中世史ってマッチョじゃなければやっちゃいけないって決まりでもあるのかと頭を抱えたくなるぐらい不愉快な衒学趣味とオヤジ趣味の連発😵💫
著者もいちおうはそれを悪癖と自覚しているようで文中、自戒するようなことをしばしば述べています。そうでなかったら途中で本を投げ出していたかもしれません💢
小島毅著「義経の東アジア」文春学藝文庫より。
2005年に放映された大河ドラマ「義経」に触発されて発表した論文に、関連した文章を交える形で文庫化したのが本書。
余談ながら中世史学会がマッチョ化しやすい背景としてこの大河……に限らず歴史ドラマにしやすいという "利権構造" があることを否定できないでしょうね😅
それはともかく、義経の人生とはまことに奇異なもの。
京都に生まれ、同じ京都の鞍馬で育ち、奥州に逃れて成長。頼朝の決起に従って関東に入り、平家を追ってまた京都〜九州。
また京都に戻って、鎌倉……には入れず、奥州平泉で短い生涯を閉じました😇
ほぼ当時の日本を縦断。いや、荒唐無稽とはいえ大陸に渡りジンギスカンになったという伝説すらあるのは周知の通り。
身分もその都度、公家や武人、僧侶や山伏と様々に変わっていたりして……。
そこには奥州で産出する黄金を原資に、九州を拠点に入宋貿易が行われ、そこから日本に流入する宋銭が平家の軍資金になっていたという事実が横たわっていました。
そこには国を跨いで商売をする海商のみならず、文化の運び手としての仏僧も深く関わっていたそう。
義経はいわばその人脈の中で立つことで、奥州から九州までの数奇な旅を続けることになった、というのが著者の見立てです。
いわば問題意識としては👇の本と共通するかもしれません。
いや、本書と👆の両書には、代表的な入宋僧として、わが宗門の開祖 道元禅師が登場してきます。てか、それもわたしが本書を手にした(投げ出さなかった)動機ですが。
九州から渡海した日本人たちがほとんど例外なく最初に荷物を下ろした中国の港町 寧波。
そこには長い交流が育んだ日本と中国のミックス文化が既に存在しました。
わが道元禅師もそこに荷を下ろした一人。道元禅師がわずか4年半の "入宋修行" にて「曹洞宗」を開くことができたのは、寧波という港町の文化なくして可能だったかという著者の問いに胸をつかれる思いがしました🥲
巻末には加藤陽子・保立道久との対談「『新しい時代区分』が必要だ」が掲載されています。
これも非常に良い内容でしたが、ここに琉球と日本では、室町時代後期くらいまではむしろ琉球の方が優勢で、九州諸国は琉球に服属していたという指摘がされていました😳
戦国〜安土桃山期に入ると石見銀山から産出する銀で日本側が経済的に優勢になり(火縄銃を大量に入手し)立場が逆転したと。
琉球のみならずアイヌも支配し、江戸期の日本は既に帝国だったという指摘もされていました。
とかく明治のアンチテーゼとして理想化されがちな江戸時代ですが、近代以降の侵略国家としての道のりもまた同様に準備されていたということは頭に入れておきたいことです。
そこにはまたさらに無視されがちな "南蛮" という要素も加わってくることでしょう。
本書は学術書というより関連した文章をまとめたエッセイ集に近く、内容にややまとまりのないところがありますが、日本史は日本のことだけ考えていたら分からない、というのが著者の指摘です🙂
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