ペリー艦隊の第二次来航に加わった輸送艦レキシントン号に積載されてきた実物大の四分の一大の蒸気機関車に籠められたアメリカ政府のメッセージは、蒸気機関車を熱望する日本政府の強い意向に合わせた結果だということが判明しました。
実は、輸送艦レキシントン号の動きを時系列的に逆にたどると、これまでの本書の推論が正しいことが確かめられるのです。以下は、秦野裁判長の論述書の長井検事による代読です。
輸送艦レキシントン号は第一次の艦隊編成から外れていた
ペリーの来日前の艦隊編成計画は蒸気機関を備えたフリゲート艦がサスケハナ号、ポーハタン号、ミシシッピ号の三艦、帆走式のスループ艦がマセドニアン号、プリマス号、サラトガ号、ヴァンダリア号の四艦、帆走式輸送艦がサザンプトン号、レキシントン号、サプライ号の三艦、合計十隻であったが、ものものしすぎるという理由で大幅に削減され、サスケハナ号、ミシシッピ号、プリマス号、サラトガ号、サプライ号の五艦編成となり、このうち帆走式輸送艦サプライ号は那覇に待機させられてしまったから、日本を相手に戦端を開くことは事実上不可能になっていた。帆走式輸送艦レキシントン号は第一次派遣艦隊の編成からはずれて、二度目の派遣編成で艦隊に参加したわけで、同艦の動きを時系列的に逆にたどると次のようになる。
⑤西暦一八五四(嘉永七)年一月、ペリー旗艦、那覇碇泊中にオランダ東インド総督経由で幕府から「将軍家慶が死去したため国書に対する回答を延期したい」という公文書が届く。ペリーは西暦一月二十三日付でこれを拒否。
④西暦一八五四(嘉永七)年一月、本国政府から政権交替を意味するピアース大統領の命令書が香港出港直前ペリーに届く。ペリー、サスケハナ号を旗艦にして香港を出発。ポーハタン、ミシシッピ、レキシントン、サウサンプトンがつづく。
③西暦一八五三(嘉永六)年十二月、帆走式補給艦レキシントン号がアメリカから香港に到着。
②西暦一八五三(嘉永六)年十一月十四日、ジェームズ・ドビン海軍長官、日本に対しても同様の暴挙に出るのではないかと危惧し、ペリーに急書を送って琉球占領中止を命じる。しかし、ペリーの手に渡ったのは日米和親条約締結後だった。
①西暦一八五三(嘉永六)年三月四日、フランクリン・ピアースが第十四代アメリカ大統領に、ウィリアム・キングが副大統領に就任。第一次浦賀来航に際して幕府に手渡す国書をペリーに託した第十三代大統領ミラード・フィルモアは退任。
ペリーの第一次来航に対応する本国政府はフィルモア政権で、ジャクソン・ドクトリンに反対はしないまでも、わざわざ危険を冒してまで「実物の四分の一大の蒸気機関車」を持参させる考えはなかった。それに対して、第二次来航に対応する本国政府は、ジャクソン・ドクトリンを信奉するピアース政権だった、という事実が浮き彫りになってくる。
一度目に実物の四分の一大の蒸気機関車を持参しなかったのは、本国政府にそのつもりがなかったからで、どうしてもそれを日本に披露する必要性を痛感していたピアース政権が、補給艦レキシントン号に積み込み、急いで派遣してきたため、二度目になったというわけである。輸送艦レキシントン号の派遣は第一次編成になかったということに、実は重大な意味がある。
もっとも、ペリー艦隊の第一次来航に対応するのがフィルモア政権で、第二次来航に対応するのがピアース政権である、ということに気づいたとしても、おそらく重大な意味には気づかないだろうと思われる。
長井検事が論述書の代読を終えると、秦野裁判長が待ち受けたように口を開きました。
「そこから先は、わしが口頭で説明する。実は、これまで、長々と解説してきた事実群、仮説群にたどりつく糸口になったのが、ペリーが第二次来航のときに陸揚げして、デモンストレーションを試みた実物の四分の一大の蒸気機関車だった。もちろん、単独では糸口にならない。たまたま、わしが、幕府がオランダに蒸気機関車の購入を打診した事実に関心を寄せていたことと結びついて、疑問感受性をいたくくすぐられたわけだよ」
長井検事は黙って耳を傾けています。
「もっとも、それだけでは起爆剤の役割は果たせない。あるとき、テレビ番組のコメンティターが、輸送手段という言葉を使ったとき、あっという感じでひらめいた。ペリー来航は、太平洋航路の開設がようやく目前に迫ったタイミングで実行に移された。当時は欧米同士、あるいは欧米とアフリカを結ぶ大西洋航路が航海の過半を占めており、難所の喜望峰、ホーン岬を経由するのは軍艦か捕鯨船ぐらいなものでしかなかった。それを考えると、実物の四分の一大とはいえ、当時の輸送手段としては能力ぎりぎりの大バクチではなかったかと思う。そこから、放射状に推理を働かせ、至極、穏当なプレゼント外交に徹したアンドリュー・ジャクソン大統領に行き着いた」
秦野裁判長がいうことに、長井検事はいちいちうなずいて答えました。
「マンハッタン号の来日、二宮金次郎の登用、音吉、ジョン万次郎などが、放射状の円周部分にあったということですか」
「これまで述べてきたようなことは、実は実物の四分の一大の蒸気機関車がヒントだったわけだが、今度は、そこから戻ってきて、次の事実にめぐり合ったというこっちゃよ」
秦野裁判長が語ったのは、副大統領に死期の迫ったウィリアム・キングが就任して、わずか二十五日後に死去したという事実です。就任の宣誓は三月二十四日でしたが、本来の就任は三月四日ですから、正式には四十五日在任したわけですが、末期の結核ですから、隔離されて職務を果たすのは不可能でした。六十半ばで、結核持ちで、しかも末期症状のキングを、ピアースはなぜ副大統領候補に指名したのかというと、ポーク大統領当時の国務長官ブキャナンとの関係から、どうしても副大統領に就任しなければならないわけがあったとしか考えられないのです。
秦野裁判長がいいました。
「キング副大統領の就任式を療養先のキューバで行うことを、議会が特別に承認していることから考えて、実物の四分の一大の蒸気機関車をつくって、ペリーの第二次来航に間に合わせるというか、レキシントン号の到着に合わせてペリーの来航を二度に分けた、ということではなかったか。日本側も家慶の死去により、一年後の来航を望んだこともあり、必然と偶然が重なり合った、ということではなかったか」
「ご明察。恐れ入りました」
長井検事が感動して、秦野裁判長の推理洞察を讃えました。
「これこそ、ジグソーパズル式シチュエーション構築法の極致といえそうです。日本史のすべての領域が、ジグソーパズル式シチュエーション構築法によって再考証されたら、日本史は崇高かつ奥深く生まれ変わるのですが」
「政府が気づいて、まず、日本史の問題と正解から検証し直さないと、正しいことを書いても正解にならないだろうし、いつまでもダブルスタンダードの状態がつづいてしまう。すでに上梓された著書の信憑性が覆ってしまう問題もあるし、正しいからといって、簡単には改まらないだろう。われらは問題を提起するのみ」
「是正は百年後、二百年後の人たちに委ねるほかないということですかね」
「そういうこっちゃ。しかし、その問題は重要なテーマには違いないから、最終最後の段階で取り上げることにする。本日は閉廷」
