マクドナルドの偽装漂着の一部始終(その2)
開廷と同時に、秦野裁判長がいいました。
「本日の公判では、中断していたマクドナルドの偽装漂着のつづきを審理する。引き続き、検察官に論述書の代読を頼みたい」
「承知しました」
以下は、長井検事による秦野裁判長の論述書の代読です。
ラナルド・マクドナルドの偽装漂着が、とのように行われたのか、漂着して以降の一部始終を簡略に述べると、次のようになる。
ラナルド・マクドナルドが焼尻島に上陸したのは、西暦一八四八(嘉永元)年六月二十日、旧暦でいうと五月二十七日のことであった。その際、上陸に用いたボートの入手方法については、別途に検証することにして、長崎に到着するまでの過程を、逐次、説明する。
マクドナルドは、旧暦六月二日、焼尻島から利尻島に渡り、その後、宗谷に身柄を移されたのが七月の半ば。そして、七月二十六日の朝、三宝丸という船で宗谷を出航、無風のため櫓を漕いだり、風待ちをしたり、十五日もかかって八月十日、松前湊に到着した。ちょうど凪ぎのときで三宝丸は櫓を使って湊に入った。松前から藤丸駕籠に乗せられて行ったのが、松前と江差の間にある江良町村の揚屋だった。夜道を歩き通して到着したとき、翌十一日の午前三時になっていた。建物は漂着したアメリカ捕鯨船ラゴダ号の船員十四人が収容されていたところで、たった一人のマクドナルドには実に広々と感じられた。
夜が明けると、護送指揮の新井田嘉藤太のところへ、村役人があいさつに現れた。マクドナルドは、食事を済ませてくつろいでいたところで、日本式におじきをして笑みを投げた。
「前の異国人と違ってえらく愛想がいいじゃないか」
「ずっと穏やかそうだ」
マクドナルドには、彼らいっている日本語の意味がわかるのだが、わからないふりをした。
松前藩が借り上げた天神丸で、マクドナルドが長崎へ移送されることになったのは、九月五日のこと。マクドナルドは、江良町村の揚屋で、二十五日間も過ごしたことになる。移送の指揮は物頭氏家丹右衛門、その下に目付代の村田伴作、徒歩目付の田村経五郎、斎藤奈左衛門、長尾勝五郎、足軽小頭の山本孝治、宮本兵太郎ら十二人と医師の谷芳斎がついた。マクドナルド一人を送るのには少し仰々しすぎる人数である。
マクドナルドは、正座し、平伏してから、氏家に英語でいった。
「お世話かけます」
氏家の面上に驚きが走り、次いでほっとした色が浮かんだ。英語だったから言葉に驚いたのではなく、マクドナルドが早くも日本式の礼儀を身につけたことに感心したのだった。
「神妙である。では、参ろうか」
揚屋から浜の伝馬船まで、マクドナルドの護送に、警固の人数と村役人が加わった。氏家につづいて伝馬船に乗り込んだマクドナルドは、振り返って世話になった警固の人数、村役人たちに手を振った。
「さようなら」
「また来いよ」
氏家が驚いて浜を見た。だれがいったかわからなかったのだが、道理に合わない「また来いよ」という掛け声に、いい知れぬ親しみが込められているのを感じたからだ。わずか前に、松前藩が長崎へ移送したラゴダ号の漂流者たちは脱走したり、騒いだり、ならず者の集団だったと聞くだけに、氏家はますます印象をよくしたようすだった。
船頭の甚五郎が声をかけると、錨が揚がり、帆が張られて、天神丸は風を受けて陸から離れていった。
ところで。
マクドナルドが、まだ、宗谷番所にいた頃、ジョン万次郎のフランクリン号は土佐沖を北上しており、津軽海峡に向かっていた。水平線に横たわる陸が日本だと今はわかる。土佐国が、どのあたりかも見当がつく。ジョン万次郎にとっては、六度目の日本接近だった。が、最初のうちは、なかなか日本と気づくことができなかった。かつて国内にいた頃は、土佐国しか知らなかった男が、今、鉄のカーテンで仕切られた外側から、祖国日本のようすをうかがっているのである。自分のいない土佐国というものが、万次郎にはひどく殺風景なものに思われてならなかった。
母は老いただろう、どうしているだろうか。兄はちゃんとやってくれているだろうか。姉は、妹は……。
急に懐かしさを覚えて、万次郎の胸に涙がこみ上げた。
万次郎は、漁船が難破してすでに亡き者として忘れられているはずである。この世に存在しないのだから、だれも当てにしないでいるだろう。それがせめてもの救いだと彼は思った。日本では、小さな鰹釣りの漁船の炊ぎという漁師見習にすぎなかった自分が、今はアメリカでホイットフィールド家の養子であり、捕鯨船の航海長なのだ。しかも、捕鯨仲間のために日本を開国に導いて、寄港地を確保する重要な使命を帯びているのだった。
死んだはずの自分が帰ったら、みんなはどんな顔で迎えるだろうか。
何とはなしに思いながら、はっとして万次郎は陸を見つめた。
マンハッタン号の派遣で、漂流者に寛大な処置が与えられるとわかり、さらには難破したアメリカ捕鯨船ローレンス号の生存者七人が、松前から長崎に送られ本国に送還されたことによって、外国人にも寛大な計らいが適用されることが確かめられた。そのために、画期的ともいうべきマクドナルドの偽装漂着が現実に行われている……。
ジョン万次郎は、太平洋から津軽海峡を抜けて、マクドナルドの上陸を確かめたうえで、日本海を南下して、琉球へ向かう予定であった。
そのトリを自分がとる。いざ、帰りなん。
ジョン万次郎は、自分の胸にそういい聞かせた。
「ジョン万、船が近づいてきている」
エーキン船長の声で、万次郎はわれに返った。エーキン船長が指差すのは、北の方角から南下してくる捕鯨船であった。目を凝らすと、まっすくフランクリン号に向かってくるようす。
もたらされたのは、思いもしない訃報であった。
「ウッドワードという者だが、ホイットフィールド船長から伝言を頼まれてきた。ウィリアムが亡くなったので、ホイットフィールド船長は、ニューベッドフォードへ帰った。航海を中断して帰るように、というのが伝言だ」
ジョン万次郎にとっては、衝撃的な伝言であった。ウッドワード船長に礼を述べたかどうかも思い出せないほど、万次郎は打ちのめされた。ウィリアムが生まれて自分の血を引く跡継ぎができたからこそ、ホイットフィールド船長は万次郎の帰国に賛成したのだ。その跡継ぎに死なれた今、万次郎が帰れば、跡取りになることを強く望まれるのはわかりきっている。
日本へ帰るためには、後戻りすべきではない。しかし、ホイットフィールド船長は恩人だぞ。帰るべきか、帰らざるべきか。
ジョン万次郎はなかなか答えを出すことができなかった。
再びマクドナルドに話を戻すと、松前藩の仕立てた天神丸で長崎に着くと、彼は崇福寺の大悲院という僧坊に入れられた。時に九月十二日午前のことであった。宗谷から松前まで十五日もかかった海路が、数倍も距離のある長崎まで八日間できてしまった勘定になる。
長崎奉行井戸対馬守覚弘は、マクドナルドについては、ラゴダ号の乗組員と隔離して、崇福寺を宿所とするように、と、江戸から通知を受けていたため、大悲院を空けて、森山栄之助とともに待ち受けていた。
漂着した異国人の扱いは、過去にローレンス号とラゴダ号の二例があり、マクドナルドは三例目である。が、マクドナルドの件に限っては、江戸から細かく指示がきた。そのこと自体が異例なことであったし、長崎奉行所通詞から浦賀奉行通詞へ転出していった森山栄之助を派遣してきたのも、格別の計らいというほかなかった。
振り返ってみて、マクドナルドは利尻に上陸して以来、周囲の人々に礼儀正しく接し、言葉を真似て覚えるしぐさを繰り返してきた。わずかの間の経験であったが、日本で暮らすには、それだけで十分だということを知った。アメリカのように人種差別はないし、罪人扱いされることを除けば、大切に扱われているという実感があった。長崎奉行所が用意してくれた崇福寺大悲院の暮らしも悪くなかった。住まいは座敷牢の体裁をとっていても、番人頭が親切な男だということが、態度や表情でわかる。好意を表す笑み、親しみを込めた眼差しは、世界共通語なのだ。そういう意味では、格子で隔てられた座敷牢の中と外とは、それほど違いのない待遇である。
一人になって、マクドナルドが習い覚えた日本語を紙にメモしていると、森山栄之助が再び現われて、格子越しに名乗った。
「ハウドゥユドゥ・ミスター・マクドナルド、マイネーム・イズ・エイノスケ・モリヤマ」
エイノスケ・モリヤマ……。
その名を聞いたとき、マクドナルドは胸がいっぱいになって、すぐに応答できなかった。その人に会って伝えよ、と、マクドナルドはある人物から指令を受けてきていたからである。
初めて二人だけになって、栄之助は唐突にいった。
「ざっくばらんに、日本語で話しましょう。お名前は何とおっしゃるか」
俗にいわれるように「カマをかけた」わけである。マクドナルドは、うっかりつられて、音吉から教わった尾張なまりの日本語を口走った。
「ラナルド・マクドナルドだきゃ」
栄之助は、すべてを了解した。マクドナルドにかぎってはレフィソンを通訳に立てない、すべて森山が責任を持って聞き取り報告せよ、と、松平近直が命じたのは、マカオの音吉と連絡を取り合っていて、マクドナルドが上陸してくることを事前に把握していただけでなく、彼が日本語を理解することまで知っていたためだったのだ。
長井検事は、読み終わって、しみじみと述懐しました。
「とうとうというか、遂に、ここまできた、という感じです。感無量です」
「何をいってるんだね。まだ、ペリーの来航まで、いろいろと検証しないといけないことが、目白押しなんだぞ。まず、第一にいえることは、ここでもミスターXの存在というか、関与が感じ取れることだ。もっとも、このことは、上陸に用いたボートの入手方法とともに、明日の公判で審理するから、本日のところは、日本の政治の仕組みに通じていないと、偽装漂着というアイデアは思いつかないし、筋書きも読めない。そのことに気づいてもらえれば十分。本日は、これにて閉廷」
