キーワード「勃興」と「消滅」を再現させるための踏まえるべき事実、見えてくる事実の実例(その4)


ペリー来航後の日米外交モラトリアム(その4)

 

 ハリスが下田から身動きできなかったのは、幕府の都合だけが原因ではなかったわけですが、内政面における政変がもたらす被害は、まことに甚大なものがありました。

 秦野裁判長の論述書を長井検事が代読して、本日の公判が始まりました。

 

 運命の転変は坂を転げ落ちるがごとく

 

今、ここに至っても、攘夷論から脱却し切れない水戸斉昭は論外であるとしても、問題は井伊直弼の今後の出方だ。井伊直弼は表向き開国論者であるかのように見せかけながら、めざすところは寛永時代への復古であって、外交など二の次、三の次というスタンスを頑迷に墨守しつづけた。井伊直弼は、そのために大老就任を画策したといってもよい。そのためにも、井伊直弼としては開国派と攘夷派の衝突が内乱に発展しては困るわけで、開国事務などは枝葉としか考えなかった。結果として、朝廷から勅許を得たうえで進めればよいという内国重視で、対外的には消極的な姿勢にならざるをえなかったわけである。保身を考え始めた勘定奉行・大目付系海防掛も同じ考えで、井伊直弼その人が大老に就任しても、それほど問題は生じないと高をくくっていた。それゆえに内心は一橋派支持でありながら南紀派にも理解を示す穏健な姿勢を取ったのであろう。海防掛を二分させた原因は井伊直弼に対する警戒心の度合いの違いにあり、身分の軽い「成り上がり者」で構成される目付系は勘定奉行・大目付系海防掛のようなわけにはいかなかった。当然、自分たちは排斥されて勘定奉行・大目付系の者だけの海防掛になってしまうことに対する危機感が彼らには強くあった。結果として見れば、井伊直弼が海防掛を事実上解体してしまうところまで読めなかったのだから、直弼本人に対する認識はどちらも甘かったというほかないわけである。

阿部正弘、松平近直、江川坦庵、二宮金次郎らの退場で、輸出用生糸の増産は岩瀬忠震ら目付系海防掛に引き継がれた。生糸の輸出は微粒子病蔓延を原因とする特需で、しかもフランスの養蚕が復活するまでの期間に限られる特需なのだから、復活がなれば暴落が予想され、増産分は宙に浮いてしまう。したがって、通商開始の五年先送りが避けられなかったように、五年後の開始は至上命令であり、早くても遅くても意味をなくしてしまうわけである。和親条約で取り決めた日程で通商条約を締結し、即時調印しなければならないのだから、朝廷の意向をうかがって調印を遅らせるようなことになればチャンスをなくしてしまう。ましてや朝廷は外国人が国内を往来することさえ認めようとしていないのだから、勅許が下るのを待ってもいつのことになるかわからない。そういう意味からも朝廷の意向を尊重する姿勢を崩さない井伊直弼の大老就任は絶対に阻止しなければならなかった。

岩瀬忠震ら目付系海防掛がどっちつかずの勘定奉行・大目付系海防掛と一線を画し、一橋派支持の立場で将軍継嗣問題にまで積極的に踏み込んでいくのは、そうした意味からも避けようのない流れであった。

中居屋重兵衛が輸出用生糸の増産でつながりを持つ岩瀬忠震ら目付系海防掛に同調して、反井伊直弼の姿勢を強めたのはこの頃だった。生糸の増産に関して幕府は民間に直接タッチさせない方針だったから、恐らく中居屋重兵衛に特権的な役割を与えたのだと思う。中居屋重兵衛、岩瀬忠震ら目付系海防掛が阿部正弘、松平近直、江川坦庵、二宮金次郎が道をつけた輸出用生糸の増産体制の確立を引き継いだと考えるとすると、前者がその役割を一身に担い、後者は後ろ楯となって外交日程の処理と将軍継嗣問題の二点に専念するという、役割分担が浮き彫りになり、中居屋重兵衛と岩瀬忠震ら目付系海防掛の共闘がここに急浮上する。

外国御用取扱専任として内政には関係しないはずの老中堀田正睦も阿部正弘の死去で運命が一変した。外交案件を処理するうえで幼少の徳川慶福が将軍継嗣になったのでは何かと都合が悪い。外交面だけの都合で考えれば、攘夷派の水戸斉昭と組むより南紀派の井伊直弼を取り込んだほうが何かとやりやすいのだが、以上の観点から、それもならない。溜の間詰であったことから、井伊直弼から裏切り者と罵られたことも、堀田正睦を一橋派へより傾斜させた要因の一つなのだが、そうすると自分と水戸斉昭の間に外交面で対立する恐れが生じる。いずれにしても二律背反の桎梏からは逃れられないわけで、堀田正睦は有無をいわさぬ感じで内政外交に関与せざるを得なくなり、いずれの面でも立ち往生を常に余儀なくされていくのであった。

安政四(一八五七)年十月十三日、中浜万次郎、鯨漁指南のため箱館奉行所与力次席拝命……。

ジョン万次郎もまた、江川坦庵、阿部正弘の死、松平近直の消息不明で運命を狂わせた一人であった。以後、軍艦教授所教授、遣米使節に随行する咸臨丸の操船教授方通弁主務として歴史の舞台にときおり顔をのぞかせるだけで、残りの生涯のほとんどを日本の捕鯨振興に捧げるほかなくなってしまう。

 安政大地震はこれほど多くの人の運命を変え、あるいは奪い、歴史的推移の方向を二分させる分水嶺となった。あとは坂道を転げる石のように横浜開港、安政大獄、開国維新の終焉へと向かうのみ。

          

 長井検事が論述書の代読を終わると、秦野裁判長が口を開きました。

「ジョン万の疎外は、明治維新までの内政外交のモラトリアムを反映したものであるから、大いなる《消滅》を意味する。歴史にかぎっては、《タラ、レバ》式考察は不可欠であるから、ジョン万次郎が捕鯨の振興というような瑣末な分野に活路を見出す境遇に甘んじず、二宮金次郎のようにハイレベルな幕政の課題に取り組んだなら、相対的に坂本龍馬も影が薄くなり、活躍の場すらなかったろう。井伊直弼の安政大獄という一大破壊行為により、日本史の幕末局面が質的に荒野と化したから、比較的に龍馬らの活躍が目立ち、スポットライトを浴びたのだ。と、いうことはだ、明治維新のサクセスストーリーも、かなりフィクション性による演出効果に負うところ大といっても過言ではない」

「坂本龍馬信仰といった類の組織集団が存在するようですから、かなり風当たりがありそうですが、客観的な考察というものがいかに欠けているかの証左ともいえます」

「そうなんだよ。本法廷は結論を訴える場ではなく、検証の手続きノウハウを広めるのが目的じゃから、事実認識が教義化するのは感心しない」

「でも、難しいですよ。坂本龍馬信仰にかぎらず、石田三成信仰、勝海舟信仰、などなど、日本史マニアは《坂本龍馬命で、他は無視。石田三成命で、他は無視。勝海舟命で、他は無視》ですから、それらの中で坂本龍馬はまだ幾分か、ましかなという程度ですから、こういう悪習からなくさないと竹槍による本土防衛といった現代イソップになりかねません」

「ちょっと、いいすぎたかもしれん。せっかく、とある作家さんがいつまでも明治維新史観に基づく神話に騙されている時代ではないというような内容の本を出して、かなり読まれているときだ。ようやく、正常化への機運が芽生え始めたのだから、ここで反感を買ったりしたら、言葉さえ通じなくなってしまう。このあたりでやめておこう。本日は、閉廷」

 かくして本日の公判は閉廷の運びとなりました


(つづく)




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