まあ、こんなこと言ったらなんなんですけど、作者の 肩書き がまずすごいですね😳



歌人・細胞生物学者。JT生命誌研究館館長、京大名誉教授、京都産業大名誉教授。

歌人としても「塔」短歌会元主宰、朝日歌壇選者、宮中歌会始詠進歌選者。

そして妻も歌人の故 河野裕子……😢



永田和宏著「あの胸が岬のように遠かった 河野裕子との青春」新潮社より。


2010年に亡くなった妻・河野裕子との思い出を綴ったエッセイのようなもの。と、同時に作者自身の自伝にもなっています。


学生時代に短歌を通じて知り合った二人の、特に没後見つけた妻の日記。そして自分の日記や二人で往復した書簡。

何より二人が作った短歌を中心に、自らが送った青春がどんなものであったかを紹介していきます。



幼くして実母を失い、継母とは必ずしも関係が上手くいかず鬱屈した子ども時代。


しかし経済的には恵まれていた作者は早い時期に文学に目覚め、同時に湯川秀樹に憧れを抱き科学者への道を志します🔬

首尾よく京大物理学部に入学しますが、時代はまさに学生運動華やかなりし頃。

作者も大学に行くよりは、学外で短歌や学生運動に力を注いでいくことになりました。


そこで知り合った河野裕子……😍

しかしその頃、河野にはNという心に慕う男性がいました😢。Nと永田の板挟みになって苦しむ河野🥺


……というと何だか大ごとですが当のNと河野とは文通だけで会話した経験もほとんど無かったというから牧歌的というか何というか😅


「短歌」に「恋」に「学生運動」。今なら「学生運動」はともかく後の二つはまあ良い趣味だということになりそうですが、時はまだ1960年代。

「恋」も「短歌」も、「学生運動」と同様に学生には好ましからざる行状と見做されていた時代なのでした😱


お互いに死を望むほどの苦悩に身を焦がしながら、永田は無事に森永乳業の研究室に就職が決定😐

学生運動とはすっぱり縁を切り🫤、河野と結婚するのでした😑。めでたしめでたし。

……ま、意地悪なことをいうのはほどほどにしますが。


三重苦とすら自らが称した「短歌」に「恋」に「学生運動」を貫き通した学生時代が作者ら世代の "青春" といえそう。

それだけまだ抑圧が強い時代だったということも可能でしょう。さて、今の若者とどっちが「幸せ」か。


「このようにしか私たちには生きられなかったのである」というのが本書の末尾の言葉です🙂







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