こんにちは!
はなヨガのfumiyoです。
空気が冷たくなってきましたが、
朝の日差しが気持ちが良いです。
さて、今日は心理学講座でのワークの話です。
皆さんは幼い時の記憶でよく覚えてることってありますか?それは、楽しかった思い出?
それとも、、、悲しい思い出?
もし、悲しい思い出だとしたら、
どんなことが1番悲しかったんだろう?
その頃は自分の気持ちを言えなかったことも
「今なら言えるのに!」そんな風に、
昔の自分の気持ちを振り返ったことありますか?
実は私にもずっと心に残っていた記憶があります。
私の4歳の頃の話
小学校に入る前だから、4歳頃のこと。
母は厳しくて、よく叱られていました。
食事の時も「残しちゃダメ!」「中途半端に食べるなら、最初から食べるんじゃありません」
そう言われることが多くて、
私は怒ってる母の顔が怖いし、
「食べらんない」とようやく言っても受け入れてもらえず、がまんして食べるしかありませんでした。
大人になり同じ母の立場を経験してきた今は、
別に意地悪でしたわけではない、
これは母なりの愛情なんですよね。
栄養を偏らせたくない一生懸命な気持ち、
でも、その頃の私には分かるはずもなく
ただ「また、怒られちゃった」
「だって食べらんないのに、、、」と悲しい気持ちでいっぱいだったんです。
エンプティチェアで出てきた本当の気持ち
先日、心理学講座で、
エンプティチェアを体験しました。
これは心理学のワークのひとつで、
幼い頃の私と向き合う方法です。
今回のワークでは、その4歳の私に「会いにいく」という設定でした。
「無理しなくていいよ」
「残してもいいよ」
大人の私が、4歳の私に伝えに行くんです。
その為に必要なのは、
🪑ふたつの椅子を用意すること🪑
大人の私の椅子と子供の私の椅子
椅子を移動して座る——-
その行為そのものがスイッチになり、
「その時の気持ち」を思い出しやすくなるのです。
すると、言葉に出来ない感情の断片や身体の反応がフッと出てきます。
それが、
気づきが起きる瞬間です✨
最初、私はこう言いました。
「食べられなかった」
「我慢してしまった」
勇気を出して「食べられない」と言ったのに受け取ってもらえなかった悲しさ。
しかし、
ワークが進むうちに、もっと奥にあった気持ちが出てきました。
「ほんとは一緒に食べたかった」
「楽しく食べたかった」
そして、ぽつんと言ったひとこと。
「ホットケーキが食べたかった」
小さな私から、その言葉を聞いたとき、
胸がギュッとしてしまいました。
誰かのせいにするクセに気づいた瞬間
私はこれまで失敗するたびに、
「なんで私は、、、ダメなんだろう」と責めたり、
上手くいかないことを
誰かのせいにしてしまったり、
昔の母の記憶を引っ張り出して、
いい訳にしてしまうクセがありました。
でも、このワークを通して気づいたんです。
『あれは母のせいではなくて、小さな私が感じた悲しさを、ずっと放置していた私自身だったんだ』と。
椅子を移動して視点を変えることで、
母の立場、幼い私の立場、
どちらも見られるようになり、少しだけ、
俯瞰して見る力が育った気がします。
その瞬間、
誰かを責める気持ちよりも、
「本当はこうして欲しかった」
という素直な気持ちの方が溢れてきたんです。
大人の私から小さな私へ
ワークの最後に大人の私は子供の私へ言いました。
「ホットケーキ、今度一緒に作ろうね」
「好きな公園で一緒に食べようね」
小さな私は、なんだか恥ずかしそうな、
でも、安心した顔をしていました。
"気持ちを分かってもらえた"って、こういう感覚なんだな、と思いました。
最後に
エンプティチェアは特別な人だけがするワークではありません。
小さな頃の自分に、そっと手を差し伸べる
その為のやさしいきっかけです。
今日の話が、あなたの過去を振り返るヒントになったら嬉しいです。
そして、
もし思い出したくない気持ちがあっても、
それは癒されたい心のサインかもしれません。
今日はここまで。