夫と、小学生の息子との三人家族です。

 

最重度知的障害のある姉がいます。

両親は他界しており、姉は現在グループホームで生活しています。

 

きょうだい児の思いや、日常のあれこれを書いてみたいなと思ってブログを始めましたチューリップ

 

よろしくお願いいたします照れ

 

 

きょうだい児で福祉や医療の仕事に就く方って結構いらっしゃるように思います。

 

 

でもそんな統計とかあるのかな?おそらく、そういった方の情報が表立って出ているだけで…実際のところはどうなんだろう?

わかりません。

 

 

でも、きょうだい児が福祉や医療の仕事に就くとなったとき、その親は喜ぶだろうなぁとは想像できます。

 

 

 

子どもの障害が肯定されたというか、きょうだい児への罪悪感みたいなもの(まったく持たない親もいますが。ある意味立派だと思う…)が薄れるんじゃないかなと思います。

 

 

障害のある兄弟がいたからこそ、この子(きょうだい児)の将来が開けた!この子はきょうだい児で良かったんだわ!みたいな。

 

 

 

これ、私のようなブラックきょうだい児にとってはかなりきついんですよ。

 

 

小さいときから健常児である自分への周りの期待を感じていた…もやもや姉の面倒をみていかなきゃいけないと思わされていた…もやもや

 

 

その中で私が福祉関係の道を選べば、周りの人たちが喜ぶんだろうなというのはなんとなく感じていました。

 

 

 

きょうだい児の特性として、周りの大人、特に自分の親を喜ばせたいっていう気持ちがすごくあるんですよね。

 

 

 

私もその気持ちを持つ一人で、福祉か医療の道へ進むことで周りの期待に応えられると漠然と思っていた気がします。

 

 

 

それに自分自身、そちらの道へ進むことで、自分がきょうだい児であることに少しでも良い意味を見出そうとしていたと思います。

個人的には、きょうだい児で良かったことなんて一つもありませんが。

 

 

 

それを認めるのが辛く、姉のことがあったから福祉の仕事をして今、輝けている私!みたいな感じになるほうが自分の気持ちが楽になるかなと思っていたように思います。

 

 

 

実際、私は小学生のときは医者になりたいと言っていました。しかし、これはただ単に学力的に無理でした(笑)

 

 

中学生では医者以外の医療関係の仕事に興味を持ちました。看護師や検査技師などを考えていました。

 

 

しかし高校に進学し、自分は理系がまったくダメなことに気づいてしまいました(笑)県外の大学や私立大学には理由があり行けなかったので、県内の国公立大学を考えていましたが、医学系の学部への現役合格は難しかったです。経済的に浪人はできませんでした。

 

 

しかもその高校生の頃には、私はかなり心身ともに病んできていまして…ネガティブ過食嘔吐も始まった頃ですオエー母がひたすら私の体調を心配していた顔が今も目に浮かびます。

 

 

姉の障害が憎くて辛くて、学校以外は部屋に引きこもって将来への不安に押しつぶされそうな毎日を過ごしていました。今思えば鬱だったのだと思います。

 

 

姉がいるせいで将来結婚もできないんじゃないかとずっと思っていました。

「普通の家庭」に憧れる私は自分がきょうだい児ゆえに、将来結婚して子どもを持つことができなかったらどうしよう…ということが何よりの恐怖でした。

 

 

 

そこで私は…自分が福祉の仕事をして、同じ職場の男性と知り合えばいいんだ!福祉の仕事を選ぶ人なら、姉の障害にも理解があるだろう!…と考えました凝視

 

 

 

この考え、どうなんでしょう?実際の私はそのような道を進まなかったのでわからないのですが…。なかなか良い考えではないでしょうか(笑)

 

 

 

そして私は福祉系の大学を受けようと考えました。

 

 

続きますニコニコ

 

 

 

 

乙女のトキメキ乙女のトキメキ乙女のトキメキ

読んでいただきありがとうございましたうさぎクッキー

 

 

 

 
友だちとのランチのときにいただきましたハートのバルーンびっくりするくらい美味しかったラブ