夫と、小学生の息子との三人家族です。
最重度知的障害のある姉がいます。
両親は他界しており、姉は現在グループホームで生活しています。
きょうだい児の思いや、日常のあれこれを書いてみたいなと思ってブログを始めました
よろしくお願いいたします
私が5歳のときに父が亡くなってからも、私と母と重度知的障害の姉は、父方の祖父母と一緒に暮らし続けました。
田舎のちょっと大きな農家だった祖父母。祖父は寡黙で働き者でした。
80歳を過ぎても、毎日田んぼに出て一人農作業をしていました。
祖母はとにかく気が強い人で…。私とは性格的に合いませんでした
失礼なこと、差別的なことも平気で言うところが、こども心にすごく嫌でした。
母に優しくないときもあり、それを見る度に一人心を痛めていました。
でも祖父も祖母も、姉と私のことをかわいがってくれたことは確かです。
障害者への差別も偏見も、今よりずっとひどかった時代です。
それでも姉を邪見にすることなく、姉のことも私のこともかわいがってくれたことに感謝しています。
とはいえ。。とにかく小さい頃から祖母が苦手だった私
嫌だったところのひとつは、同じ話も何回も何回も何回も…するところ
言ったことをうっかり忘れて同じことを話してしまうことありますよね?
私はありますでも、そんなもんじゃないんです!
祖母の話は古典落語の域でした。
自分の持ち歌ならぬ持ち話(笑)みたいなのが何個もあり、
それをその日の気分によってチョイスしつつ、ひたすら何回も繰り返していました。
特に食事の時間は祖母の独壇場。
何度聞いたかわからない話を、まるで初めての話のように家族の前で興奮気味に披露する祖母。
食事は家族揃ってすると決まっていたので、毎回の食事の時間が苦痛でたまりませんでした
母は、姉に全介助で食べさせなければならないため、祖母の話どころではなく…無言
姉はたまに奇声をあげることはあれど、重度知的障害でまったく発語はないため…無言
祖父はもとからあまり話すほうではないため…無言(あと、たぶん耳も悪く祖母の話があまり聞こえてなかった笑
)
…そしてもちろん私も無言……
何十回と聞いた話に毎回毎回反応できませんから。
なんとか頑張って私がたまーに相槌を打つくらい。
家族の反応がなくてもおかまいなしに話しまくる祖母。
今思い出してもちょっとヤバいな、祖母…。
あまりに同じ話ばかりするので、一つの話が始まったらもうすべての話の流れが
結末までぱっと頭の中に浮かんでくるんですよね。
あとはその通りの話が繰り広げられていくのを黙って聞いている…
楽しい話、明るい話ならいいんですよ。
でもそうじゃなくて、戦争の話や若いころの苦労話。人の悪口もすごく多かったな。
本当に嫌でした。そんな祖母に意見を言う人間は家族の中に一人もいませんでした。
楽しい家族団らんの食事なんてしたことがありませんでした。
そんな祖母の話の中でも、特に私の嫌いだった話があります。
次回に続きます