マクドナルドの偽装漂着の一部始終(その3)
前回の公判では、日米双方で、《何かの意思》すなわち伝書鳩プロジェクトのことだと思われますが、それがプッツンと途絶えてしまうことが予告されました。そのために、ジョン万次郎の第二次帰国航海が成功だったのか、失敗とみなすべきか、判断がつかないということでした。本日は、それを受けての「マクドナルドの偽装漂着」に関する三回目の審理です。
開廷と同時に、秦野裁判長がいいました。
「成功か、失敗か、という切り口からすると、マクドナルドの偽装漂着は見事というほかない展開で、大成功というほかないわけだが、ところが、ギッチョンチョン、急転直下、墜落といってよいくらい、失敗に向かってまっしぐら。かくして、ジョン万次郎の帰国航海の必要性が生じるという、まさにドラマチックな一大転機が訪れるわけだが、その張本人がオランダの商館長レフィソンなんだな。マクドナルドと森山栄之助らの日本語と英語の交換授業が持つ意味がわかれば、なぜ、これまで静観をつづけたオランダが、ほとんど陰謀というほかない動きを見せたか、よくわかるはずである。引き続き、検察官に論述書の代読を頼みたい」
「承知しました」
以下は、長井検事による秦野裁判長の論述書の代読です。
日米両政府、レフィソンの悪巧みにしてやられる
ラナルド・マクドナルドが松前から長崎に移送されてきた嘉永元(一八四八)年当時、先客としてラゴダ号の乗組員がいた。ラゴダ号の乗組員は、ローレンス号の例に倣うとすれば、同年六月に入港してきたオランダ船で送還されるはずであったが、長崎奉行から何の通知もなく、不審に思ったオランダ商館長レフィソンは、マクドナルドの取り調べが行われ次第、一緒に送還になるのだろうと推測して、取り調べの予定を長崎奉行所に問い合わせた。すると、江戸からの指図待ちだという。オランダ船は「これ以上待てない」といって、レフィソンの制止を振り切って、九月十九日に出航してしまった。これでもう、ラゴダ号乗組員も、マクドナルドも、来年のオランダ船来航まで送還されないことになってしまった。マクドナルドの取り調べが、なぜ、こんなにも遅れたのか、レフィソンがおかしいと気づいて調べてみると、マクドナルドが、森山栄之助以下十四人の通詞に、英語を教えていることがわかった。対日貿易を清国とともに独占的に行うオランダ政府としては由々しいことである。
レフィソンは、脱走騒ぎ、自殺事件を繰り返したため牢屋に監禁されることになってしまったラゴダ号乗組員に、「慰問の品を差し入れたい」と長崎奉行に申し入れる一方、「ラナルド・マクドナルドの取り調べの通訳を務める必要はないのか」と、それとなく水を向けた。
レフィソンの働きかけに応えて、「マクドナルドの取り調べを十一月六日に行う」と長崎奉行が通告してきた。まだ九月の下旬ではないか。予定が一ヵ月以上も先とは怠慢にもほどがある、と、レフィソンは憤って、次のような内容の書簡を清国の交易船に託し、バタビヤのオランダ領東インド総督府に宛てて送った。
ラゴダ号乗組員十五人の取り調べが長崎移送直後に行われたというのに、九月十二日に到着したマクドナルドに限って十一月六日に取り調べを行うというのは、明らかに意図的な遷延であり、その試みは不幸にも成功したようです。長崎奉行所通詞に英語を教えていることから考えて、マクドナルドの取り調べ遷延の目的は、学習の効果を高めるのがねらいであるのは確かです。こうした事態から考えて、マクドナルドの漂着は偽装の疑いが濃厚です。ローレンス号乗組員漂着の際に、アメリカ政府筋が日本側の通訳の名を問い合わせてきたことと併せて考えると、日本政府とアメリカ政府の間に、何らかの意思の疎通があるものと考えなければならないでありましょう。したがって、オランダ政府としては、日米の動きに対して何らかの対策を講じる必要があります。さいわいなことに、アメリカ政府は同国東インド艦隊に対して極東における自国民の漂流者の保護を促しております。総督よりアメリカ東インド艦隊司令長官に「ラゴダ号乗組員が重大な人権侵害を受けている」と通知してやれば、事実、その通りなのですから、直ちに行動するのではないかと思量します。
もちろん、以上の書簡の文面は推測に基づくものでしかないのだが、レフィソンは、素知らぬ顔で、牢獄に収監されているラゴダ号乗組員にコーヒーや新聞などを差し入れて慰問し、十一月六日、マクドナルドの取り調べの白州に陪席した。しかし、頭の中はあせりの思いでいっぱいであったと思う。取調べが終わると、飛ぶように出島に戻り、「マクドナルドを一刻も早く日本から退去させる必要がある」と強い調子で訴える書簡を、再び清国の交易船に託してバタビヤに送った。
レフィソンから重ねて督促を受けて、オランダ東インド政庁ヤン・ヤコブ・ロチェッセン総督は、直ちにアメリカ海軍東インド艦隊司令長官ゲイジンガーに働きかけた。
「マクドナルドが、通訳に英語を教えているために、ラゴダ号乗組員の送還が延引し、監禁がつづいている、即刻、解放を要求すべきではないだろうか」
ゲイジンガーは、ロチェッセンに教唆され、マクドナルドとラゴダ号乗組員の身柄を引き取るため、海軍長官には事後承諾で、グリン艦長のプエブロ号を長崎に派遣した。時に嘉永二(一八四九)年四月初旬のことであった。
さて。
オランダ政府の画策に乗って、アメリカ東インド艦隊グリン艦長がプエブロ号を長崎港に強行突入させて、マクドナルドを奪還すると、ホイットフィールド船長、伝蔵と五右衛門、ジョン万次郎の順に航海を中断して住居地に帰還してしまったことは、すでに述べた。
もう一つ、付け加えると、グリン艦長の長崎突入の時期、音吉がイギリスの測量船マリナー号に乗って下田沖へ来ていたという事実がある。
さらには、アメリカ本国政府では、政権の交代があり、ブキャナンが国務長官を退任、大統領ポークは過労死という致命的な事態を迎えていた。
長井検事が、ここまで代読してきたところで、秦野裁判長がいいました。
「つまり、マクドナルドの偽装漂着は、前半大成功、後半大失敗という評価にならざるを得ない。しかも、国務長官ブキャナンの退任、大統領ポークの過労死ときた。さあ、ご破算で願いましては、といきたいところだが、手の打ちようがない。すると、ミスターXはどうなってしまうのか」
「そこなんですよ。前回の公判で述べた《何かの意思》は、どういうことになっていくのか、まさに大ピンチというほかない流れです」
「その何らかの意思なんだが、わしの考えでは、まず第一に『蒸気機関車の輸入』、次に『生糸の対フランス輸出』すなわち『輸出用生糸の増産』に結びつく、と、まあ、こうにらんでいるんだがね」
「すると、水野越前守忠邦が老中首座のとき、オランダに蒸気機関車の買い付けを打診しております。将軍家慶の指図によるものと思いますが、それをオランダは拒否しております。すると、今度は製鉄所(造船所)一式の買い付けを打診しました。それも難しいとなると、幕府は製鉄関係の書籍を購入し、研究を奨励しました。それが、江川坦庵の韮山反射炉、佐賀鍋島藩、薩摩藩の反射炉の築造へと結びつくわけですが、あのとき、オランダは、なぜ、蒸気機関車を幕府に売らなかったのか、という疑問が生じます」
「わしも、ずいぶん、長いこと不思議に思いつづけたんだが、先だって、幕末とはまったく関係のないことを取り上げたテレビの番組を見ていて『現今の輸送手段』という発言を聞いたとき、あっ、それか、と気づかされた。当時は、百トンから三百トンの帆走船が主流で、しかも、アフリカ南端の喜望峰か、南アメリカ南端のホーン岬を通らなければ、極東へは物を運べなかった。売りたくても、運べないから、断るほかなかったわけだ」
「しからば、みずから造船して、自分で運んでこよう、というわけですか」
「それくらい、蒸気機関車が欲しかった、というこっちゃ。鎖国日本に鉄道が敷かれ、蒸気機関車が人間や物資をのせて驀進する。まず、参勤交代は意味をなくすな。すると、どういうことになるか。明治維新政府が国民に一番知らせたくない動き、それが《何かの意思》の一つ、『蒸気機関車の輸入』というこっちゃ」
「うーん。まかといいたいところですが、現実に、動きがあるわけですから」
「わしは、ペリー来航を審理するとき、爆弾的に明かすつもりでいたんだが、長井検事にいわれてしまったので、仕方なく『当時の運搬手段原因説』を持ち出してしまった。これが、ペリー来航の検証で、決定的な意味を持つ。そのことを予告して、本日は閉廷」
