ジョン万次郎の帰国航海の一部始終(その6)
万次郎からの聞き書き『十月勘定奉行糺問書』のカルチャーショック 今回の審理から、いよいよ、ジョン万次郎の第二次帰国航海に考証のメスが入ります。開廷宣言につづいて、秦野裁判長が意見を述べました。
「ジョン万次郎がアメリカで暮らすようになったのは天保十四(一八四三)年のことで、バートレット・アカデミーを卒業して捕鯨船フランクリン号に船室係として乗り組んだのが弘化三(一八四六)年。ジョン万次郎がホイットフィールド船長に宛てた手紙をグアムに留め置いたのは、その翌年すなわち弘化四年のことだ。そして、オランダ政府の画策で、アメリカ東インド艦隊グリン艦長がプエブロ号を長崎港に強行突入させてラナルド・マクドナルドを奪還すると、ホイットフィールド船長、伝蔵と五右衛門、ジョン万次郎の順に航海を中断して住居地に帰還してしまった。これがジョン万次郎の第一次帰国航海の顛末である」
どうやら、秦野裁判長は、これまでのおさらいをしているようです。
「第二次帰国航海のスタートは、一八五〇(嘉永三)年十一月で、第一次帰国航海から帰還してすぐ、上陸用ボート購入資金調達のためカリフォルニアの金鉱へ行って働いていたため、居住年数の三年間は変わらない」
「まさか、そんなに短いとは」
長井検事が驚きを隠そうともしないで応じました。
「難破漂流から土佐帰国まで十一年かかっているために、何となくアメリカに長く滞在したように錯覚しがちだが、居住三年以外は、ほとんど帰国のための航海に歳月を費やしたわけだ。当然、帰国の意思決定も早かったはずで、ジョン万次郎が念には念を入れて計画し、いかに慎重を期したか、帰国にかけた歳月の長さからその苦心と努力のほどが感じられて、驚かされる。このことからして、ジョン万の帰国の動機が《老いたる母に会いたい一心》というようなことだけではないとわかる。そこに、《ジョン万次郎は、ミスターXが派遣した人間伝書鳩》という仮説の割り込む余地があるわけだ。さいわいなことに、これには有力な物証があるんだ。ジョン万次郎が時の大統領と接触した事実を記録した文書で、文書名は『十月勘定奉行糺問書』といい、嘉永六(一八五三)年十一月五日の幕臣登用に先立って、勘定奉行松平河内守近直が万次郎を取調べたときの記録だ」
「へえ。そんな文書があったんですか。知りませんでした。内容を知りたいですね」
「そこで、本日は、予定を変更して、わしが用意してきた論述書を長井検察官に代読してもらい、しかるのち、長井検察官の論述書を読み上げてもらうことにする。異存はないかね」
「ありません。内容を早く知りたいと思います」
「それでは、長井検察官、代読を頼む」
「承知しました」
予定はあくまでも予定であって、決定にあらず。これが、当日本史法廷の常識です。かくして、長井検事が秦野裁判長の論述書を代読することになりました。
時の勘定奉行松平河内守近直が万次郎に行った質問三十三項目のうち、漂流記の域を出ない質問はごくわずかで、いきなり重大な説明から始まっている。
一、共和制を採用するのは、北アメリカのうち、北緯百三十度から百五十度の範囲に収まり、海外諸国と交易を盛んに行い、富裕な国です。アメリカ合衆国は、元来、ヨーロッパ諸国を母体に独立を勝ち取って開けた国ですから、当初は、イギリスの統治に倣って制度を設けましたが、国民はそれに次第に不満を感じるようになり、とうとう独立して共和国となったものです。
一、独立当初は十三州でしたが、現在は三十四州に増えて、強大な国家になりつつあります。ただし、国王は置かずに、国民が選挙で選んだ大統領が国家元首の役割を担っています。
一、首都はワシントンで、行政府としてホワイトハウス、立法府として議事堂、司法府として連邦裁判所があり、国家の兵制、税制、公務員の登用などを統括しています。
一、貿易に携わる商人も、税金を納めることを前提に、必要な手続きを踏みさえすれば、だれでもジョイント・ストック・カンパニーを設立して、事業を行うことができます。政府の許可を得れば、通商条約を結んだ友好国へ渡航でき、取引することが認められています。日本の株仲間と違うところは、アメリカでは資本さえあれば、たとえ農民であろうと、必要な手続きをすればカンパニーを設立し、頭取になることができることです。また、同業者は互いに競争し、相手の客を奪い取るために切磋琢磨します。少しでも自分の客を増やそうとして奪い合うのです。政府がそれに干渉することはありません。相手が外国であっても同じことがいえます。
その他、幕府への献上物は、原理とシステムを知らなかったため満足に説明できなかった電信機を除いて、すべてジョン万次郎が松平近直に語ったものばかり。蒸気機関車については、すでに天保年間、水野忠邦が蒸気仕掛けの軍艦や汽車の輸入を、オランダ商館に打診している。ただし、これは年表式の表現で、蒸気式軍艦や蒸気機関車を日本に導入し、内にも外にも強い国をつくり、鉄道によって諸国の物産が滞りなく江戸に供給される仕組みにするという構想は、将軍家慶から出たと理解するのが筋道である。しかし、オランダ政府は応じなかった。自国が持たない蒸気式軍艦を輸出するのは不可能たったし、当時、英仏の軍艦がオランダ船とみれば拿捕してわがものにしてしまおうとしていたときだから、わざわざ奪われるために、オランダがそれらの取引を仲介するはずがなかった。それらを輸送するには、航路の危険性もまた大きなカベであった。軍艦を持ってこられないくらいだから、大きくて重たい蒸気機関車を沈没覚悟、拿捕覚悟で持ってくるわけがない。そのために製鉄関係の書籍の買い付けにだけ応じたのだろう。オランダ政府が幕府に提供した書籍の書名は『鉄煩全書』という。それらの文献を筆写して研究に資し、反射炉の築造が伊豆国韮山と肥前国佐賀藩で始まったことは既述した通りである。当然、オランダを媒介にして、アメリカ政府当局者は、その事実を把握していたはずである。
ジョン万次郎は、松平近直に対して、以下の言葉を付け加えた。
「国家と国家が交易を行うためには、個別に条約を結ぶ必要があります。条約には友好的に往来することを取り決める和親条約と、実際に商品を売り買いする通商条約があり、一度に双方を包括する条約を結ぶことも可能ですが、分けて、段階的に締結する道もあるのです。英仏は、包括的な条約を望んでおります。これを排する手立ては、当面、「和親条約のみでよし」とするアメリカといち早く手を結び、最恵国条項を盛り込んで、それを楯に取って、英仏にも和親条約を呑ませてしまう方法が考えられます。そうすれば、わが国が清国の二の舞に陥る事態は避けられましょう」
さて、ところで、『十月勘定奉行糺問書』の中で、ジョン万次郎はホワイトハウスで大統領とすれ違いざまに言葉を交わしたといっている。当時のホワイトハウスは、今日よりこじんまりとしていて、観光客に開放されており、自由に見学することができた。運よく大統領が通りかかればあいさつぐらいはできるわけであるが、大統領のジェームズ・ポークはともかく、国務長官がジェームズ・ブキャナンだったことと考え合わせると、ジョン万次郎の場合は観光目的で出かけたとは考えにくい。
では、何のためかといえば、結果が目的の法則を当て嵌めて考証すれば見えてくるものがあるはずである。
こうしてみると、ジョン万次郎がホイットフィールド船長に宛てて書いた手紙の文言は、決して大風呂敷や法螺といった類いのものではなく、伝えるべき情報の重大さをしっかり認識したうえで、「自分がミスターXから託された情報を伝えれば、間違いなく幕府は二港を開港する」と信じていたことが浮き彫りになってくる。これが第一次帰国航海を途中で中止した理由であると同時に、ジョン万次郎が第二次帰国航海を断行した理由でもあろうか。
読み終わると、長井検事が、いささか興奮ぎみにいいました。
「これが『十月勘定奉行糺問書』ですか。ほとんど知られることもなく、文書の存在を知る史家の間でも、これほどの物証が素通りされてきた事実。それ自体が、日本史の研究レベルを象徴しているとは、いえないでしょうか」
「長井検察官、それをいったらきりがないよ。時代が改まるのを待つしかないんだよ。これほどの物証が素通りされてきた原因は《刷り込み》にあるんだからよ。理屈を説くくらいのことじゃあ、どうにもならないだろう」
「確かに」
長井検事が素直に反省したところで、秦野裁判長が付け加えました。
「実は、第一次帰国航海を途中で中止した理由であると同時に、ジョン万次郎が第二次帰国航海を断行した理由は、もう一つ、あるんだ。そのもう一つの理由が、本日、長井検察官が用意した論述書に述べられている。その審理は、次回に先送りすることにして、本日は閉廷」
