ヒューマニズムは言語のカベを超えた日米両国の架け橋


 昨日は、秦野裁判長が、マンハッタン号の幕府へのアプローチ法から考えて、「音吉の智恵でもないぞ。さりとてアメリカ人の考えたことでもなく、船頭や漁師から出た知恵でもない」として、「単に侍というにとどまらず、房総の地の理に相当くわしい者が、密航して、マンハッタン号に乗船しており、クーパー船長に智恵を授けた」ことを指摘しました。

 一晩考えたうえで、本日の公判廷で判断を述べた長井検事の結論も同じでしたが、「当時の松平近直のやり方から考えると、天保十四(一八四三)年の暮れ、清国船に乗って長崎出島に帰国してきた栄寿丸漂流民善助・初太郎から、音吉に関する情報、すなわち仮説《》のうち「伝書鳩プロジェクト」なる計画が存在することを聞いて、ミスターXを森山栄之助の後任として長崎出島に送り込み、オランダ船でマカオへ密航させたとも考えられる」という新説を唱えました。

「それだな。その線のほうが合理性がある。そのように訂正して、これからは仮説《A》を基準にして推理を進めよう」

 秦野裁判長はその場で長井検事の意見に賛同して、受け容れました。

 以下は、長井検事による秦野裁判長の論述書の代読、つづき……。

          

 縫之助は由蔵と太郎兵衛を乗り移らせた漁船があらぬ方角へ逸れていくのを眺めて、万一を思って、江戸湾へ向かう途中、野島崎の手前でさらに二人上陸させた。そして、その日は州崎沖で停泊した。

翌十八日の夕刻、忍藩士が乗る伝馬船がマンハッタン号に接舷してきて、江戸湾の入り口にて待てと伝えてきた。クーパー船長はわけがわからず「ホワット?」を繰り返すばかりであったが、ほどほどのところで、縫之助はそっと耳打ちした。

「ゴー・トゥー・ザ・エドベイ、プリーズ」

 伝馬船が掲げる旗印で富津に陣屋を構える忍藩士とわかる。大津陣屋お備えの河越藩の伝馬船まで出役してきたことで、縫之助は由蔵が役目を果たしたことを知った。

 マンハッタン号は、たちまち忍藩と河越藩のお備え船に十重二十重に取り囲まれた。州崎の海岸は、物見の人でいっぱいになった。

「これが、しきたりなのです。何も心配することはありません」

 縫之助はそういって、クーパー船長を安心させてから、説明を加えた。

 江戸湾の入り口すなわち三崎と野島崎を結ぶ位置が待機線なのである。内外の船を問わず、通行許可状を持たない船は進入を阻止され、その位置で許可が出るまで待機するのがきまりであった。

「由蔵が役目を果たしたからこうなったので、あとは太郎兵衛がどうやるか、それもここで待っていればわかりますから」

「ジョセフがいてくれて助かった。私としては神に感謝したい気持ちでいっぱいです」

 筆談でのやり取りであるが、縫之助は驚いて、めずらしいものでも見つけたように、クーパー船長を見つめた。感謝するのは縫之助であり、徳之丞や勇助たち、幸宝丸と千寿丸の漂流仲間である。

 あとになってわかるのだが、ブキャナンの密命を帯びるクーパー船長が、日本人漂流者を救助したのは、ある目的を遂げるための必須の手段だからであった。しかし、こうして無数の船に取り囲まれてみると、いかに無謀であったか、危険に直面してみて、はじめて日本人漂流者を連れてきただけではどうにもならなかった、とクーパー船長は悟らざるを得なかった。したがって、日本政府の事情に通じた縫之助がいてくれたために得られた安心、と考えるからこそクーパー船長は感謝を口にするのだろう。

 暮れると、洋上に灯火が浮かび、それらの明かりが無数に揺れ動くさまが、幽玄の美を現出した。縫之助は、クーパー船長に許しを請うてから、幸宝丸と千寿丸の漂流者たちを前にしていった。

「みんな郷里が恋しかろう。その思いを唄に託して訴えてはどうか。宴会ではないのだから、同じ唄を繰り返し、繰り返し、歌ってかまわない。まわりに群がるお国の船の者たちは、この船には同朋がいるのだと、あらためて思い知るに違いない。郷里の唄こそ百万言の嘆願書にまさるぞ」

縫之助にいわれて、千寿丸の勇助が「南部牛追唄」を歌った。

「田舎なれどもサーハーエ、南部の国はサー、西も東もサーハーエ、金の山、コラサンサエー。
今度来る時サーハーエ、持って来てたもれヤー(おくれヨー)、奥の深山のサーハーエ、なぎの葉を、コラサンサエー。
さても見事なサーハーエ、牛方浴衣ヨー、肩に籠角(かごつの)サーハーエ、裾小斑(すそこぶち)、コラサンサエー。
沢内三千石サーハーエ、お米の出どこヨー、つけて納めたサーハーエ、お蔵米 コラサンサエー。
沢内三千石サーハーエ、およねの出どこヨー、枡で計らねでサーハーエ、箕で計る、コラサンサエー。
肥えた牛(べこ)コにサーハーエ、曲木(まげき)ょ鞍コ置いてヨー、金の成る木をサーハーエ、横づけに、コラサンサエー。
江刈葛巻サーハーエ、牛方の出どこヨー、いつも春出てサーハーエ、秋もどる コラサンサエー。
大志田羊歯(しだ)の中、サーハーエ、貝沢野畑ヨー、まして大木原(おぎはら)サーハーエ、嶽の下、コラサンサエー。
牛よ辛かろうサーハーエ、今ひと辛抱ヨー、辛抱する木にサーハーエ、金がなる、コラサンサエー。
サンサ羊歯の中サーハーエ、萱野の兎ヨー、親が跳ねればサーハーエ、子も跳ねる、コラサンサエー。
一の先達はサーハーエ、すだれと小斑ヨー、それの後たちゃサーハーエ、裾小斑、コラサンサエー」

 次に船頭の徳之丞が名乗り出て、

「今度は幸宝丸の番だ。祖谷の粉ひき唄を歌う」

 自慢の喉を披露した。

 

祖谷のかずらばしゃ、蜘蛛のゆの如く、
風も吹かんのに、ゆらゆらと、
吹かんのに、吹かんのに、風も、
風も吹かんのに、ゆらゆらと、

祖谷のかずらばしゃ、ゆらゆらゆれど、
主と手をひきゃ、こわくない、
手をひきゃ、手をひきゃ、主と
主と手をひきゃ、こわくない。

粉ひけ粉ひけと、ひかせておいて、
あらい細いの、なしょたてる、
あらいの、あらいの、細い、
おらい細いの、なしょたてる、

粉ひきばあさん、お年はいくつ、
わたしゃひき木と、うない年、
ひき木と、ひき木と、わたしゃ、
わたしゃひき木と、うない年。

 

 聞きながら、縫之助は胸にこみ上げるものを覚えた。

彼らは幸運にめぐまれて住みなれた祖国の郷里へ戻る。それがしは逆に未知の異国に蛮勇のみを羅針盤にして向かう。住む場所どころか居場所があるかすらも未知数である。

 縫之助が感傷に浸っていると、すぐ後ろで聞きなれない楽の音が聞こえてきた。振り返ると、クーパー船長が、見たこともない弦楽器を演奏していた。バイオリンであった。クーパー船長は、最初こそ歌い手の気持ちに水を差さないように、食い違わない程度に、控えめに伴奏していたが、同じ唄が声を変えて何回か繰り返されるうちに節を覚えてしまったらしく、やがて伴奏が歌声と見事に一致するようになった。

 いつの間にか「祖谷甚句」が歌われていた。

「エーエ、甚句甚句と、名はよいけれど、甚句左程の歌じゃない。
アラ、お前さんに会おうとて、たいてな辛棒をしたわいなー、来なェー、毎晩。
エーエ、此処で歌うたりゃ、聞えようか殿に、何で聞えよう、小うねごし。
アラ、お前さんに会おうとて、たいてな辛棒をしたいわなー、来なェー、毎晩。
エーエ、逢うて嬉しや、別れがつらい、逢うて別れが、なけりゃよい。
アラ、大きい提灯、こんまい提灯、行燈に燭台、ぼんぼり、ぼんぼり。
エーエ、山が高うて、あの家が見えぬ、あの家こいしや、山にくや。
アラ、大きい提灯、こんまい提灯、行燈に燭台、ぼんぼり、ぼんぼり」

 それとなく縫之助が演奏するクーパー船長を観察すると、滂沱と涙が頬を伝っているではないか。

縫之助も、涙で頬が濡れていた。

 唄がやみ、伴奏が終ると、幸宝丸と千寿丸の漂流者たちがクーパー船長に拍手を送った。クーパー船長も、バイオリンと舷を脇に抱えて、彼らに拍手を返した。同時に、暗がりから、大勢の拍手が鳴った。マンハッタン号の乗組員であった。

 歌詞はわからないでも、節は万国共通語なのだ。

「田舎なれどもサーハーエ、南部の国はサー、西も東もサーハーエ、金の山、コラサンサエー」

 今度は、千寿丸の者だけでなく、幸宝丸の者も一緒になって歌った。クーパー船長の伴奏も自信に満ちていた。

 灯火が無数に囲む海上からも歌声が聞こえてきた。

「八丁出るときゃ涙も出たがよ、どうぞご無事で帰りゃんせ、ギーギ、押せや押せ押せ、二丁櫓で押せや、押せば湊が近くなる」

 マンハッタン号と囲む船の間に時ならぬ唄の交歓会が現出していた。日本人もアメリカ人も区別がつかないほど唄が心を一つにしていた。縫之助は「どうぞご無事で帰りゃんせ」と口ずさみながら星空を仰いで祈った。

「この歌声よ、浦賀にまで届け」

 祈るうちに、涙で何も見えなくなっていった。

          

 長井検事が、ここまで代読してきたところで、秦野裁判長が拍手を送りました。まさか、自分の論述書の内容に対してする拍手ではないと思われます。果たして、秦野裁判長はいいました。

「仮説《A》の『伝書鳩プロジェクト』が音吉がジョー・マシュー・オットソンと名を改めて永住を決意したマカオをフランチャイズにしていたという長井検事のアイデアは、実に秀逸だな」

「お褒めにあずかり光栄です」

「と、なると、この先の論述書は、内容を書き改めにゃならん。書き直しの作業が終わるまで、しばらく公判を中断する。本日は、これにて閉廷」

 公判の途中で、論述書が書き変わるというのが、日本史法廷独自の持ち味といってよいかもしれません。裁判長が論述書を提出して、検察官が代読するというのも同断です。

 かくして、公判廷はしばらく中断することになりました(週一の更新ローテーションが中断されるわけではありません。念のため)


(つづく)




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