葬儀社の広告や宣伝の中で「お客様の気持ちになって」という文章があります。


これは傲慢だなぁ、とふと思うことがあります。


何故なら、私自身に例えたなら、自分が喪主を一度も経験したことがないのに、

【葬儀サービス】というものを販売しているからです。


爺さん、婆さんを亡くして【遺族】という立場で葬儀に参加した事はあります。

親戚を亡くして【親族】という立場で葬儀に参加したことはあります。

恩師を亡くして【教え子】という立場で葬儀に参加したことはあります。


年齢も30代なので、【喪主】という経験をすることは2度はないと思います。

葬儀に従事しているからと言って、【喪主】を何度も経験しているわけではないのです。


【喪主】の気持ちは、やはり【喪主】にしかわからないはずで、

ましてや家族を亡くした心境とか、葬儀が終わってからの心境(安堵感とか脱落感)とか、これは実際に体験しないとわからないことだと思います。

ライフセレモニー

言い換えるなら

「お客様の気持ちになって」と言うよりも、

「ただただお客様の気持ちに耳を傾ける」とか、

「共感する」としか言いようが無いのでは?と。


言葉にしなければ伝わらないことがあるけども、

言葉にしてしまうとあまりに陳腐になる気がします。


でも、葬儀社とて利益を出さなければならないし、

利益があるから次々と葬儀サービスを販売できます。

自社の商品を販売するために、自社のメリット、特徴を羅列します。

いかに自社を選んで頂けるか、どの葬儀社もそのことに目一杯考えているわけです。

それが本音だと思います。

もうひとつは、消費者のこと。


これも矛盾があるんだなぁ、と率直に感じたところです。


元気な内から葬儀のことを考えるのは縁起が悪いからいやだという。
人生の終わりを考えるのはいやなんだと。

しかし生命保険には加入している。

これって自分が死んだあと、残された家族を考えてのことではないのか?


今でこそ【葬儀を事前に考える】ことが徐々にではあるが

当たり前になりつつあって、これとて遺された家族に迷惑をかけたくないから

考えていることなんだと思う。(葬儀代とか、お墓のこととか)


インターネットって凄いと思う。

企業や個人やホームページやブログで情報発信できるからです。

以前は葬儀社を調べるのに、

・電話帳

・チラシ

が主だったと聞いていますが、それがものの数分で葬儀社のホームページが

ずらーっと出てきます。


ネットとて功罪があるな、と感じるところもあります。


【功】の部分は、

葬儀料金の比較ができることです。


【罪】の部分は、

価格以外の部分で、良いと思われる葬儀社の選別が難しいところです。

難しいというよりは、価格以外に何を選別の材料にしたら良いか、さっぱり見えないところではないでしょうか?


価格以外で葬儀社の選別が難しい・・・これって消費者にとっては、とても不幸なことだと思う。


価格以外に関する葬儀社の選別・比較方法が無ければ、結局は価格でしか葬儀社を選ぶしかできません。


僕の勝手な予測ですが、

ネットや雑誌などいろいろな媒体で、

これだけ葬儀料金のことが取り上げられているので、

次に葬儀社の比較の材料になるのは、どんな葬儀社なのか?ということ。


もっといえば、葬儀社というよりどんな担当者か。

担当者だけを比較できるようなものがあっても良いと思います。


少々の差こそあれ、祭壇・式場・棺・霊柩車など、【目に見える】モノは差別化になりません。


但し、担当者の提案のしかた如何では葬儀の内容もお客様が感じる

【安心感】随分と違ってくるはずです。


目に見えないもの・・・

何でしょうか?


先般6月1日、世田谷のみどり会館で葬儀の施行をした喪主のTさんと、

烏山の焼き鳥屋で一杯飲んできた。


何度かお誘いいただいていたが、僕の仕事の都合もあり、昨日久々の再会をした。


この方は30歳という若さで喪主になった。

お母さんを亡くされたのは5月27日。


これまでは、どんなに若い方でも40代後半の方が喪主になるケースが多く、

少なくても僕よりは年上の方ばかり。


【年下の喪主さん】ははじめてのことで、病院に迎えに行った時の光景は今でも覚えています。


第一印象は、「この女の子(失礼・・・)が喪主さんか・・・無理しているな」

とても硬い印象でした。


それもそのはずで、

「私、お葬式に出たことがないので、何をどうしたら良いのかさっぱりわかりません」と言うのです。


無理もあるまい。

一般の方は、お葬式に参列することはあっても、お葬式を【出す側】を経験することって、一生のうちで2回あるかないかでしょう。


だから僕はこういったんです。

「当たり前です。お葬式のことをわかる人はいません。時間は時間はたくさんありますから、ゆっくりお話しましょう。お別れの方法も、見積も一緒につくって行きましょう」


確かこんなことを言った。


「すぐにお葬式をしなければならないんですよね。早く斎場の予約をして下さい」

彼女はこの事を何度も繰り返した。


「何か、急がなければならない特別な理由はありますか?」


「・・・」


もう一度聞きました。

「遠慮なく言って下さい、何か急がなければならない理由はありますか?」


「特別なことはない」と言う。


何故、こんな質問をするのか、ひとつひとつ掘り下げた。


ひとつには、病院に出入している葬儀社から言われたことと、

すぐにお葬式をしなければならない、と思っていたこと。


喪主になった方(またはこれからなる予定の方も)は、

自分の知識量だけで、

「すぐにお葬式をしなければならない」とか、

「自分たちよりお葬式の知識が多い葬儀社の言うことを聞かなければいけないんだ」と思い込んでいたのです。


この方の【観念のメガネ】を取ってあげないといけないな、僕はこう思いました。

(固定観念)


「私の話しを聞いて、納得行かないことがあったら都度、質問をして下さい。そのこたえに納得が行かないことがあったら断って下さい。すぐに帰りますから」


こう言っていろいろな会話をした。


故人は沖縄出身であること。

2年前にこの病院で診察を受けたら【胃がん】と診断されて、すぐに入院しなければならなかったこと。

今日の夕方、故人の友人が札幌から飛行機で上京し、少しでも良いので故人と面会したいこと。

故人は着物の着付けの先生をしていたこと。

故人は生命保険には入っていなかったこと。

今霊安室にいる3人の方と、喪主・故人との関係。

故人は20年前に離婚しており、それ以来母と二人暮らしをしていたこと。

この二年間の治療費が大変だったこと。

医者から覚悟するよういわれ、インターネットで葬儀社を検索して「さ○○葬祭」の電話番号を控えていたが、メモをなくしてしまったこと。

母親とは「親子」というより「女と女の同居人であったこと」。

もっと母親にあっておけば良かった、と後悔していること。

最後に会った日に「また来るね」と言って、それに対し母親が何も言わなかったこと。


などなど、およそ葬儀とは程遠い、どうでも良い会話だった。


何と言ったら良いかわからないが、喪主が一番初めに会う第三者は葬儀社が殆どです。


はじめて会う方に

「じゃあ、見積りしましょう」とか

「どんなお葬式にしたいのか」といきなり切り出すのってちょっと、というか大分ずれているなと思う。


だって、住宅を購入しようとしている人がいて、その人が戸建が欲しいのかファミリータイプのマンションが欲しいのかわからないのに提案書なんか出せっこないし、

車の購入を考えている人に、何に興味があるのかわからないのに「軽自動車なのかワンボックスなのか」やはり提案なんかできないし、興味どころを聞かなければ、会話がずれてしまう。

それだと営業マン=ただの押し売りになってしまう。

いくらこちら側が「このプランは良し、お客様にピッタリですよ」と提案しても、それは自己満足の域を超えない。


葬儀の場合は、カタチのない物を売っているのでちょっと違うのかも知れないが、

葬儀とて同じ。


但し、喪主になった方は「葬儀を知らない」方がほとんど。

何がわからないかもわからない。


この「何がわからないかもわからない」状態で、通夜だの斎場だのお布施だの

話しても、語彙だけはなんとなくわかってもらっても

頭の中は「?????????????」状態。みんな聞くに聞けないんですよ、喪主さんって。


これは、他の葬儀社さんの手伝いにいって、いろいろな担当者の方の説明を聞く機会があってはじめて分かったことです。(はたから見ていてとても勉強になった)


だから、第三者の僕(葬儀社)が喪主に会って一番初めにしなければならないことは、葬儀以外の話しをすることだと思うんです。


相手も僕をわからない。

僕も相手をわからない。


相手は僕を警戒している、かもしれない。

相手は僕(葬儀社)にはじめて会う。顔も、名前も、性格も何一つわかってないんです。

他の業界だったら、考えられないことだと思う。

葬儀業界くらいじゃないですか??


話しがだいぶそれましたが、霊安室という「非日常的な空間」にいても、人と人が話しをしていると、段々とお互いがお互いのことがわかってくると思うんです。


そんなこんなで葬儀のことやら見積もりやらの取り決めに入ったところで、

Tさんから「わからないことばっかりですが、教えて下さい」となったのです。

ここから先は、葬儀の流れの説明、金額のことを一緒に決めて行き、

「ここがわかりません」

「これを行うことの意味は何ですか?」

とわからないことが具体的になってくるので、僕(葬儀社)はここを、わかりやすく説明するわけです。


ちょうで昨日で葬儀が終わり40日経ったわけですが、

飲みながらTさんが泣いた。

「どうしたの??何かありましたか?」


「お母さんにもっと会っておけば良かった」と言うんです。


僕は「どうしてそう思ったの?」と聞きました。


「成田さんのお父さんも胃癌でしょう。私は成田さんの心境がわかる。その時のことを思い出したら、もっとお母さんと会って会話すればよかった。後悔ばっかりしてます。できる限り会っておいた方がいいですよ」


ホント文才がないから、上手くは書けませんが、自分の大事な人を若くして亡くするとTさんのような心境になるんだなと思った。


最初に僕(葬儀社)に会った時の心境はどんなだったか、

どんな想いで葬儀をしたのか、葬儀が終わってからは何が辛いのか、

こればっかりは喪主を経験した人にしかわからないことです。


葬儀費用とか、葬儀の方法とかそんなことよりも、

喪主の体験と心境を、これから喪主になり得る方々に知っていただくことで、

葬儀に対する不安とか・疑問点が解消されることのひとつになるのではないでしょうか?


そして「葬儀に対する不安・疑問」とは、葬儀費用がいくらかかるか?ということよりも、僕(葬儀社)に対する不安・疑問だと思っています。

そう思って頑張ります。

では


ライフセレモニー




















GWも終わり、いよいよ夏場に差し掛かる5月10日、

親父は入院した。


診断の結果は末期の胃がん。


それもそのはずで、今年一月からいくら食べても目方が増えず、それが3月まで続いた。


4月になると、食べたものが胃から腸に落ちず、

床に就き、朝目が覚めると、枕の横には嘔吐の後。


寝ながら吐いていたのです。


いよいよ観念したのか、やっと病院へ行き検査したら

胃がんだと診断された。


5月25日午後、3階の手術室へ。


夕方6時、手術は無事に終わったので

流山市の病院から稲城の自宅へ戻った。


深夜23時、親父の奥さんから電話が入った。

「竜也くん、出血が止まらず血圧も下がらないから緊急手術します。」と。


シャワーを浴びていたが、髪も乾かさずにすぐに流山に車を走らせた・・・。


2度目の手術は6時間はかかっただろうか。

何とか無事に終わったのだが、こっちは生きた心地がしない。


あの、肩から力が「ストーーーーン」と抜ける感覚、母親の時以来だった。ガクガクですよ。


心のどこかには、

「なぁーに、意外にも治るんじゃねーのがな」と思っていた。


しかし、そんな思いを「スットーーーーン」と落とされる執刀医からのひとこと・・・。


あと半年ですかね・・・。


半年、6ヶ月、180日か。


申し訳ないけど、諦めがついた。

僕が10年前だったら「諦める」ということはなかっただろうけど、諦めなきゃならんと思ったのが素直な気持ちです。

「苦しむことなく、気持ちよく送ってあげたい」

そのために何ができるかなーと考えてます。


がん患者本人や、家族の心境というのは、

その立場になった人間にしかわからないでしょうね。


だって、できることならどんな事しても病気を治してあげたいし、ましてや「死ぬ」とか「葬式」なんてことは禁句ですね。葬儀社の僕が言うんですから、恐らく一般の方だったらもっと禁句でしょう。


今、この瞬間もこう考えています。

「あと、半年か」と。

この気持ち、精神的疲労というのは相当のものがあります。

それが半年も続くと思うと、こっちが参ってしまいます。


もうひとつ思うことは、

もう、既に葬儀の始まりなんです、きっと。

葬儀というより想儀・・・ですか。


近い将来親が死ぬとなったら、

子供の頃の思いでが甦ります。


明日も現場なので今日は寝ます。

では。


ライフセレモニー