いつまでも天下布武ではなかろう


 秀吉が義昭を河内国若江城へ警固して送り届けてから十日後の元亀四年七月二十八日にステージを戻すことにしよう。信長は朝廷に奏請して「天正」と改元した。そして、「高きは下をもって基とし、民は食をもって天となす、その末をよくする者はその本を正し、その後を慎む」と説いて、儒学を修める者を特別に優遇すると宣言した。 

 この事実を初めて知ったとき私は仰天した。

 「天下布武はそういつまでもつづくことではない。また、つづけるべきではない。今後は天下を治めることに意を注ぐ」 

 以上のごとくに信長の声が聞こえたように覚えたからである。 
 天下布武は最終目標ではなくて、天正改元こそ次なる目標の高らかなる宣言だったとすると、従来の史家が頭を悩ませ心を痛めてきた「叡山焼討ち」「長島一向一揆衆焚殺」が信長の残虐性を意味するものではないことがわかる。
 
 当時の信長にとって、朝倉・浅井攻めはすでに準備が調っており、出陣すれば決着するだけの案件で、気持ちはすでに事後のことにあったものと思う。だから、新たな課題が視野に入ってきた。その意識の反映の一つの表われが天正改元であり、もう一つ、安土築城だった。安土城の発掘が進んで天守の構造が解明されたことで当時の信長の気持ちが見て取れるようになったのはさいわいというほかない。当時の安土城を実況中継ふうに再現してみよう。 

 弁天内湖、伊庭内湖と呼ばれる琵琶湖の内湾に半島状に突き出た安土城下の南側、北国街道の道筋に城下町が新しく開けた。街道沿いに楽市楽座の商家が整然と区画され、安土城のある山の麓から中腹にかけて石垣積みの高塀をめぐらせた家臣団の屋敷が連なっていく。二重の濠から家臣団の屋敷群、三の丸、二の丸、本丸と次第にせり上がっていく城郭の頂点に聳えるのが、五層七階の天守閣であった。 

 天守閣の斬新な意匠は信長の進取の気性を象徴するかのようである。上二層の下が朱塗で八角形をし、その上に金箔を押した方形の天守台を戴くという天守閣の構成は型破りであるばかりか前例のない様式美を見せている。 
 なだらかな鞍部を隔てて本丸と真向かう安土山の肩に総見寺なる信長開基の寺院がある。信長が開基となって城内に総見寺を創建したということも過去に例を見ないことだ。鞍部から南に少し登れば総見寺、東に下れば大手門という配置である。城下町側の百々口から急な石段を登って来る道は、仁王門から総見寺の境内を経て鞍部で大手道と一本に繋がり、左に鍵型につづく石段をたどって二の丸、本丸へとようやくにして達するのである。

 岸辺に蘆荻の茂る墨絵のような景色を見せる弁天内湖を望む高所には懸崖造りの能舞台が設けられていた。構造は京の清水舞台を参考にしたという。本丸石垣上には屋根付きの櫓がある。屋根付きというのは当時の櫓としては珍しいもので、鉄砲の威力を知り尽くした信長ならではの防御の工夫というべきだろうか、雨天でも火縄を濡らさずに応射できるようになっている。屋根付きの櫓から見下ろす野面積みの石垣は清洲城より目測で三倍は高く積み上げられてある。晴天のときでも高所から敵を眺め下ろして射撃する城方のほうが遥かに優位を占めるのはいうまでもない。 

 城下町は総見寺の伽藍に妨げられて見えないのであるが、家臣団の屋敷が大手道に沿って階段状に連なり下り切ったところが大手門で、濠というより池といったほうがよさそうな水面に北国街道の松並木が影を映している。さらに遠くを眺めると、水田を隔てて旧城郭の遺構のある観音寺山、右に目を移すと近江富士と呼ばれる三上山が、遥かかなたに端正な円錐形の姿を見せている。 

 本丸には天守閣の直下に天皇の御幸を仰ぐべく御所を真似た屋形が設けられており、後世、何のためにつくった屋形かと憶測を呼び、いまだに結論に達していない。本丸天守は五層もあって、しかも七階である。屋根を金の鯱で飾って瓦の凹みには金箔が押してある。それらが鈍色の甍に調和して燦然と輝いており、屋根瓦に挟まれた白壁にも朱と金と黒を重ねた装いが施されている。

 五層七階天守の内部は三階が信長の住まいで、まず一階の扉を開けると、筒型をした外壁全体に金箔を押したきらびやかな宝塔が聳える。地下一階から三階まで吹き抜けになって、建物の壁面にも金箔が押し詰められている。四囲の壁を方形に区切る柱や桁はすべて黒漆塗で、宝塔が板敷の基部から燦然と輝く広い空間を程よく占めており、方形の屋根から伸びる相輪頂部の上空にも広い空間があって、あたかも宇宙を連想させるかのようである。

 信長は第六天を信仰した。宝塔造立に籠められた信長の気持ちは、恐らくは金剛界の具現にあったのであろう。第六天は仏教にいうところの外道・他化自在天のことで、欲界六天の第六すなわち最高所を指し、この天に生まれた者は他の楽事を自在に自己の楽として受けられるとされる。すなわち密教でいう胎蔵界と金剛界の両界曼荼羅の一方であって、胎蔵界諸仏の悲の徳を象徴するとされている。ちなみにもう一方の金剛界は大日如来を智徳の両面から開示しようとするもので、向上進修の極致たる聖域を象徴し、結果として一切の煩悩を打破するに至るということである。宝塔は仏をまつる塔で、仏教の理想郷を表すものというから、天下布武を達成して天下を治める方向に舵を切った信長の気持ちを表しているとみるべきだろう。

 安土城はこれから犯す殺戮の免罪符的な意味合いがあると同時に「天正の治」の象徴だった可能性が高い。儒学を世に広く受け容れさせるために皇室と一体化を策したのである。信長が覇権から治世に軸足を移したとみなすと、安土城の構造がなぜこのようなものになったのか、おのずと説明がつく。

 安土城の構想は仏教を土台に儒学を行動規範に据えた信長の政治哲学を反映したものであろう。問題視される本丸屋形を御所に似せたつくりにした意味を浮き彫りにするには、年表から天正七年十一月の記事「織田信長、正親町天皇の東宮誠仁親王の第五皇子を猶子とし、二条の新邸を献上」の部分を抜粋すれば十分と思う。すなわち、信長は「天下布武の達成は幕僚に委ねて自分は天下を治める方向に舵を切った」のである。

 ここで「天正五年十二月十日」の記事に着眼するとしよう。中国陣の秀吉から近日出頭するとの連絡が入ったにもかかわらず、信長は「褒美におとごぜの御釜を遣わす」ことにしておいて鷹狩りに出かけてしまった。いつまでも天下布武ではないだろう早く中国を平定せよという「無言の檄」だったと思う。信長のそうしたあせりはいくさぶりにも現れてきた。

 天正四年四月、本願寺を攻めたとき、信長は陣頭に立って劣勢を立て直して勝利した。信長の初期のいくさぶりを象徴するのが桶狭間の合戦である。軍団と一体化した信長は常に先頭をひた走って敵に襲いかかるのを常とした。それが闘争本能でもあるのだろう、桶狭間で先頭に立って今川勢に攻めかかった信長の癖がまたぶり返したのである。

 天下布武も過程なら、宗教戦争も一過性のもの、ならば早く究極の事業に着手しようではないか。

 仏教的思想を土台に儒学を大本とする治世を決意した信長としては早く過程を終わらせるため範を示さずにはいられなかったに違いない。結果を欲しがらなかった信長が、俄然、結果を望み結論を急ぐようになった。そこから生まれるいらだちが後世の史家から不可解と指摘される行動を次々に生み出していったわけである。                             

(つづく)



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真相に迫る近似値を解析する九つのセンスとノウハウ

これまでの日本史は「俺が、俺が」と個人が勝手に解釈して書き散らかす時代でした。
100パーセント真実といえる事実など時のかなたの当時以外には存在し得ないという大原則に照らすとき、いつまでもそれでよいのかという思いに駆られます。真相に迫る近似値を掘り起こすためにも方法論を用いて確かな道筋を模索し、一致協力してかかる時代の幕開けをもたらす必要があるのではないでしょうか。
そこで、次の九つのセンスとノウハウを駆使して解析する試みを提案します。


疑問感受性
 (解析の切り口を発見するのに不可欠の疑問を感じ取るセンス)


見識物差し
 (歴史上の人物の見識レベルで判断する洞察力)

モンタージュ法
 (踏まえるべき事実群から法則性を持つパターンを選り分けてクロス分析するセンス)

因数分解解析法
 (発言や手紙文を要素別に分解して思いもよらない背景を描き出すノウハウ)

セグメント抽出法
 (踏まえるべき事実をセグメントして多重解析により思いもよらない背景を描き出すノウハウ)

パターン物差し
 (パターンを比較して潜在状況を読み切るセンス)

時系列物差し
 (踏まえるべき事実を時系列的に相関させて一連の動きを筋道立てて掘り起こすセンス)

仮説検証法
 (方程式は未知数Xを含む等式ですが、仮説Xを用いて真相の近似値を導く手段です。ただし、仮説Xを立てないと解析が一歩も進まないという場合に限って用いる最後の手段です)

ジグソーパズル式多重モンタージュ
 (最後に仮説検証法も含めて八つのコツから導かれた解析結果を矛盾なく組み合わせて真相に迫る近似相を再構築します)



習うより慣れろ
 本講座のモットーです。
説明するよりも実例を用いたほうがわかりが早いと思います。これから更新するたびに実例を展開して解析法を演習していきます。
本講座と出会ったのがきっかけで自力で解析できるようになり最高の知的エンターテイメントを手に入れていただきたいと願っております。


記録にない事実を掘り起こす
 これが真実だといいきれる事実はない、というのが本講座の基本認識です。
したがって真相を解明するというより真相の近似値を解析するのが本講座の目的ということになります。
記録が少なく既成の解釈や推測まじりの史料から得た事実だけでは解析の精度が低くなりがちなので、極力、埋もれた事実の発掘に努め、解析の精度を高めていく必要があります。
もう、これ以上は不可能というところまで、本講座に終わりはありません。 

どのようにして埋もれた事実を発掘していくのか、実例を用いて説明していきたいと思います。




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