ペリー来航に関して証拠事実をきちんと踏まえたうえでの考察(その6)


 ベリーを迎えた幕府側の動きを対応させながら、さらに「ペリー来航」に関する再考証を進めます。いつものように、秦野裁判長の論述書を長井検事が代読します。

 

 松平伊勢守による幕政壟断の手口

 

嘉永六(一八五三)年六月、浦賀に来航したペリーが一年後の再来航を約して離日。直後、阿部正弘は万次郎を幕府普請役格として召し出し、江川坦庵配下の手代として身柄を預けたうえで、ペリーが再来航したとき通訳を務めさせることにした。もちろん、松平近直の建言によるものである。

嘉永七(一八五四)年一月十六日、ペリー軍艦五隻、輸送船一隻を率いて再び浦賀に来航してのち、一月二十七日、ペリー応接地が横浜村に決定した。しかし、万次郎をスパイと疑う水戸斉昭の反対で彼は通訳から外されてしまうのだが、阿部正弘から江川坦庵に外交関係の書類が渡されたためスパイの嫌疑のかかった男に筒抜けになってしまった。こういう人を喰ったやり方が松平近直の真骨頂であった。

 嘉永七(一八五四)年二月一日、筆頭勘定奉行松平近直、韮山代官江川坦庵、そして幕府普請役格に取り立てられて中浜万次郎を名乗ったジョン万次郎の三人は神奈川宿に出張した。三人はそこでペリー応接責任者の江戸町奉行井戸覚弘、浦賀奉行伊沢政義と落ち合い、幕閣の命令を伝え、徹夜で交渉の方針を打ち合わせた。すなわち、ペリー応接地が横浜村と決した直後の晩、普請役格にすぎない万次郎が、幕府海防掛の松平近直、江川坦庵と一緒に神奈川宿に出張して、これを迎えた江戸町奉行と浦賀奉行を加え、今後の交渉について基本方針を打ち合わせる席に連なったのである。まさに衝撃的な事実であり、水戸斉昭をあざ笑うかのような働きではないか。

嘉永七年二月二日、それを知った水戸斉昭は、江川坦庵に直書を届けさせて万次郎の使用を断念するように迫った。午前八時、万次郎は松平近直、江川坦庵とともに阿部正弘に報告するため神奈川宿を出発。坦庵のみ途中から馬で先行し、正午、江戸城に登城して阿部正弘に報告、その足で水戸斉昭を尋ねて談判を開始し、激論数日ののち、横浜村応接所で交わされるアメリカの公文書はすべて万次郎によって翻訳されることになった。

 このような経過をたどったため、万次郎が外交の表舞台でスポットライトを浴びることはなくなったわけであるが、彼が寝起きする韮山代官所江戸屋敷には幕臣や江戸詰めの各藩士が連日のように押しかけてきて、アメリカの文明について諮問しつづけた。その数ひきもきらずと記録されており、ペリー来航中は面会を謝絶したほどであった。これまで海外の情報にまるで疎かった武家階級に、世界の政治の仕組みや文明の進歩を伝え、広めた意義はきわめて大きかったといってよい。

 そうした結果、万次郎をアメリカのスパイと疑って忌避しつづけた水戸斉昭さえ態度を改めて、ペリーが神奈川条約を締結して退去すると、「自分を条約批准の使節としてアメリカに派遣して欲しい」と阿部正弘に申し出たほどであった。水戸斉昭は万次郎を受け容れたばかりか、攘夷論を翻して、実質的に開国論へ転じたのである。

 そこには「松平伊勢守」の面目躍如たるものがある。

ジョン万次郎が果たした役割というか、アメリカから情報をもたらした効果はそれほど劇的であった。実物の四分の一大の蒸気機関車こそは、日米共通のメッセージであり、そこにこそ究極の外交的意義があったわけである。

 

ピアース政権は究極のジャクソン・ドクトリン政権だった

 

近代文明の目に見える象徴を蒸気船、電信機、鉄道という三つの通信交通手段とすると、外輪推進式蒸気軍艦、電信だけでも日本人の認識を改めさせるのに十分と思われるが、ジョン万次郎情報の効果をより高める観点からすると、日本政府が早くから購入の意思を示した蒸気機関車が加わるのと、否とでは、天地ほどの違いがあった。しかし、実物大のままでは喜望峰なり、ホーン岬の難所をクリアできない。さりとてロシアが用意したというミニチュアでは、説得力を欠く。慎重に計算した結果、実物の四分の一の大きさならば、効果を失うこともなく、しかも、航海の安全を期することができることがわかった。かくして、対日外交の切り札的プレゼント品として実物の四分の一大の蒸気機関車の製造が決定し、直ちに着手されたのである。もちろん、実物の四分の一大の蒸気機関車の製造と並行して、フィルモア政権から政権を奪還する選挙戦に全力が傾注された。

 一八五二年のアメリカ大統領選挙では、ジャクソン・ドクトリンを支持する民主党の対立政党であるホイッグ党が現職のピアースを下ろして、メキシコ戦争で名をあげた陸軍総司令官のスコット将軍をかついだのが、そもそも蹴躓きの原因であった。それに対して、民主党はジェームズ・ブキャナン、ルイス・カス、スチーブン・ダグラス、ウィリアム・バトラー、フランクリン・ピアースらが乱立したにもかかわらず、最終的に最も無名のピアースに一本化したことが功を奏した恰好である。この年の選挙は、パターンとしては、ブキャナンがアンドリュー・ジャクソンの意向で、まったく無名のジェームズ・ポークを応援し、大番狂わせで当選させた一八四四年大統領選挙の再現とされている。と、いうことから考えると、死期の迫るウィリアム・キングを副大統領候補にすることが、ブキャナンが選挙戦から降りる条件だったと考えられなくもない。

 そのように勘ぐられても仕方がないくらいブキャナンとキングは親友以上に強い結びつきを持ち、アンドリュー・ジャクソンを尊敬してきた仲である。実物の四分の一大の蒸気機関車の製造の発案は、二人のうちどちらかというより、二人の悲願であったというべきで、キングの副大統領候補受諾はそのためだったのではないか。すなわち、実物の四分の一大の蒸気機関車は、単に幕府への献上品であるというだけでなく、以上のように何らかのメッセージ性を強烈に持つ特別なプレゼント品であり、時のアメリカ副大統領ウィリアム・キングの死に花であった可能性が極めて高い。

          

 長井検事の代読が終わると、秦野裁判長がいいました。

「パターン認識の観点からいうと、アメリカ情報を幕臣や藩士に忌憚なくジョン万次郎に語らせたやり方は、二宮金次郎に日光御神領の復興事業という名分を与えて面会を謝絶させ、幕府財政立て直し原論ともいうべき『富国方法書』を執筆させたのを裏返したもので、手口としては同一とみなすべき性質のものだ。こうした推論のやり方から出た実物の四分の一大の蒸気機関車を切り口に選んだお陰で、概略以上のような途方もない「嘘」が瓢箪から駒のように生まれたわけであるが、しかし、これほど手の込んだ嘘もないだろう。これまで方法論が用いられてこなかったことが、逆に幕末史ないしは日本史再考証の余地をふんだんに残しているわけで、これからは魅力的で奇想天外なフィクションが草刈場的に続出するであろうこと請け合いだな」

「日本史は時代小説の宝庫とおっしゃりたいわけですね」

 長井検事はそういって、わざと両肘を張り、大げさに頭を低く下げて、秦野裁判長に敬意を表したのでした


(つづく)




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