ミスターXがアメリカ政府関係者に伝えるべきこと(その3)
日本が望むのは鉄道と蒸気機関車、ガラナート弾、スクリュー船、などなど 本日、公判を開始するに当たり、前回の公判で、長井検事が告げた予告を再掲することにします。
「次回は、国内の事情にも触れながら、ミスターXがジョン万次郎に託したであろう情報なり、メッセージを特定したうえで、ジョン万次郎の第二次帰国航海に言及することにします」
このうち、「国内の事情にも触れながら、ミスターXがジョン万次郎に託したであろう情報なり、メッセージを特定」するところまでが、本日の審理の対象になる予定です。
秦野裁判長の開廷宣言につづいて、長井検事がいいました。
「ミスターXがジョン万次郎に託したであろう情報と申し上げましたが、実は『ミスターXがアメリカ政府関係者に伝えるべきこと(その3)』と同義語なのです。まず、それがアメリカ政府に伝わっていなければ、ペリーの艦隊の来日は、もっと違っていたでしょう。これから、私が読み上げる論述書の内容は、ペリーの来日に密接に関係してくるものであるということを、あらかじめ強調しておきます」
こうして長井検事の論述が始まりました。
ミスターXことジョセフ縫之助(仮名)は、アメリカ合衆国対日政策顧問として国務省に部屋を貰って、ブキャナンと一緒に執務し、ホワイトハウスへも出入りするようになった。住まいはブキャナンの屋敷に居候するかたちで部屋を借りていた。しかし、ブキャナンは大統領ポークと一緒に徹夜でホワイトハウスに詰めることが多く、縫之助と私邸で顔を合わせることはなかった。
国務省で執務するに際して、縫之助はアメリカ合衆国への忠誠を宣誓させられた。国家への忠誠という概念が、縫之助にカルチャーショックをもたらした。日本は主君への忠誠であり、国家という意識は希薄である。百姓、商人、町人は国家への忠誠心などとはまるで無縁であった。
わかっていたことではあるが、やはり日本は本質的に個人主義の国家なのだと縫之助は再確認した思いだった。開国するだけでなく、統一体国家へと脱皮しなければならない。そうした社会学的理論体系を持ち込み、士農工商の身分制度を廃し、日本国臣民となって統一体国家への忠誠心を養い、等しく選挙権を得るようにしなければならない、という思いをあらためて強く持った。
そういう意味では尊皇主義が近いのだが……。
徳川家が握る統治権を朝廷に返上して、天皇中心の統一国家へ移行すべしというのが、尊皇主義の根本的な主張である。理論的には、尊皇主義のいうような世の中にならなければいけない、と、縫之助も思う。アメリカにきてますますその思いは強くなったのだが、仮に現政権がそこまで本気に考えたとしても、実現は不可能に近い。現実を無理やり理論に従わせようとしたら、既存の体制を墨守しようとする勢力が生まれ、佐幕主義を掲げて、クーデターを起すだろう。最も警戒しなければいけないのが、井伊直弼を筆頭に仰ぐ溜間詰である。縫之助の主君で佐倉藩主の堀田備中守正睦は、老中の経験があるために、溜間格としてメンバーの一人になっているから、狷介暴戻で、執念深い直弼の性格を間近に見て知っており、縫之助はそうした性格的危険性をよく聞かされてきた。いわゆる社会を滅ぼす悪魔のような存在、それが井伊直弼の本性なのだと念を押すように、主君備中守からくどいくらいにいい聞かされたのである。そうした社会的悪魔の出現に当面したときの対策を考えないで、パラダイム・シフトを断行しようものなら、行き着く先は尊皇主義者と佐幕主義者の「おのれのみ正し」とする内乱である。今、その危機感が、ひしひしと身に迫ってきた。
ブキャナンの伝書鳩プロジェクトは、縫之助が担ってきたおのが使命の大半を肩代わりするものであったが、と、いうことだとすると、問題は伝書鳩に託す情報であった。自分が目の当たりにするように、日本人のすべてにアメリカの現実の姿を見せられたら話が早いのだが、目で見たことを日本語で理解し伝えることは、言語の障壁の高さから考えると、まさに至難のわざであった。
ある日、ジョセフ縫之助は、ブキャナンに願い出て、アメリカ海軍工廠のマシュー・ガルブレイス・ペリー司令官に面会し、ペリー長官みずからの案内でボストン軍港を視察することになった。驚いたことに、当日になると、ジョセフ縫之助の視察に重みをつけるつもりなのだろう、国務長官のブキャナンがみずから同行を買って出た。そして、公用の馬車を仕立てるから同乗しろと縫之助にいう。しかし、縫之助は鉄道を利用するのが目的で、アメリカ海軍工廠の視察を申し入れたのである。わけを話して、ブキャナンも、汽車で行くことにしてもらった。
ワシントンDCの停車場へ行き、蒸気機関車を見たときの縫之助の驚きはいうまでもないだろう。アメリカ合衆国に鉄道が普及するきっかけとなったのが、ジョン・ジャービスがホレイショ・アレンをイギリスのストック・ダーリントン鉄道の視察に派遣し、蒸気機関車を実用化したジョージ・スチーブンソンからノウハウを学ばせ、ロバート・スチーブンソン&カンパニーが一両、フォスター・ラストリック&カンパニーが二両の蒸気機関車を買い付けたのが始まりだった。アメリカで最初に蒸気機関を搭載した機関車が試作されたのは、一八三〇年のことで、「トム・サム」と命名された。トム・サムは購入した蒸気機関を使ったもので、営業運転用の実用機関車で、オール・アメリカ製の蒸気機関車がつくられたのは、一八三〇年十二月二十五日のことだ。そのときの技師長がホレイショ・アレン。ワシントンDCにまで鉄道が通じたのは、一八三五年であった。
ブキャナンは、車窓にしがみつくようにして景色を眺める縫之助をじっと見つめながら、説明をつづけた。
「一八四〇年には、鉄道の総延長が四五〇〇キロメートルに達して、ヨーロッパの鉄道の総延長の二倍もの規模にまで普及したのです」
ジョセフ縫之助はいった。
「日本も鉄道の導入を試みたのですが、オランダが応じてくれなかったため、中断したままになっています。その思いは今も変わりません。アメリカから買い付けることは可能でしょうか」
必死の頼みにもかかわらず、ブキャナンの返事は無情だった。
「アメリカの返事も、オランダと同じです。アメリカはイギリスから最初の蒸気機関車を買い付けましたが、それというのも大西洋航路が使えたからです。日本へ運ぶには海が荒れることで知られるホーン岬か、喜望峰か、どちらかを通らなければなりません。その後、蒸気機関車は大型化していますし、それを甲板に積めば重心が高くなり、到底、航海の安全は期待できなくなります。まず不可能でしょう」
「そうですか」
失望して肩を落とす縫之助に、ブキャナンはいった。
「しかし、日本が鉄道の導入を本気で考えているとは、驚きました。それを知ることができただけでも、ミスター・ヌイノスケをお迎えした甲斐がありました」
日本が鉄道を望んでいると知ったブキャナンのこのときの喜びは、いかばかりだったであろうか。
鉄道を使ってボストンに着いた二人を迎えたのは、バンクロフト海軍長官から案内役を命じられてきたマシュー・ガルブレイズ・ペリー長官であった。バンクロフト海軍長官が、ブキャナンにこうした便宜を図るのは、ブキャナンがオレゴンカントリー問題でイギリスに譲歩し、批判を一手に浴びたからだ。テキサス併合問題でメキシコと、オレゴンカントリー境界線でイギリスと、相手変われど主は変わらずで、どちらとも戦争する事態になっていたら、バンクロフト海軍長官は敗戦を覚悟しなければならなかった。ブキャナンは自分が汚れ役を引き受けることで、バンクロフト長官に恩を売ったわけである。ボストン軍港を見たいというのは、縫之助の強い願望であった。迎えの馬車に乗ってボストン軍港に入るなり、林立するマストが見えた。その数のおびただしさに縫之助は圧倒された。
目の前の軍艦の見上げるほどの舷側、その向こうに天までのびるかのごとくマストが林立する光景は、まさに驚天動地の眺めと表現しても、少しも大袈裟ではなかった。蒸気機関を持たない帆走式スループ艦でさえ、捕鯨船マンハッタン号の四倍近い大きさなのに、蒸気式フリゲート艦はさらにスループ艦の四倍ほどもあった。日本で建造が許される最大の五百石船と比較したら百倍、百五十倍もの大きさに相当する。しかも、いずれも新造艦であった。アメリカ海軍工廠ペリー司令官の方針で、軍艦は蒸気機関を動力にして回転する外輪で進退自在に動くフリゲート艦に切り替わりつつあったのだ。
日本の攘夷論者が、この光景を目にしたら、たちどころに迷妄を悟るだろう。
ジョセフ縫之助は、目の前の光景を攘夷論者に見せられないことを残念に思い、地団太を踏みたくなった。
それとなく縫之助のようすを観察するブキャナンには、彼の声にならない驚きがわかるような気がした。しかし、目の前の光景は間もなく過去の遺物になりかねないのである。駆動装置の外輪を備えた軍艦が最新式といわれているこのとき、すでにスクリュープロペラが考案され、特許を取得したという情報がある。スクリュープロペラが実用化されれば、外輪は無用の長物化し、邪魔物でしかなくなってしまう。それまで待つべきだという意見がないでもないが、ペリー司令官はにべもなく撥ねつけて方針を貫徹した。
「この先いつかでは、メキシコとの開戦に間に合わない。敵に寄与する節約より、国家のお役に立つ無駄を私は取る。無駄のほうが節約よりはるかに有意義だから」
河川を遡上しながら沿岸の城砦を艦砲射撃で壊滅していったアヘン戦争で、吃水の浅い蒸気式フリゲート艦が活躍した事実を、ペリー司令官が参考にしているのは明白だった。米英戦争のときのイギリスも、圧倒的な海軍力に物をいわせて陸戦隊を送り込み、首都ワシントンDCを蹂躙して、大統領官邸と連邦議会議事堂を焼き払ったではないか。米英戦争当時は、帆走式スループ艦全盛の時代であったが、今や蒸気式フリゲート艦の時代であり、その数においてもイギリス海軍はアメリカ海軍を圧倒している。
ペリー長官が視察する船に選んだのが、新造のフリゲート艦サスケハナ号であった。のちにペリーが来日するとき、旗艦にする軍艦である。このとき建造中のサスケハナ号は二千四百五十トンで、乗組員三百人を予定しているという。列をなして並ぶ大砲には、すべてカバーがしてあった。
ジョセフ縫之助はペリー長官に質問した。
「二、三、質問をお許しください。舷側の水車で軍艦が動くのは見ればわかりますが、水車はどのような仕掛けで動くのですか」
ペリー長官が蒸気機関について解説した。
「船体内部に蒸気機関を備えた機関室があります。石炭を燃やして水を蒸気に変え、蒸気の圧力でピストンエンジンを動かし、エンジンの往復運動をクランクで回転運動に買えて外輪をまわすのです」
「あんなに大きな重たいものが湯気の力で動くのですか」
「原理は薬缶のふたが湯気で動くのと同じだけれども、規模が違います」
「あそこの覆いをかけた筒状のものは大砲ですね。天気が悪いわけでもないのに、なぜ、覆いをかけるのですか」
ペリー長官には答えにくい質問だろうと考えて、ブキャナンが代わって縫之助に答えた。
「ガラナート弾の最新式仕様だからですよ」
「ガラナート弾?」
「そう」
ブキャナンは、ジョセフ縫之助に対して、アメリカ人として持てる知識のすべてを惜しみなく与えるつもりであった。それがアメリカに骨を埋める覚悟で出国してきた人に対する礼儀でもあった。
「従来の大砲は鉄の塊を発射するだけでしたが、ガラナート弾は、螺旋を刻み込んだ大砲から発射され、着弾と同時に爆発する仕組みの砲弾なのです。アヘン戦争は、実はガラナート弾の勝利でした。最早、軍艦や大砲の数で圧倒する時代ではなくなったということです。一隻でも陸上の部隊を全滅させるほどの火力を持つ時代が、今、目の前にあります。オランダを通じて、日本政府にそれを知らせることができたらよいのですが、ガラナート弾はどこの国にとっても国家的軍事機密ですから、オランダ政府が頑として応じないのです。兵隊ですら命令を受けないで幌をめくったりすると、その場で銃殺されてしまうのですから。不完全ながら、私が説明した以上の範囲のことだけでも知らせることができれば、日本政府は開国して、海軍力でわれわれと肩を並べないといけないことに気づくのですが、オランダ政府はアヘン戦争の情報を風説書として提出する際も、ガラナート弾に関しては、その名にも触れませんでした」
ジョセフ縫之助は、ブキャナンの説明の一語一語を記憶に刻み込んだ。着弾と同時に火薬が爆発する砲弾が、すでに存在するとは、実に驚くべきことである。ガラナート弾仕様とかいう大砲も、螺旋を刻み込んだ砲身を隠すために覆いをかけているという。軍艦の質と量において、こうまで開きがあっては、仮に開国したとしても、追いつくのは容易ではないだろう。ましてや鎖国のままでいたら、すべての面で、日本は置き去りにされていくばかりではないか。
伝書鳩に託すべき情報はこれだ。
ジョセフ縫之助は確信を抱いて感想を率直に述べた。
「オランダ風説書の背景に、そのようなドラマがあったとは知りませんでした。ガラナート弾という火器が、すでに存在することを知っただけでも、それがしが来た甲斐があるというものです」
ブキャナンは疑い深くジョセフ縫之助の表情を観察した。
「感想は、それだけ?」
「それだけとおっしゃいますが、これ以上の驚きはありません」
縫之助は少し誇張した感じで返事をすると、洋服のポケットから大型の手帳を取り出して、せっせとメモを書き込んでいった。ブキャナンが、それとなく眺めると、日本語らしい文字が並んでいた。
「日本語でメモを取るのは、なぜ?」
「無事に帰国できたときに、しかるべき筋に提出するつもりです。これを読めば、日本の政府は、開国を決意せざるを得なくなるでしょう」
ブキャナンは驚いた。
「無事に帰国できたときというのは、だれのことですか」
「もちろん、それがしです」
ブキャナンは首を振った。ジョン万がいるではないか。しかし、それは今ここで論ずる必要のないことだと考えて、ブキャナンは質問を変えた。
「ガラナート弾に限って、メモを取るのは、なぜ?」
「理由は、たった今、国務長官殿ご自身が説明されました。それがしも、まったく同感です。ただし、オランダ政府を、ここで非難することには少しの意味もありません。だから、幕府に伝えるべき情報として、いつでも渡せるように手帳に書き込んでおくのです」
「それはわかる。しかし……」
思わず口から出かかって、ブキャナンはいい直した。
「いやいや、そうじゃない。そのことについては、いずれ、また、改めて話すことにしましょう」
ジョセフ縫之助には、自分を日本へ返したくないという、ブキャナンの気持ちがわかっていた。しかし、漁師や沖船頭、船乗りばかりの漂流民に託せる情報は限られたものでしかない。しかも、武士と漁師、船乗りでは用いる言葉が異なるのである。そうしたことなどを考え合わせると、やはり、自分が帰国するほかないという結論になるのであった。しかしながら、侍奉公する自分が帰国すれば主君が苦境に陥り、幕閣も処分に困ることがわかっている。国家は一つなのに天皇と将軍という二人もの国主がいるのはまずい、どちらとはいわないが一人に直すためには、外国の実際を見る必要がある、国家のあるべき姿を明らかにするための行為なのだから主君を超えなければならない、そういい聞かせた結果として今日があるのだが、いざとなると観念にとどまる国家像より現実に存在する主君への情実に支配されたとしても、だれも縫之助を非難できないだろう。
長井検事は、論述を終えて、次のようにいいました。
「人間伝書鳩として渡米したミスターXが、アメリカ政府に伝えるべき幕府のメッセージは、こうして伝わりました。事実として認定していただきたいのは、どうやって伝えたかという仮説の部分ではなくて、伝わっていなかったらアメリカ政府が蒸気機関車、炭水車、客車、レールなど鉄道一式を輸送してこなかったからです。そのことの実証は、ペリー艦隊来日の審理で行うこととして、当座は予備知識として、ご記憶いただくだけで結構です」
「いやあ、嬉しいなあ」
「何が、ですか」
長井検事が問い返すと、秦野裁判長は心から嬉しそうに述懐しました。
「伝承法というほかない、貧しい方法論で、新興宗教まがいに信じるとか、信じないとか、およそ科学的知見とかけ離れた日本史を改めるのは、日本史の未知の分野に踏み込むとき、長井検察官のように、既製の解釈にまどわされず、あくまでも事実を踏まえた推理を働かせるしかないのだが、これまで、だれもそれをやってくれなかった。一人でも現れたのは、日本の将来のためには一つの光明といってよい」
「戦国時代を取り上げた公判廷では、私が裁判長から勇気を授かりました。どうしても、既存の定説に引っ張られがちになりますが、未知の領域に踏み込んで、ちゃんとやれたことを、私も嬉しく思います」
「結構なこっちゃ。当法廷が傍聴人諸兄姉に望みたいのは、これまで聞かされてきた解釈を判断の基準にしないで、必ずどちらがきちんと事実を踏まえているか、そういうやり方を貫いてほしいということです。本日は、これにて、閉廷」
