1月10日。
「pit昴」へと足を運んだ。
車を手放してからの移動は、暫く味合わなかった諸種の事柄に、うろうろと戸惑うものだ。
成城学園前から新宿、池袋と二つの乗り換えが、もはや煩わしく億劫に感じるのは、歳のせいかと腹立たしいが、それもまた懐かしい景色の一つでもある。
ただ外国人が多いのは、当たり前の様でいて、不思議だ。

重い足を、持ち上げて「pit昴」に辿り着く。
今や、「pit昴」では、劇団昴付属養成所・第三期生修了公演の稽古たけなわだ。

「おはようございます。宜しくお願いします」30余人の若い魂の一斉唱和が、私の心を突き刺す。

上演台本は、原作宮澤賢治、脚本菊池准『宮澤賢治 宛名のない手紙』
演出は磯辺万沙子。

私は時々顔を出して、演出家の意図を汲み、彼等の演技の構築に少しでも役に立てればと、若い研修生と一緒に考え、同じ時間を共有し、やがて若者達の生命が波打ち始めるのを感知する時、そこに喜びを感じ、共に演劇文化に携わる幸せを味わうのです。

この宮沢賢治の世界は、現実と夢幻的な世界を巧みに演じ分けなければなりません。
この世界感を、単に文学作品として、客席にそのまま伝えようとしても伝わるはずもなく、演劇はそれぞれの変化する時代に、それぞれの生々しく生きる人間の姿を届けなければなりません。
そこにこそ、演劇は存在するのです。

言葉や文学のみが先行するなら、退屈極まりない舞台になる事でしょう。

ならば当然のごとく、観客は「映画館」へと足を急ぐ事になります。

彼等研修生には、繊細な心理描写などではなく、演劇の眼を己の精神の内面に向けて、眠っている劇的想像力を蘇生させ、「朗誦」と言う堕落した言葉を、生々しい劇的且つ詩的言語へと復活させなくてはなりません。


何より、貴方達が今持っているその純粋で謙虚な人間性を、いつまでも持ち続けて貰いたいと切に願います。

実はそれが、一番難しい事なのかもしれません。