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ゆうとです。

 

 

 

 

本日3投稿目いきます!

 

 

先に言っときます。

 

 

 

この投稿は少し真面目な話で

 

長くなるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貴重な経験をしました。 

 

「貴重な経験」

 

と聞くと何かこう良いイメージ

 

ありますよね。

 

 

でも必ずしもがそうではないんですね。

 

 

僕が持つ貴重な経験は

 

あまり良いことではない気がします。

 

 

 

今日はそんな話をさせてもらいます。

 

 

 

 

この経験をしたのは

 

 高3の時

 

僕は今20歳です。

 

 

同年代の方ならピンとくるかもしれません。

 

 

大体3年前ですね。

 

 

 

この世の中がガラッと変わりました。

 

 

 

 

コロナウイルス感染症

 

 

 

これが世界を震撼させました。

 

 

もうお分かりでしょう。

 

 

僕らの年代は

 

いわゆる

 

 

 

高校コロナ世代です。

 

 

 

 

 

学校が休校になり

 

 

インターハイはなくなり

 

 

甲子園はなくなり

 

 

学校祭は形を変えて

 

 

卒業式も形を変えて、、、

 

 

卒業しました。

 

 

 

 

 

 

これまでの学校生活から

 

一変しました。

 

 

 

 

 

 

そんな経験をした僕の肩書きは

 

 

 甲子園がなかった代のキャプテン

 

高3の時は主将を務めていました。

 

 

 

僕らの時は

 

甲子園がありませんでした。

 

 

 

甲子園で勝って

 

日本一になるという目標をたてて

 

練習してきた。

 

 

 

その目標に挑戦すらできない。

 

 

 

悔しかったですね。。。

 

 

 

さらに自分には別の特別感がありました

 

 

 

 メディア対応

 

前年に2回連続

 

甲子園に出場していたこともあり

 

メディア対応がありました。

 

 

その当時、僕の高校では

 

分散登校になっていて

 

3日に1回登校するようになってました。

 

 

甲子園を開催するかどうかを決める日は

 

学校に行かずオンラインで授業を受ける日

 

だったはずです。

 

 

 

授業が終わってから

 

監督さんと、部長さんから

 

電話がかかってきて

 

新聞の取材が入ってるから

 

答えてくれと言われました。

 

 

 

正直その時点で既に

 

気持ちの整理はできていました。

 

 

なぜなら

 

 

インターハイが中止になってるから

 

 

インターハイがなくなって

 

甲子園があることはないだろうと

 

当時の僕は考えていました。

 

 

なので、

 

そこまで困ることはありませんでした。

 

 

取材に対して

 

淡々と答えました。

 

 

しかし、

 

取材の中で衝撃の質問

 

ありました。

 

 

 

 

 

  今、泣いてますか?

 

 

いいえ、泣いてません。

 

 

 

僕はそう答えました。

 

本当に涙は流してなかったです。

 

 

 

まさか、

 

そんな失礼なことを記者が聞いてくるのかと

 

思いましたね。

 

 

 

・人前で泣くことは絶対にしたくない

 

・涙を何も美学だと思わない

 

 

そう考えている僕にとってみると

 

落胆の一言でしたね。

 

 

 

 

人のを広めて

 

感動秘話を作ろうとしてるのかと

 

がっくりしましたね。

 

 

 

 

そんなことをするくらいなら

 

僕らの日々の取り組み全てを

 

取り上げてもらった方が

 

感動する人多いのではないかと

 

思いましたね。

 

 

 

 

こんな感じで

 

甲子園中止が決定した日は

 

終わりました。

 

 

 

もうその日から

 

勉強に気持ちを移しましたね。

 

その日が一番受験勉強を

 

頑張ったかもしれません汗うさぎ

 

 

 

 

その次の日が登校日でした。

 

 

 

同期がどのような顔をして部室にいるのかは

 

想像もできませんでした。

 

 

 

モヤモヤしながら

 

自転車をこいで学校に行きました。

 

 

部室にあがると

 

 

誰も一言も発さない。

 

 

 

誰も何も言わず

 

時計だけ見て

 

監督さんから言われた時間に

 

教室に行き

 

ミーティングがありました。

 

 

 

そのミーティングで監督さんから

 

この先何も決まっていないから

 

野球に時間をかけてもいいし

 

勉強にスイッチしても構わない

 

その判断は君らに任せる。

 

 

 

そう言われました。

 

 

 

その日の放課後の練習に来たのは

 

全員です。

 

 

 

東大を目指してるやつも

 

国公立を目指してるやつも

 

全員が残りました。

 

 

 

それはなぜか

 

 

 

独自大会開催が決まった。

 

 

この独自大会に自分らなりの

 

やる意味目的を見つけました。

 

 

 

それは、

 

 

地域の人に恩返しをしよう。

 

 

たくさんの地域の人に支えられて、

 

応援してもらって

 

高校3年間満足いく野球生活

 

送れたことは全員が実感してました。

 

 

 

最後、

 

県で優勝して喜んでもらう

 

そこだけ考えて残りを過ごしました。

 

 

 

 

結果、

 

 

 独自大会ベスト8敗退

 

 

勝てませんでした。

 

 

 

だめでしたね。

 

 

 

 

独自大会開催が決まってからも

 

時間に制限があったり、

 

人数に制限があったりして

 

思うように練習できなかったのが

 

正直なところです。

 

 

 

いろいろな工夫もしました、

 

たくさんの方の支援もありました

 

それでも勝てなかった

 

 

 

それまでの恵まれた環境の

 

ありがたさを実感しました。

 

 

 

 

おそらくこれらのことは

 

普通に甲子園があったら

 

気づけなかったことです。

 

 

 

 

甲子園の代わりに教えてくれたこと

 

だと思います。

 

 

 

「甲子園がなくてよかった」

 

とは思いませんが、

 

甲子園がなくなったから学べた

 

感じることができた

 

経験できたこともあるのかなと思います。

 

 

 

 

長くなりました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

 

たった、

 

自分の好きな野球ができなくなっただけで

 

苦しんでいた自分が今となっては

 

まだまだだなと思います。

 

 

 

 

あの時期に

 

仕事を失い生活できなくなった

 

仕事が過酷で命を落としてしまった

 

誹謗中傷で自らの命を捨ててしまった

 

そんな方がたくさんいたはずです。

 

 

 

好きなことができていただけ

 

僕たちは幸せでした。

 

 

 

 

支えてくださった方々、

 

本当にありがとうございました。

 

 

 

そして今もなお

 

ご尽力していただいている方々

 

本当にありがとうございます。

 

 

1日でも早く数年前の日常が戻ることを

 

願い、行動します。

 

 

おしまい。