ミスターXがアメリカ政府関係者に伝えるべきこと(その1)
本日の公判では、めずらしく、長井検事が最初に発言を求めました。
「《何かの意思》ということで、いわせていただきますと、《輸出用生糸の増産》は、二宮金次郎をシンクタンクにして動き出しました。つまり、《何かの意思》は伝書鳩プロジェクトというかたちで具体化の道筋を探っているように思われます。国務長官ブキャナンの退任、大統領ポークの退任直後の急死という事態を迎えて、こののま先へ進んでしまうと、ホワイトハウスに身の置き場所を得たはずのミスターXのことに言及しずらくなるのではないでしょうか。ここいらで、《何かの意思》がミスターXの身に、どのように働いたか、明らかにしておく必要があるように思います」
秦野裁判長が、このうえなく満足した顔で、長井検事にいいました。
「いいだしっぺがやる、それが、当法廷のルールだからよ。あんた、やってくれんか」
「そのつもりで、論述書を用意してきました」
「そう、こなくっちゃ。早速、論述してもらおうか」
かくして、今回の法廷では、長井検事が自分で論述することになりました。
ジョン万次郎が第一次帰国航海を切り上げてスコンチカットのホイットフィールド家に帰ったのは、一八四九(嘉永二)年九月二十三日であった。国務長官ブキャナンの任期は、一八四九(嘉永二)年三月七日までだから、そのとき、ホワイトハウスにも、国務省にも、ブキャナンの姿はなかったわけである。
さて、そこで、マンハッタン号で渡米したジョセフ縫之助がブキャナンに幕府の現状を説明する場面に、時計の針を戻すと、およそ、次のようなことになりそうである。
「家斉公乱脈の五十年の時を隔てて、今や、田沼意次亡く、山積した財政の赤字を黒字に変えられるのは二宮金次郎のみ、しこうして百姓が政権の中枢で政治を動かす政権が誕生をみました。現政権の誕生もまた、家斉公の五十年に及ぶ乱脈の落とし子といえなくもないわけです。ところが、これがまた新たな難敵を生むことになるであろう原因でもあるのです」
ブキャナンはじいっと耳を傾けた。
「現政権を開国政権とします。フランスで微粒子病が蔓延していることは、すでに伝わっておりますから、対策は取られているものと信じます。そのための開国です。しかし、みずから開国すれば、国内を敵にまわしてしまいますから、幕府が望む時期に使節と艦隊を派遣していただかねばなりません。アメリカ合衆国政府が、どのタイミングで幕府と交渉に入るかは、後に論じますが、次のことを頭に留めておいていただきたい。幕府は開国に先立って輸出用生糸を増産するため、桑の栽培面積を増やす必要があります。実は桑の木一本植えるのも簡単なことではないわけですが、順調にいったとしても桑の木が成長するのに最低五年はかかります。開国政権としては、五年間というもの、朝廷と尊皇主義者の間に割って入って、両者が結ばれるのを妨げつづけなければなりません。両者の結びつきを遮断しないかぎり、尊皇開国主義は成り立たないのです。したがって正式の使節の派遣は、五年以上、先にしていただく必要があります。ここまではよろしいでしょうか」
「一応、承っておきます」
「次に二宮金次郎について話します」
縫之助は金次郎について次のように述べた。
《金次郎の報徳仕法がどのようなものであったかというと、以下の実例がよく物語っております。
天保九(一八三八)年、相模国大住郡片岡村の名主大沢市左衛門が金次郎に相談を持ちかけてきました。片岡村は以前五十七戸あった家が八軒も減って今は四十九戸、出来高は七百二十八石、反別では六十七町九反余、うち三百十四石、二十九町が大沢市左衛門の持ち分でした。
「村勢の衰えが止まりません。どうすればよいのでしょうか」
金次郎は片岡村の平均石高を十四石八斗と弾いて、さりげなく市左衛門を諭しました。
「物事の衰退には必ず原因があり、原因のほとんどは〈道の衰退〉です。道が盛んなときは国が栄え、道が衰えるとき国も衰えます」
片岡村で平均石高を超えるのは市左衛門だけ。大沢家を除くと他の平均は八石五斗にしかなりません。いわば、一人の領主の下に大勢の領民がいるようなものでした。だから、金次郎は市左衛門に〈道〉を説くことにしました。
「道というのは〈人の道〉で、互いに協力し、一円融合をもって相養い、救助することです。能力ある者は能力のない者に目をかけ、富める者は貧しきを助け、それぞれが有無相通じてこそ、初めて国家は一家のごとく治まるのです。一つの村の復興も道理はこれと同じです」
市左衛門は自分が領主の立場にあると自覚しておりましたので、自分の心がけ次第と悟るところがあって、金次郎の言葉通り各戸の生産力向上を率先して指導し、不足分を援助して、二年で年貢の滞納をなくしました。しかし、慈悲をかけるだけではいずれ市左衛門の資産が枯渇してしまうでしょう。金次郎は大沢家歴代石高の平均を分度に定めて七十七石とし、復興期間を十年と設定しました。大沢家の現在の石高は三百十四石でしたから、向こう十年間、差額の二百三十七石を村の復興のために供出せよというに等しいのです。したがって、 最初の二年が「慈悲復興仕法」で、残り八年が「報徳復興仕法」ということになります。
市左衛門はこれを受け容れたでしょうか。
村人は領民、市左衛門は領主の立場です。十年間にわたって二百三十七石を供出しつづければ村の復興は成功し一円融合が実現するのです。結局、市左衛門は金次郎が設定した分度に従う道を決断し、復興をやり遂げました。
片岡村の報徳仕法の成功が、金次郎には大きな自信になりました。大沢市左衛門家を徳川家に置き換えれば、幕府財政立て直しの方策そのものですから、金次郎は規模を拡大して取り組むだけでよいのです。片岡村の経験が『富国方法書』に反映されたことはいうまでもありません。前に紹介した江川太郎左衛門の鬼気迫る倹約生活を考えれば、阿部正弘が『富国方法書』を採用し、松平近直をして実践に努めさせるという方程式が浮き彫りになってきます》
縫之助は、二宮金次郎の報徳仕法について以上のように語ってから、つづけていった。
「こういうふうに話してしまうと、簡単なように聞こえるかもしれませんし、結果がわかっているだけに当然と錯覚しがちですが、片岡村に限れば大沢市左衛門が君主ですから、市左衛門が金次郎を尊敬し、信頼していなかったら、彼のいうことに従わなかったでしょう。それがしがいいたいのは、片岡村と幕府の構図がぴったり重なるということです。老中首座阿部伊勢守正弘は、市左衛門に負けず劣らず金次郎を尊敬し、信頼していて、彼の指図に従う腹積もりなのです。従いまして、幕府財政の立て直しも時間の問題ですし、このうえ生糸の輸出が実現したら、日本はどういうことになるでしょうか」
縫之助が語った金次郎の報徳仕法は、ブキャナンが見たこともなければ聞いたこともない政策であった。強いていえばアダム・スミスの『国富論』が近いといえそうだが、奥の深さが違う。だが、感心している場合ではなかった。ブキャナンは遠まわしに探りを入れた。
「金次郎は、外国と貿易して財源を生み出さないと財政再建は不可能だといったはずですが、なぜ、生糸の輸出なしに財政の立て直しが可能なのですか」
「そこが分度仕法の凄まじさなのです」
縫之助は我がことのように胸を張って述べた。
「松平河内守近直と金次郎の間に、韮山代官江川太郎左衛門坦庵という人物がいます。坦庵の父英毅は、金次郎の資質を見極めるため加州侯の意を受けて試験した人です。坦庵自身も、郡内地方で《生き神》として崇められた仁慈の心に厚い名代官で、天保十一年六月、韮山の豪商多田弥次衛門家の立て直しを金次郎に依頼し、すでに父子二代にわたって出会いを持っていました。坦庵にちなんでいえば、彼の倹約ぶりは度が過ぎたもので、衣服は礼服以外すべて木綿もの、食事のおかずは朝が香の物と味噌汁、昼夜には一品が加わるのみ、酒は一日二合を過ごすことはなく、それは他家に招かれたときも同じで、愛用の箸、茶碗は自分でつくり、割れても捨てないで焼き継ぎして使い、障子は客間を除いてすべて反故紙で切り張りし、畳が破れて藁くずが出ても修繕しないで使いつづけたといわれます。斉藤弥九郎しかり、松平伊勢守しかり、幕臣のことごとくが例外なく似たような倹約生活を送っているのですから」
ふうむと唸ってブキャナンは考え込んでしまった。
ブキャナンには東洋といえば後進国という頭があった。事実、憲法を持たず、宰相を選ぶ選挙制度もなく、したがって国民に選ばれた選良で構成する政府も議会もない、後進性は明らかなのに、農民の宰相を立てて、国家の再建に死に物狂いで取り組んでいるという。アメリカでさえ、平民のアンドリュー・ジャクソンが初めて大統領になったばかりというのに、リーダーの一存で、自分より適任者を事実上の宰相に選抜しているというのだ。これはもう、すでに、近代国家並みの政府ではないか。金次郎が傑物であると同時に、将軍家慶も、老中首座の阿部伊勢守正弘も、彼に匹敵する器でなければ、そのようなことは決して実現しない。金次郎のような有徳で、有能な人物が存在すること自体が驚きであるというのに、それに加えて、正弘のような懐の深い政治家が存在するとは……。
アメリカはそのうち日本から何かと学ぶことが多くなるのではないか。
ブキャナンは真剣にそう考えた。
ついでに後々のことまでいってしまうと、一八六〇(万延元)年、ブキャナンはアメリカ合衆国第十五代大統領の立場で、渡米してきた日米通商条約批准使節一行をホワイトハウスで謁見することになるのだが、それから造幣局のあるフィラルデルフィアに場所を移して、監察小栗上野介忠順が、算盤を用いた計算だけで日米金銀貨幣の貴金属含有量を割り出したことに驚き、またしても「いずれアメリカ人が日本人に教えを請うときがくるだろう」と慨嘆することになるのである。
読み終わると、長井検事はいいました。
「ミスターXことジョセフ縫之助が、日本側がアメリカに送り込んだ伝書鳩だとしますと、真っ先に伝えないといけないことは、《輸出用生糸の増産》が達成された直後に使節を派遣してほしい、ということでなければならなかったと思うのです」
「そういうこっちゃな。タイミングを誤ったら、国内対策が極めて困難になってしまう。そこに、幕府が、人間伝書鳩を、アメリカに飛ばす目的があった。なぜ、アメリカかというと、日本に領土的野心・宗教的野心を持たないのは、アメリカぐらいなものだとわかっていたからだ。しかし、説得は、容易でなかったと思うがな」
「そのことは、明日、論述します」
「そうしてもらおうか。しからば、本日は、これにて、閉廷」
