なかなか力の入った本格的な評伝でした。この本を知ったのは👇のツイートから



ツイート主の田中信一郎さん自身の著書については👇の記事を書いたことがあります

と、いうわけで今回は関良基著「日本を開国させた男、松平忠固 近代日本の礎を築いた老中」作品社より


大老 井伊直弼が勅許を経ず不平等条約を結んだのが日本の開国……というのが一般の理解
しかし著者はそれに真っ向から異を唱え、勅許を求めて条約締結を渋る井伊直弼を抑え込み、幕府の責任において堂々とアメリカに渡り合い、"ほぼ" 対等な条約を結んだのが日本の開国だと主張します
そして、その立役者こそが、信州上田藩藩主にして外交担当老中であった松平忠固だと😳

あまりに突然な論考なので面食らいましたが、史料をふんだんに使って説得力ある論考になっています


松平忠固は同じく信州松代出身だった蘭学者 佐久間象山と親しく、当時としては西洋の事情に深く通じていました
また、上田藩は生糸が名産。西洋相手の貿易が始まれば自藩の質の高い生糸が高く売れるという計算もあったと思われます

将軍家の一門である松平姓を名乗り、領地の上田はかつて真田家が治めた要衝の地🏯
この両者が相まって松平忠固は、時に不遜とさえ思われるほどの高いプライドで、朝廷の国政への容喙を許さず、大老の権威にも媚びす、堂々と開国を主張したといいます

そこで結ばれた日米和親条約は関税自主権のない「不平等条約」と従来の歴史では考えられてきました
しかし著者はその関税率に注目し、関税自主権という名こそ譲ったものの、その分高い関税率をもぎ取り、名を捨て実を取る実際的な外交をしたと指摘します
その高い関税率を失ったきっかけが、皮肉にも長州が起こした五ヶ国砲撃事件と、薩摩が起こした薩英戦争だったとも

アヘン戦争の「敗戦国」だった清と違い、「交渉国」だった日本はそれだけ交渉の幅があったのに、上記二件の "攘夷" のせいで日本は「敗戦国」となり関税率を失うことになったのだと
その関税率を保持できれば日本の近代化はスムーズに進み、明治以降の無謀な対外膨張も避けられたとすら著者は指摘します

その根底にあったのが、徳川斉昭らの水戸学から生まれた尊王攘夷=対外強硬型ナショナリズム(大日本主義)と、佐久間象山らが目指した大開国=平和型リベラリズム(小日本主義)の対立だとも
松平忠固は開国して終わりではなく、日本産の生糸を輸出産業に育成するべく産業の大改革も目指していたとか
軍備ではなく産業の力で国の独立を図る。それが佐久間象山らが目指した大開国でした

惜しむらくは松平忠固は条約締結後、力を使い果たしたが如くに急逝(暗殺説あり😱)
また松平忠固は政争が苦手で、将軍継嗣に端を発した一橋派(慶喜)と南紀派(家茂)の対立にも無力だったといいます
てか条約締結で手一杯で、将軍継嗣に関心を持つことすら難しかったとも
にもかかわらず一橋派・南紀派双方から憎まれたらしいから何ともはや
今の政治家にもありそうな話ではありますが😅

かくして明治以降は歴史に埋もれ、興味も持たれなかった松平忠固の存在
かろうじて一部の郷土史家が調べていた成果を元に、著者は現代史にも繋がる評伝を仕上げました

キリスト教に何ら偏見を持たず(←これも当時誤解された理由)自分の子どもが外国人と結婚しても何ら問題ないと公言していた松平忠固
実際に彼の息子は日本で初めての国際結婚をして、その孫は日系人として初めてアメリカの市長に就任したというのが一番の驚きでした😳🇺🇸



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