私が免許証返納して、おおよそ二年が経つが、それまで40年近くは、長距離移動以外は、公共交通機関を利用することは偶にしかなかった。

車の無い日常生活は確かに不便だ。

 

そこで、交通手段は、電車か、バスやタクシーという事になる。

中でも都心を走行する電車は、混雑が激しく、駅は次々と改修され複雑化し、乗り換えに難渋するばかりでなく、構内には人が満ち溢れて、それだけで疲れるものを「ながらスマホ」で、我がもの顔で前進してくる人を避けるだけでも、老人は心身共に恐怖に襲われでいる。

 

しかし、今やこの景色は日常生活での当たり前の一齣に過ぎ無い。

 

ラッシュ時の混雑に、まるで荷物の一部となって強引に運び送られて行く通勤客を思うと、余り身勝手なことは言えない。

 

そんな状況下、混雑のピークを過ぎた電車に乗り合わせると、今の日本の社会情勢の一端を読み取るこが出来る。

 

相変わらず、車内はスマートフォンが並んで揺れているお馴染みの光景に出くわす。

当然の事ながら、スマートフォンにエアコンや洗濯機そして冷蔵庫等と、人間があらゆる利便性を追求することは本能的欲求であり、それが文明という組織社会を急速に進めた要因の一つであるだろう。

エネルギー資源を持たない日本は卓越した「技術」で西洋に対応し、ある時は追従して来た。

 

かつて日本はエネルギー不足の為、愚かにも戦争に突入した悪夢の過去を忘れてはならない。

 

さて、車内に戻ると、乗り込んでくる若者達は、我々の若い頃に比べて平均身長は5㎝も伸びていないはずなのに妙に大きく感じるのは、何のことはない私の身長が縮まっているだけのことだ。

目を下に移せば、乗客たちの足元は圧倒的にスニーカーが目立つ。

そして改めて驚くのは、車内を我が家と錯覚したのか、化粧を始める若い女性がいる。

徐にファンデーションを塗り、眉毛を丁寧に描き、アイラインに口紅とまるでデパートの化粧品売り場で実演講習を見ている様だ。

これは今に始まった行動ではないが、電車内はオフィシャルな場所であることを常に忘れてはいけないと言うことだ。

高齢者に席を譲る若者を見るのは、嬉しくて眩しい。

マスクなしで、「ハッキューン」とお構いなしに大声でくしゃみをする高齢者、これは恥ずかしい。

思わず笑ってしまう。

 

あれやこれやで、とどのつまりはタクシー利用が多くなる。

 

さて単なる愚痴と粗探しは、ここらで「封」としよう。

 

そんな中、本を広げて集中する人を見つけると、ほっとするのは何故だろうか。

「右えーならええ」と言う日本的慣習から離れ、毅然と孤立している自然な姿に、安心するのだろうか。

 

 

 

 

 

この前で、いつも私は待っています。