昨日の公判において、次の仮説が提起されました。微粒子病の蔓延によりフランス産の生糸が全滅に瀕している、という貿易上の特需に結びつく情報をうけて、急遽、二宮金次郎が桑の作付け拡大のみならず、製糸工程の機械化にまで踏み込んだ輸出用生糸の増産計画を立案したというのです。
養蚕が復活してフランス産の生糸がリヨンの生糸取引所に持ち込まれるようになって、それまで十年近く特需景気で値がつり上がっていた生糸相場が、大暴落必至となった際、フランスに次ぐ養蚕国イタリアで冷害が始まり、しかも数年にわたったため、引き続いて特需がつづいたこと、そうした「生糸特需の延命」によって生じた生糸貿易商(日本の)の命運の分かれ目が生じたということまで予告されたわけですが、そのことは保留しておいて、今回から再び、オットソンの伝書鳩プロジェクトをテーマにして、審理を進めることになりました。
秦野裁判長が開廷と同時に長井検事に呼びかけました。
「さて。モリソン号、マンハッタン号と、アメリカ船の来日がつづいたわけだが、そのどちらにも音吉ことオットソンが関係した節がある。モリソン号には、オットソンが乗っていたのだから、こちらは疑う余地がない。しかし、来日してきたのはオットソンの意思ではなかった。マンハッタン号の場合の関与の度合いはどうかというと、目下は仮説の域を出ないわけだが、オットソンの意思という点では、断然、際立っている」
「マンハッタン号がマカオに寄港したということも、実はまだ仮説にすぎないのですが、《天保十四年十一月下旬、栄寿丸で難破し救助されマカオに来ていた善助と初太郎が、アビゲイル・サラ号のドーヌ船長に船賃百五十ペソを払ってホノルルへ渡り、筆之丞と五右衛門に会った》という事実が、ここでものをいってきます。当時、《ジョン万次郎はホイットフィールド船長の養子となり北米東海岸スコンチカットで夫妻と三人で暮らしていた》のですから、善助と初太郎が帰国した時点で、幕府はジョン万次郎が《英語を話す日本人》であることを把握していた可能性があるという推測を否定するわけにはいかないのです」
「善助と初太郎がホノルルへ渡ったのは、明らかにオットソンの差し金だな。ひょっとして、《英語を話す日本人》ではないかと期待した筆之丞と五右衛門は案外な結果に終わったが、代わりにジョン万次郎という期待以上の人材がオットソンの調査網に引っかかった」
「イギリスに縛られて行動の自由が利かないオットソンとしては、対アメリカ向けの連絡と交渉に使える《英語を話す日本人》を物色するのが、善助と初太郎をホノルルへ渡らせた目的だったわけですね」
「そういうこっちゃ。善助と初太郎が帰国して、オットソンの伝書鳩プロジェクトの進捗状況を長崎奉行所経由で幕府に伝えた。それを幕府に伝えたのは、二人に先行して帰国しただれかでもよい。その結果、ミスターXとして平野縫之助(仮名)が密かに派遣され、当座、マンハッタン号に乗船してきて、フランスで微粒子病が蔓延しはじめた情報を伝え、併せて、日本側の伝書鳩が機能していることを知らせたわけだ」
「仮説ではありますが、ね」
「うむ。さらにいえば、オットソンと関係が深いという点では、ラナルド・マクドナルドが抜きん出た存在だ」
「はい」
「以上の経緯を踏まえたうえで、本日はマクドナルドの、その後の消息を明らかにしようと思う。論述書を用意したから、長井検事に代読を頼みたい」
「承知しました」
かくして、長井検事の代読が始まりました。
仮説《D》マクドナルド偽装漂着の一部始終(その1)
安定した人生を送る銀行員があえて船乗りになる不思議さ、不可解さ
クーパー船長が捕鯨船マンハッタン号でニューヨーク港から日本へ向かったのは一八四三(天保十四)年十一月八日のことであった。そのとき、のちに利尻島に偽装漂着することになるラナルド・マクドナルドは、アフリカ西海岸から黒人を乗せてアメリカへ向かう奴隷の密貿易船に乗り組んでいた。と、いっても、マクドナルドは奴隷の密貿易船と知らないで乗り組んだのである。行きの積荷は鉄砲、火薬、ラム酒などであった。アフリカ向けの典型的な積荷だったから、ごく普通の貿易船だと思っていたところ、帰りに大勢の黒人が首に枷を嵌められ、手をつながれ、列をつくって乗せられてきた。
「えっ、どういうこと?」
マクドナルドは、自分が乗る船が奴隷船であることに、初めて気づいたのだった。
船は大西洋を北上して真っ直ぐアメリカへ向かう予定だ。船を降りるなら今しかなかった。しかし、初めての土地で、ようすがまったくわからない。マクドナルドが決断をためらううちに船は陸を離れてしまった。
思えば最初にロンドンで雇われた胡椒貿易船が蹴躓きのもとだった。今回の奴隷密貿易船に乗る直前の航海である。ヨーロッパの胡椒貿易は中世からの伝統ある取引で、行きに綿織物を積み、帰りに胡椒を持ち帰るのが一般的に行われる航海のパターンであった。マクドナルドが契約した船も綿織物を積んでアフリカへ向かうことになっており、彼は炊事係として採用された。ところが、 乗船してからまったく経験がないとわかると、マクドナルドは食事を半分に減らされ、半分に減らされた食事も教授料の名目で先輩炊事係に取り上げられてしまった。なおそのうえにカルカッタからリバプールへ向かう途中の喜望峰沖では、暴風雨に襲われて、死を覚悟するほどひどい船酔いを経験した。それだけに、無事に大西洋に乗り入れたときには、これで一航海をまっとうしたという満足感に浸ったものであった。ところが、船が南カリフォルニア沖にきたとき、マクドナルドたち臨時の雇われ船員たちは、武装した正規の船員に取り囲まれ、有無をいわさずボートに積荷の胡椒を移すよう命じられた。どうなることかとなりゆきを見守るうちに、全員がボートに移ると同時に、なんと本船がゆっくり沈み始めたではないか。
マクドナルドが眼前の出来事の意味を理解したのは、胡椒を横流しして得た不正な利得の分配金を無理やり押しつけられたときであった。船長が一人ひとりに分配金を手渡しながらいい聞かせた。
「これで、おまえたちも共犯だぞ。いいか、忘れるなよ。船は難破して沈んだのだぞ」
マクドナルドは、分配金を突き返そうと思った。だが、船員が引き金に指をかけた銃に囲まれて、できなかった。
それほどの目に遭ったばかりだったから、用心して乗る船を選んだつもりなのだが、今度は奴隷の密貿易船であった。
奴隷貿易を最初に始めたのは十六世紀ヨーロッパの貿易を支配したスペインで、メキシコ、ペルーの鉱山開発に必要な労働力を確保するのが目的であった。次いでポルトガルがブラジルの砂糖プランテーションに奴隷を投入すべく手を染め、十七世紀にはヴァージニアのタバコプランテーション、十八世紀前半にはカリブ海の砂糖プランテーション開発が盛んになるに及んで、奴隷貿易は最盛期を迎えるに至り、十八世紀後半になるとアメリカ南部の綿花栽培にとって奴隷はなくてはならないものになった。
十九世紀に入って、イギリスとアメリカ合衆国北部諸州で、奴隷廃止の気運が高まり、一八三三(天保四)年、イギリス議会は奴隷廃止を決議し、海軍は奴隷貿易船の取り締まりに乗り出した。しかし、奴隷の労働力に依存するアメリカ合衆国南部諸州は公然と奴隷市場を維持していた。そのための奴隷の密貿易であった。
当時は海賊まがいのごろつき船が横行していて、まっとうな船ほど紹介状なしでは船員に雇ってもらえなかった。行く先々で断られていくうちに、マクドナルドのような経験のない初心者でも雇う船となると、決まっていかがわしい目的の船になってしまう。しかし、経験がなく、何としても航海に慣れておきたいマクドナルドが、事前にごろつき船をごろつき船と見分けるのは至難のわざであった。
奴隷の密貿易船は大西洋をアメリカに向かっていた。だが、ユニオンジャックを掲げる軍艦が現われて、様相は一変した。
「野郎ども、奴隷を一人残さず甲板に連れ出せ」
甲板長にいわれて、マクドナルドたちは船底に荷物同然にぎっしり入れられていた奴隷たちを甲板に連れ出した。すでにイギリスの軍艦は接舷の態勢に入っており、密貿易船はかつてない緊迫した雰囲気に包まれた。
「急げ、急げっ」
マクドナルドたちは、イギリス軍艦からは見えない反対側の甲板に奴隷を集めるよう命令された。そうして一箇所に集められた奴隷たちは、マクドナルドの目の前で、甲板員たちによって大西洋に突き落とされていった。マクドナルドは思わず、その場に跪いて胸前で十字を切り、このような船に乗り組んだことを神に許しを請うた。
長井検事が、ここまで読み上げたところで、秦野裁判長がいいました。
「音吉と別れたラナルド・マクドナルドは、レッドリバーのアカデミーを卒業後、カナダのセント・トーマスへ行って、モントリオール銀行の見習いとして就職、セント・トーマス支店長アーマティンガー家に寄宿していた。そのまま真面目に勤めれば、申し分のない安定した暮らしができたはずなのに、なぜ、銀行員の職を擲って、こうまで苦労して、船乗りになろうとしたのか。結果が目的の法則に当てはめると、利尻島への偽装漂着が早くから目的としてあったことになる」
秦野裁判長の言葉を受けて、長井検事が意見を述べます。
「マクドナルドが、モントリオール銀行に就職して、支店長アーマティンガーの家に寄宿したのが天保十(一八三九)年、同家を出奔したのは天保十三(一九四三)年ですから、足掛け五年の間に音吉と連絡を取り合い、アヘン戦争に従軍した音吉が、戦争の終結を見越して、マカオで落ち合う約束をした、ということではないでしょうか」
長井検事の推論を聞いて、秦野裁判長が感銘を受けたようすでいいました。
「さすが長井検事というべきか。だれもが、長井検事のように、自分が知りえた事実を踏まえて、自分なりに考えて、意見を述べてくれたら、既存の日本史などはイチコロで廃案になるんだがなあ」
「まったく、同感です」
「いずれにしても、マクドナルドがこのような決断を下すには、音吉と連絡を取り合うなり、話し合いを行うなどのことがなかったら、あり得ないことであるのは確かだ」
「私も、そう思います」
「出奔後のマクドナルドの足取りを追うと、ニューヨークを振り出しにして、ロンドンへ行き、胡椒貿易船に乗ってカルカッタへ向かい、太平洋を横断航海して南カリフォルニアに強制上陸、いったん、サンフランシスコに身を落ち着かせてから、今度は奴隷船と知らずにアフリカ西海岸へ行き、アメリカ南部の港に帰着してのち、再びサンフランシスコに向かっている。マクドナルドが利尻島に偽装漂着するのが嘉永元(一八四八)年で、その間の弘化三(一八四六)年にホノルルで、凱旋帰国途次のマンハッタン号クーパー船長にインタビューした『訪日談』を載せた『シーマンズ・フレンド』誌を読んだという記録がある。このうち、アヘン戦争に従軍する前の音吉とマクドナルドが落ち合う可能性があるのは、最初の目的地ニューヨーク、そしてロンドンだろう。除隊してマカオに定住しオットソンを名乗った音吉を、マクドナルドが訪問するとしたら、二度目のサンフランシスコ行き以後になる。そのとき、マクドナルドが訪日直前のクーパー船長に接触した可能性がありそうだ。マンハッタン号にはミスターXとしてジョセフ縫之助が乗っていること、マクドナルドに『偽装漂着』という方法を伝授できるのはミスターXしかいないこと、『偽装漂着』実行前のマクドナルドにミスターXが接触できるのはそのときしかないこと、以上のことなどを考えての推論だ。ご都合主義といわれるかもしれんが、状況証拠を炙り出すためには、あらゆる可能性を考えるべきだろう。そのうえで、オットソンが、ローレンス・エドワーズ船長の捕鯨船プリマス号にマクドナルドが乗れるよう手配していく、という手順になる」
「ジグソーパズルの絵の輪郭が、かなり見えてきました」
「ところで。マクドナルドの動きが、ジョン万次郎の帰国航海に重大な影響を及ぼした形跡があるんだ。マクドナルドの偽装漂着の一部始終を述べ尽くしてしまう前に、そのことをはっきりさせたほうがよいと思う。ミスターXと音吉、ミスターXとアメリカ政府高官との接触の可能性についても、仮説を積み重ねていく必要がある。次回からの公判で、それらに言及することにして、本日は、これにて閉廷する」
