幕末史には「一犬虚に吼えれば万犬実をいう」の類の記述が格段に目立つということが、前回の公判で語られました。シャーロック・ホームズ式に事実証拠調べに三十年という歳月を費やした研究を踏まえた本講座の結論ですから、鵜呑みにしないまでも、各自に確認作業をやっていただければ、傍聴人席におられる読者諸兄姉はそうした実例の多いことに恐らく度肝を抜かれることでしょう。
数ある実例のうちで、虚を吼える代表例が「ペリーを迎えた幕府は何の対策も持ち合わせなかったため、周章狼狽するだけだった」というものです。本講座の公判を傍聴してこられた読者のみなさんには、それがいかに事実無根の虚言であるか、よくおわかりと思います。
それと同じくらいにいわれるのが、「井伊大老は開明的だった」というびっくりするような虚言の横行です。まずは、長井検事による秦野裁判長の論述書代読に耳を傾けていただきます。
幕末史最大の盲点・井伊直弼と水戸斉昭の宿命的確執
井伊直弼と水戸斉昭の犬猿の仲はよく知られた事実だ。実は、ここに井伊直弼を開明的と勘違いしてしまう知的落とし穴がある。
ペリーの第一次来航直後、阿部正弘が対応について意見を徴したとき、井伊直弼は二度に分けて意見書を提出した。最初の意見書は嘉永六年八月十日付で、井伊直弼は「兵船を自負して恐嚇する姿は蛮夷の常とするところだが、けしからん」と非難し、「禁教のために行われた鎖国の祖法は変えるべきでない。米国の要求を容れない以上、当然、一戦交える覚悟で臨むべきである」と主張した。
ところが、その一ヵ月前の七月十日に水戸斉昭が「和すべからざる十条五事」を理由に挙げて、強硬な主戦論を唱えた事実をつかむと、井伊直弼は前言を百八十度翻し、ぬけぬけと「交易の儀は国禁でも時世には古今の差がある。そこをよくわきまえて祖法だからといって墨守すべきではなく、二、三の港を開くことは祖法のうちと心得て、むしろ、わが国も火輪船を建造して海外に雄飛することを考えるべきだ」と述べ立てた。
これが井伊直弼を「開明の人」と理解したがる人たちにとって唯一無二の踏まえるべき事実なのであるが、水戸斉昭との角逐に照らしつつ時系列検証を行うと真相とはまったく程遠いことがおわかりになるはずである。
安政大地震で補佐役の藤田東湖を失ってからの水戸斉昭は、頑迷さでは井伊直弼に引けをとらず、舵取りする人もなく、わが子一橋慶喜を将軍にしたい一心で突っ走り、井伊直弼はそれゆえに対抗して、まだ幼い紀州侯慶福(よしとみ)を擁立、見苦しい権力争いに埋没していった。
安政大地震を契機に「教条的で融通の利かない性格は瓜二つなのに犬猿の仲」という二人が、真正面からぶつかる構図が浮き彫りになっていく。これも阿部正弘の死を早めた一因といえる。ましてや、二宮金次郎、阿部正弘を失った松平近直にどうすることができよう。伊勢守あっての「松平伊勢守」である。井伊直弼が大老に就任したら、どうあがいても無事ではいられない。
以上のことからすると、井伊直弼が大老になって関係した安政大獄と桜田門外の変は矮小化されたかたちで理解されているように思われる。水戸斉昭と井伊直弼の反目と対立という以前に、井伊直弼が「何としてもこやつらだけは許せない」とする阿部正弘、二宮金次郎、ジョン万次郎、松平近直がおり、彼らは後世の人たちが考える以上に大きなことを考え、やり遂げようとした、だからこそ、井伊直弼としては許せなかったわけである。
攘夷論の発信源は孝明天皇
さて、ところで。
水野忠邦からバトンを継いだ阿部正弘が、外交と防衛をつかさどる海防掛を新設し、みずから管掌したのはビッドル来航の直後であった。
海防掛というと防衛省的に受け取られがちであるが、マンハッタン号のクーパー船長に友情の気持ちを表す和歌を贈った土岐頼旨、その人が大目付となって加わったように実態は外務省であった。
このまま推移すれば日本は第一次開国状況のまま通商条約の締結調印に突き進んだはずである。ところが、致命的な障害が生じて、途中で頓挫してしまった。 障害は薪水給与令の発令直前にオランダ商館長が「イギリスが日本を目指す準備に取りかかった」と幕府に伝えてきたこと、あるいはまた仁孝天皇が崩御して孝明天皇に代わったことに端を発する。
孝明天皇は「紅毛人と聞くだけで身震いする」というほど病的な外国人嫌いだった。すなわち、内政面で唱えられてきた尊王主義が従来の鎖国令墨守論に結びついて「尊王攘夷論」となり、水戸斉昭を泰斗として巻き返しに出たのだった。それに対して阿部正弘は次の手を打った。
弘化四(一八四七)年九月一日、阿部正弘、水戸家と一橋家を周旋し、水戸斉昭の第七子昭致を一橋家の養嗣子に入れる。昭致、慶喜を名乗る。
永代副将軍家の水戸家は将軍を出すことができない。しかし、一橋家なら出せる。水戸家から初めて将軍を出す可能性を与えることで水戸斉昭の口を封じたのだが、それが井伊直弼の顔を逆撫でしてしまった。
朝廷の海防強化命令で尊皇攘夷熱が燎原の火と燃え上がり、阿部正弘はこれまで以上に「外面攘夷、内心開国」の仮面で行動するほかなくなり、水戸融和策に腐心せざるを得なくなったわけである。
水戸斉昭は阿部正弘のつかみどころのない「外面攘夷、内心開国」の対応を是認しながらも、「丸いもので鯰をつかむようなものだ」とぼやいた。以後、「瓢箪鯰」が阿部正弘の渾名になっていく。
長井検事が代読を終えると、秦野裁判長がいいました。
「幕末史には、このように訂正を必要とする重要事項がたくさんあるわけであるが、たとえば井伊直弼を開明的とする意見の場合、もし受験生が《井伊大老は芽生えた開国の機運をなおざりにして、寛永時代のように士農工商の階級制度を厳格化することを最優先した守旧主義の権化だった》と正しい解答を述べたとすると、現行のテストシステムでは誤答とされてしまう。実際には百点満点でも、採点では零点にされてしまう『ダブルスタンダード』の問題が生じてしまうわけだよ。だから、わしは何が正しいかということより、シャーロック・ホームズ方式の方法論の普及に舵を切った」
「ダブルスタンダードの問題がありましたか。それがあるから、従来の研究者は口をつぐんでいるのでしょうか」
驚いて感想を述べる長井検事に答えて、秦野裁判長はつづけました。
「そういう向きもあれば、純粋に明治維新史観に染まってしまっている向きもある。事実と解釈が合致しない記述をしている史家がそうだな。これからは、歴史小説家が、正しい事実を踏まえて書く以外に手はないわけだよ。従来の定説を墨守する世間の人々は、そのアイデアに驚嘆するだろう。それも今のうちだけどね」
「今のうちとは、どういうことでしょうか」
「著作権は事実には適用されない。事実は著作権の対象ではないのだから、事実として広く知られてしまったら、奇想天外な解釈でも、奇抜なアイデアでも、何でもなくなってしまう。だから、正しい事実が定説になってしまったら、『当たり前』になってしまって、アイデアではなくなってしまう、そういう意味に理解してもらってよい」
「なるほど、学生や生徒にはダブルスタンダードのハードルとなることが、小説家にはアイデアの宝庫になるわけですね」
「そういうこっちゃ。早い者勝ちの草刈場的シチュエーションはすでに始まっている。奮起せよ、歴史小説家諸君ということだな。しかし、残念ながら、歴史小説家は山本周五郎を除いて、歴史解釈を踏襲するばかりで、新解釈にはチャレンジしなかった。歴史小説の読者が書店の店頭から姿を消してしまったことも、歴史小説の後継者育成を難しくしているな」
「相次ぐ歴史小説家の他界、読者が高齢化して図書館通いに徹してしまった、そのために歴史小説も消滅の危機に瀕しているわけですね」
「そうした困難をどのようにして克服するか、だれもが十字架を背負わされているのだよ、明智君」
