月曜日の昼に帰ってきた彼女。友達の家に泊まったというが、僕はそれさえも信用できない。
その夜は一緒に出かけた。
焼きとんを食べ、スナックをはしごし、最後に知り合いのバーに行き、知り合いのママ達と合流した。
みんな酔っていた。
知り合いのママが、彼女にいろいろ説教していた。
内容は覚えてないが、みんな彼女のことを心配しているのだ。
彼女は泣いていた。
そして、今日、彼女は出ていった。
出て行く前、少し彼女と話した。
「どうして急に(起きていきなり)出て行くの?」
「私はあなたに実家に帰れといわれて以来、ここにいると胸がざわざわしていやなの。」
彼女は起こったような口調で話している。
「わかったよ。でも、話聞いてると、まるで俺が出ていけって冷たく放り出した、あなたが悪いって言われてるみたいだけど、そうじゃないよ。」
「じゃ、どうすればいいの?病気で働けないし、第一、親がいちばん嫌いなのに。」
「そんな怒こらなくても。何に怒ってるの?もう一度言うけどね、ここにはいられない、人にお金借りて一人暮らしして、夜の仕事するんじゃなくて、ひとまず実家に帰ることを勧めた、そういうことになったのは、全部自分のせいだっていうことを、ちゃんと自覚しないと。
この何年かずっと行ってきたけど、あなたはいつも、まずは自分のことを棚に上げて、途中から考えを始める。因果の『果』から始まるんだ。今回だって、ここから出て行くと言われたことから始まる。そうじゃなくて、なぜそうなったかを考えなきゃ。
なぜそうなったかわかる?」
「それは私が包丁とか火をつけるとかしたから?」
「そう。でもね、もっと大切な事がある。それは、なぜそういうことをしてしまうのか。なぜだと思う?」
「病気だから。」
「それもあるかもしれない。でも、何でもかんでも病気だからじゃ、何やってもうまくいかないよ。ぶちこわすようなことをする最大の理由は、
あなたが、いつ死んでもいい、どうなってもいい、そんな風に生きてるからだよ。
いつも言ってきたでしょ。自分のケツは自分でふかなきゃ。ぶちこわしてだめにして、そこでケツまくるんじゃなくて、自分のしたことの落とし前つけなきゃ。
自分なんかどうなってもいいって生きるってことは、都合悪かったり嫌になったら、いつでも逃げ出すって事だし、その途中で人の心を踏みにじったり迷惑かけたりするから、対人関係はうまくいくはずがない。
だから、まずは生き方を変えなさい。どうなってもいいじゃなくて、一生懸命生きてごらん。
一度もそんな努力したことがないんだから、やってごらん。
それでもだめなら善意の誰かがきっと助けてくれる。」
こんな話をした。
駅まで車で送っていった。
不思議と悲しくはなかった。
それは、この数ヶ月のさんざんだった生活から解放されるという安堵感ゆえだったのかもしれないが、もう一つの理由は、僕に目覚めた「あきらめ」の気持ちだ。
車から降りた彼女に、最後にもう一度言った。
「自分を一番大事にね。それは自分さえ良ければいいって事じゃないよ。そして、生き方をかえてごらん。そしたら、いろんな事が好転してくるから。必ずね。」
そう言いながら、僕は、「だめだろうな、、、」と感じていた。
すごく心配だ。できることはしてやりたい。
でも、この数年そうだったように、僕に本当の意味で彼女を救うのは無理だということが、今更ながら実感できた。
あきらめだ。
このあきらめが思い違いであることを心から祈りながら、僕は帰りに神社にお参りをし、彼女の幸せを祈った。
彼女が妊娠中絶で痛んだ心と体で転がり込んできた時、励まそうと思って買ったハイビスカスが、寒くなたというのに最後に1つ振り絞るように花を咲かせた。
