に対して、何か書くこと。


コレは個人がノートや自身のデバイスに書く「日記」に比べ「アップ」するという点が大きな違いを産むと考える。


「アップする」ということは読み手を存在すると認識することとも言える。これは非常に重い。

だからこそ無意識的に避けてコメントしかしない選択をする要因の一つとも言えそうだ。



他者に読まれることを想定すること。

それは自ずと文章もある程度の整合性を備たものであり、

普遍性をもってある程度読み手と共有できる内容について言及している、いいかえると初見の読み手であっても理解できるであろう一般的な範囲からの逸脱を避けて、一定の知的水準を保った記述をし、

全体を俯瞰して破綻ない一貫性をもつ外見に整形されている外形を持つ。しかもその上面白い、ウケるようなものを、という恣意性が強力な影響を加えてくる

そうした非常に高度な文章が暗に要求される。


このような複雑なものを作るのだから、ブログを、人の目に触れるための作文という行為は難しい、が非常に知性を向上させる行為だとかんがえている。


このブログも2年目にとつニューしました。

そらちゃんいつもありがちう。あいしてるよ!


さぁ、時間だね。

今日もやりますか。


じゃ、またね☆