パリのサンジェルマン・デプレ教会の蝋燭たち。
人々の祈りの火は、こうして日々欠かさず灯されている。
この灯りには、人々の隠された想いが込められているのでしょう。
人が祈っている姿というのは、本当に美しいです。
そこに、その人の人生を想います。
何年も生きていれば、抱えるものも増えていきます。
そして、それが人に簡単に話せることなら、
それは「抱えている」とは言えないかもしれません。
楽しく美しいことは他人と共有ができても、
本当に悲しいことは、自分の心の中にしまう人も
多いのが大人の世界ではないでしょうか。
それは自分のプライドからそうするのかもしれないし、
相手を気遣っての結果かもしれない。
でもその「隠す」ものが増えていくことは、
必ず人間の深みのようなものにつながっていく気がします。
孤独を知らなければ、心の深みは生まれないと思う。
教会や、祈りという行為には、
人間の孤独がたくさん詰まっている。
アメリカの教会は、ゴスペルに溢れていて、明るく、陽気。
人が孤独であることは分かっている。だからこそ、
皆で手を取り合い進もうという希望と力強さを感じます。
一方、ヨーロッパの教会は、物悲しい。
孤独の中でひとり神に向き合い、祈り、受け止め、
再び歩いていくという静けさと決意を感じます。
私は、ヨーロッパの教会が好きです。
ある年齢になったら自分の書斎を持ちたいと
考える男性が多いというのは昔よく聞いたけれど、
つまり、「生きる」とはそういうことなのではないかと思います。
また、仕事の帰りに行きつけのバーで一人お酒を飲むことも。
自分の孤独に敢えて向き合い、受け止めること。
他人を想い、本当に悲しい事実を隠すこと。
そういう人間の姿ってとても美しいし、色っぽいと思う。
なぜなら、簡単にできることではないから。
顔に刻まれた皺は目に見える形で、
そして心に刻まれた皺はオーラとなって表れるもの。
人知れず噛みしめている孤独や寂しさ、
人に言えない想いこそが、
私達を何倍も魅力的にしてくれているはずです。
