中紀・湯浅から御坊へ「町」を守りゆく | ブログ版『大和川水紀行』

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大和川流域の自然やイベント、祭事など訪ねた紀行記です。

JR湯浅駅の北西方に和歌山県内唯一の重要伝統的建造物群保存地区が広がっている。

「通り」と「小路」が面的に広がる特徴的な地割りと、醸造関連の町屋や土蔵を代表とする近世から近代にかけての伝統的な建造物が残っている。

 

平安時代には熊野古道の宿場町として栄えた。

鎌倉時代に中国から帰国した法灯円明国師・心地覚心が金山寺味噌を伝え、その製造過程にできる「たまり」が「たまりしょうゆ」となって全国に広がっていく「醤油」の発祥の地だった。

 

北町や中町、鍛冶町を中心に醤油屋や麹屋、味噌屋が軒を連ね、本瓦葺きの町家や重厚な土蔵が残っている。

その一つで醤油醸造を営んでいたの旧栖原家住宅には、主屋と土蔵・文庫蔵、地下から見つかった釜場遺構が残っており、湯浅の醤油の歴史が学ぶことができる。

 

1841(天保12)年創業の手作り醤油の老舗「角長(かどちょう)」は昔ながらの製法で醸造される香りを漂わせて、その裏手には湯浅港との間を「醤油船」が往来した大仙堀が残っている。

幕末から高度経済成長の時代まで四代にわたり湯浅の地で営んできた公衆浴場「戎湯(通称:甚風呂)」は銭湯跡歴史資料館として、昭和の「風呂屋」の面影を残した懐かしい空間と明治、大正のレトロな生活道具などが展示されている。

 

なぎ大橋を渡ると、広川町役場から南の道路沿いのコンクリート壁に「稲むらの火」が描かれている。

江戸末期の1854(安政元)年の東海地震が起きた翌日に南海地震による津波が「広村(現在の広川町)」を襲った。

その際、濱口梧陵はは暗闇のなか逃げ道がわからない人々がいると考えて田んぼの稲むらに放った「稲むらの火」を高台へ進む目印にした。

 

その津波を受けて濱口梧陵は濱口吉右衛門らの協力を得て長さ約600m、基底の幅約20m、高さ約5mの「広村堤防」を築いた。

沖の突堤、海沿いの石堤と合わせて、多重防御のシステムが構築されている。

その工事では梧陵は私財を投じ、村人を日払いで雇用して支援することで津波の被害で荒廃した村の復興にもなった。

昭和21年(1946)の昭和南海地震では市街地への津波の流入を防いだ。
それを顕彰した銅像や歴史を学べる記念館、さらに津波防災教育センターを併設した「稲むらの火の館」は濱口梧陵の津波への心構えを伝えている。

 

 

西濱口家の濱口梧陵とともに尽力した初代濱口吉衛門を祖とする東濱口家は江戸で醤油問屋を営んだ豪商で、故郷の「広村」での生活した「濱口家住宅」がある。

その隣に広がっていた四季折々の木々、桜、さるすべり、紅葉などを配置した日本庭園広川町に寄贈されて公園として公開されている。

 

湯浅町の「最初の一滴」、広川町の「百世の安堵」として隣接する町の「ストーリー」を伝える日本遺産に認定されている。

 

参考:

日本遺産ポータルサイト

「最初の一滴」醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story047/
「百世の安堵」
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story063/

 

JR御坊駅から南方に「御坊寺内町」が広がっている。

1585年の豊臣秀吉の紀州攻めの際に、日高別院の前身の吉原坊舎が焼失し、1595年に当時は荒地だった現在の地に日高別院の建築が始まり、門徒らが住み始めて「寺内町」が形成された。

浄土真宗本願寺派の直属寺院で、別名の「日高御坊」から地名「御坊」の由来になったという。

境内には県の天然記念物に指定されている樹齢400年のイチョウの巨木がそびえている。

 

江戸時代には坊舎付近はろうそく屋、酒屋、材木問屋、薬屋、旅籠が並ぶ寺内町として栄え、町を囲むように流れる下川が環濠の役割を果した。

商業の発展に伴って下川を利用して日高川河口まで商品を運ぶ廻船業が栄え、日高地方や有田地方など各地の特産品を取り扱う問屋が軒を並べた。

その土蔵屋敷が多く残る近世の町並みや明治から昭和初期の建物も見られる。

 

廻船業は富をもたらしただけではなく、廻船で回る各地域の文化や流行をも伝え、この周辺では独自の文化が育んだ。
その一つが日高地方最大の祭り「御坊祭」に使われる「四つ太鼓」は和歌山県内では日高地方にしか見られない祭り道具の一つで、廻船業を通して四国から伝わった文化だという。
 

寺内町の西側に「紀州鉄道」の西御坊駅がある。

1931(昭和6)年に御坊町民の足や貨物の搬送にJR御坊駅と市街地を結ぶ御坊臨港鉄道(現在の紀州鉄道)が開業した。

廻船業から鉄道への輸送・流通の変化に期待したもので、町に利便をもたらしたという。

平成元年に西御坊駅の先にあった「日高川駅」が廃止された廃線跡が残り、終点となった現在は営業距離2.7キロの「西日本一短い鉄道」として鉄道ファンからも人気を集めている。

 

参考:
御坊市観光協会「御坊寺内町」
https://gobokanko.com/jinai#hidakabetuin

 

太平洋からの津波に備えて、御坊市では市内の電柱やカーブミラーなどに海抜表示板や海抜表示シールが設置されている。

津波避難困難地区とされた名屋と新町には「津波避難タワー」が設置されている。

 

参考:

御坊市防災・災害
https://www.city.gobo.lg.jp/kurasi/bosai/index.html