これ以上のいくさの継続は不可なり


太田(北条)氏房による荻窪口蒲生氏郷陣地への夜襲について、なぜこのような行動に出たのかわけがわからなかったのであるが、降伏勧告には応じないという北条氏の明快な意思表示と当座は理解するほかなかった。それよりも、氏政がなぜ氏規を拘束して説得工作をやめさせなかったのか、ということのほうが大問題であるというのがこれまでの理解の仕方であったのだが、平成二十五年三月十三日夜、唐突に思い当たったのが荻窪口の地形であった。

幕末における二宮金次郎の隠密任務を解き明かそうとして小田原に足しげく通ううちに風が吹けば桶屋が儲かる式に北条氏研究が始まり、その過程において小田原在住の史家田代道弥さんに案内していただいて荻窪口に佇んだことがある。虎口らしき遺構の下に急峻な傾斜地がかなり下方までつづいていた。虎口を出てすぐに戦闘になるような地形ではなかった。攻め下ったのはよいが引き返すとき急な斜面を登り返すことになり、追撃の危険を深刻に感じ取ったはずである。結果は局地戦にしかならず勝敗に影響を与えるには至らなかったとなると、太田(北条)氏房による荻窪口蒲生氏郷陣地への夜襲を北条氏政・氏直父子による問いとし、局地戦に終わった現実を回答とするなら、このいくさの意味はおのずと明らかである。

「いくさの継続は不可なり」

 この理解に達したとき、夜襲の発端と結末を私は肌で感じた。

 荻窪口は総構の小田原城の最高点に近い。平時は勝手に「風魔衆」の名を冠された山田家の当主が麓の屋敷から上り下りして木戸の戸締りをしたと聞く。本当にそこに立ってかなり下方に位置する荻窪の畑地を見ていなかったら、未来永劫にひらめきはなかったと思う。

そこで思うのは、なぜ平地の酒匂口、井細田口、早川口でなく、山の上の荻窪口だったのか、ということである。早川口は鉄壁の包囲網のど真ん中だから飛んで火にいる夏の虫になってしまう。酒匂口は家康本陣、井細田口は織田信雄の本陣である。これまでのいきさつからしてどちらもあり得ない。残るは荻窪口ぐらいなもので、無理にこじつければまだ無事を得ている八王子城なり鉢形城へ落ちのびるため血路を開こうとしたと考えられなくもないが、いくらなんでも北条氏とてそれほどとろくはないだろうから、それはない。そんなことより、あらためて感心させられるのは地形こそ第一級の史料であり、現場を踏むという形而上学的意味の凄味である。

あるいはまた、踏まえるべき事実群がインプットされるようになると、自然と疑問が湧き、答えが得られるまで脳は働くのをやめないということであろうか。

 さて。

前述の氏規の論旨をよく理解していたということを前提として氏政・氏直父子は「戦闘継続不可能」の結論に達したのは間違いない。はたしてそれを裏づけるように、天正十八年七月五日、北条氏政は一転して氏規の説得を容れ、子の氏直を伴って城を出、家康に降伏を申し入れたのであった。もちろん、宗二惨殺が保証書の役割を持ったからであろうと思われるのだが、北条氏の家康に対する信頼がこのときになっても絶大だったことを物語るものである。

 信頼……。

 これがいかに大切であるか。

 それあっての分別であろう。共倒れは何としても避けなければならない。どちらかが関東で生き残るなら伊勢平氏の北条ではなく、源氏の徳川である。こうした大局観がわかっていたとしても、信頼がなければ打算に迷い、それがもとで信頼に皹が入り、離反を常なくしてしまう。そうなってしまったら、いかなる徳目を説いても水と油の関係に陥り、遂には末を誤ってしまう。

 家康にしてみれば、徳川氏への改姓は刺青のように長いこと苦悩の種であった。関東へ入ることで、その桎梏から解放される。目先の出来事に関係することだけではなく、行動の自由を得る契機なのである。北条氏にする約束はそれだけに重い。おいそれには反故にできない意義が、北条氏なかんずく今川の人質であった頃からの盟友氏規との信頼に応えることにはあった。

 なんということであろう、家康と北条氏の信頼関係は氏規とともに今川義元の人質だった頃にまで遡るのだとは……。

 それはさておき。

信頼を物差しの目盛に取っていうならば、秀長が健在でいたとき豊臣家には信頼の糸が網目のように張り巡らされていた。だが、秀長の死後、秀吉の思うようになってからは「太閤という虎の威を借る」味をしめた石田三成という狐以外は面従腹背に徹してしまう(石田三成ファンのみなさん、ごめんなさい)。

 物事は信頼に始まり信頼により全うされるというのは、その後の徳川家のみにいえるわけで、北条家も家康を信頼して無血降伏を決断したお陰で氏直、氏規、氏邦らを温存し血脈を保ち得た。末をよくしなかったのは、むしろ、勝利者の豊臣氏のほうで、小田原合戦はそうした面でも見事なまでの分水嶺となった。

 小田原合戦の真の勝利者はどちらだったのだろうか 
(つづく)




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