モリソン号事件によって起こされたアメリカ世論に関する致命的な誤伝


 秦野裁判長の論述、長井検事による代読のつづき……。

          

 ウィリアム・キングとチャールズ・キングが去ると、前大統領のジャクソンは現職大統領のビューレンに語りかけた。

「ウイリー(ウィリアム・キング)のやつ、どういうつもりなんだろうな。ここにこうしている間にも、上院外交委員長(ジェームズ・ブキャナン)は音吉と会ってアメリカ合衆国のため、とあるプロジェクトを具体化しようとしているというのに、彼がしているのはモリソン号事件を惹き起こして世論を焚きつける国賊のお先棒を担ぐことであり、世論を誤った方向に向かわせる行為にほかならない」

「チャールズ・キングを利用するつもりで利用されたんでしょう。対日外交推進という姿勢は同じでも、こちらは慎重派、ウイリーは急進派ですから」

 ビューレンが推測を述べると、ジャクソンは瞳を曇らせた。

「理由はどうあれ、上院仮議長と上院外交委員長の二人が真っ向から対立する構図は、国家のためにもよろしくない。ウィリーを取り込む必要があるぞ」

「二人が疎遠になったのは、ブキャナンがロシア駐在公使になってアメリカを離れた二年間が原因です。あの二年間が二人の疎遠に輪をかけたとかで」

「しかし、対日交渉に先鞭をつけたのはロシアだぞ。わしとしては対日方針を決めるためにも、ロシアから情報を得る必要があった。結果としてブキャナンは日本通となり、対日方針の決定に大きく貢献した。国家にとっては実に意義のある二年間だった」

「おっしゃる通りです。しかし、弊害があったのも事実です」

「弊害?」

 ジャクソンは色をなした。

「何のことだ。わしに責任があるとでもいうつもりか」

 ジャクソンの剣幕に気圧されて、ビューレンは返答に窮した。

          

 モリソン号事件が起きた一八三七(天保八)年当時、アメリカ合衆国大統領はマーチン・ヴァン・ビューレンであった。二期八年つづいたアンドリュー・ジャクソン大統領の引退を受けて、ビューレンは民主党候補として選挙に臨んだわけであるが、彼はいかにも小物という印象を拭いきれず苦戦つづきであったというのに、大統領候補を乱立させて自滅したホイッグ党の敵失に救われて当選した。新任の大統領就任式が行われたのが三月四日、遠く離れた日本の浦賀に音吉ら日本人漂流者七人を送還してきた民間の商船モリソン号に時の浦賀奉行太田運八郎資統が問答無用とばかりに砲撃を加えたのが和暦六月二十八日、西暦に直すとモリソン号事件は大統領就任式から約四ヵ月後に起きたわけで、ジャクソンに対してエドモンド・ロバーツの立場にあるビューレンとしてはあまり積極的に関与したくない問題であった。だが、チャールズ・キングの画策で世論は対日弱腰のホワイトハウスを非難してやまず、その火消しのため、とうとう院政を敷くジャクソンがビューレンに代わって乗り出すことになったのだった。

 アメリカ側の事情は、このあたりまで言及しておけば十分であろう。

 当時、日本の国禁を犯して浦賀に侵入してくる黒船は各国政府が派遣する軍艦がほとんどであった。しかし、日本と通信・貿易を許されて長崎に商館を構えるオランダを通じて「薪水給与令」から「無二念打払令」へ幕府が対外政策を後退させたと伝わってからは、各国政府はようす見に転じて軍艦の派遣を見合わせていた。そうしたさなかに民間の商船が日本人漂流民の送還を口実に開国通商のみならずキリスト教の布教まで込みにして要求すべく江戸湾に侵入したのだから、本国政府としては理解に苦しむところであり、結論していうならば最初から百パーセント成就する見込みのない暴挙であった。

モリソン号は浦賀で砲撃を受けてのち、直ちに薩摩国鹿児島の山川湊に向かい、薩摩人と思われる漂流者四人と音吉ら三人を引き渡したいと申し入れ、貿易を求めるチャールズ・キング署名の書簡を提出したのだが、結局、ここでも砲撃を受けて空しく広東に引き揚げた。莫大な費用を投じてモリソン号を派遣しながらチャールズ・キングは骨折り損に終わってしまったわけである。

 そもそもモリソン号事件とは何だったのか。

 チャールズ・キングとは何者なのか。

 ジャクソンの調査の主眼はその二点に絞られたわけであるが、やがて届いた調査報告書は次のように語る。

《前に述べたように、チャールズ・キングは広東を拠点とするアメリカの貿易会社オリファント商会の共同経営者の一人であった。モリソン号についてはオリファント商会所有の商船と説明する報告もあればチャーターしたとする報告もある。いずれにしても二十八歳のチャールズ・キングが計画した浦賀侵入計画は「途中で日本人漂流民を拾って」という杜撰極まりないものだ。

日本人漂流民を探していたはずのチャールズ・キングの計画がどれほど杜撰であったかは、広東からそれほど離れているわけではないマカオで、音吉ら日本人漂流者七人の送還を口実にして日本に入国し、キリスト教を布教するのを目的とした民間使節団が編成されたのに気づかなかったことからもわかる。ましてやマカオ在のドイツ人宣教師ギュツラフは、音吉らの協力を得て世界初の『ギュツラフ和訳聖書』を編纂したばかりだ。二百キロとは離れていない広東とマカオで暮らしながら、そのことにさえ気づかなかったという事実が、チャールズ・キングのモリソン号派遣が衝動的で、計画性を持たない行動だったことを暗示する。

ギュツラフの計画も無謀の謗りを免れないのであるが、苦心して編纂した『ギュツラフ和訳聖書』を役立てるための訪日計画だから、気持ちとしてはわからぬでもない。できるかどうかではなく、なすべきことをなすのが新約聖書の説くキリスト教精神だから、対日布教のための手立てを現実に講じなければ何のための『ギュツラフ和訳聖書』の編纂であったのかということになりかねない。しかし、なぜ年一回の割で長崎に向かう次のオランダ船を待たなかったのかという疑問は残る。

ギュツラフの訪日使節団は、日本人漂流者七人を確保した時点で構想され、直ちに実行に移されたわけであるが、那覇行きの船しか見つけられなかった。しからば那覇から先はどうするつもりだったのかといえば、長崎へ向かう清国の船と交渉する考えだったのかもしれないし、チャールズ・キングのことを事後に聞きつけてあとを追ったとも考えられる。恐らく後者だったのではないか。同じ極東地域で対日交渉を当面の目的とした民間使節が、ほぼ同時に計画されながらすれ違い、途中の那覇で合流をみたのはそのためだったのだろう。ただし、ギュツラフの当初の計画では長崎へ行くつもりであったが、渡航手段を持つチャールズ・キングの強い主張で、急遽、浦賀に変更された。

チャールズ・キングの計画は、以上のごとくモリソン号を用意したというだけの極めて行き当たりばったりなもので、目的の大きさ、困難さを思うとき、そのいいかげんさが浮き彫りにならざるを得ないわけである。チャールズ・キングとしては成功しようとしまいと最初からどちらでもよかったわけであり、一見、彼の計画は衝動的で杜撰にみえながら、実は深い読みと計算のうえに成り立っていたといえなくもない。

調査報告書を読み終えて、アンドリュー・ジャクソンは、以下のごとく断じた。

「チャールズ・キングの目的は実はアメリカ世論に対日貿易開始の気運を焚きつけるのが目的だったようだ」

 果たして、対日貿易に期待するアメリカ本国の貿易業者はチャールズ・キングの暴挙を壮挙と勘違いして、彼をヒーローに祭り上げ、「自国民の船乗りたちに、日本政府の役人はなぜにかくも無情なのか」という世論に便乗するかたちでホワイトハウスに圧力をかけるようになった。ホワイトハウスはチャールズ・キングの失敗を単に「失敗しました」では済ませられないシチュエーション下に置かれたのである。それがためにジャクソンは、モリソン号事件を政府の対日政策に打撃を与えた犯罪という見方をし、時の大統領ビューレンの名を借りて事件を起こしたチャールズ・キングを首謀者として召喚したのだった。

 

 日本を開国させるのは太平洋航路を開くとき

 

 それはさておき。

 ビューレンがジャクソンへの返答に窮したとき、キング仮議長が戻った。

「ウイリー」

 ジャクソンは直截に呼びかけた。

「なぜチャールズ・キングの片棒を担ぐのか。まさか、あの男の正体を見抜けないわけではあるまいが」

「そりゃあ、癖のある男ですが、モリソン号事件は評価すべきです。彼が事件を起こしたお陰で世論が目覚めたわけですから。われわれ政治家はチャールズのようにもっと日本に働きかけるべきです。行動すべきです。艦隊を派遣すべきです。派遣すれば結果は出ます。政治家の役割はそれからです。たとえ日本を焦土に変えましょうとも、文明の種を蒔けば、やがて極東に近代的な民主主義国家が芽生え、育ち、後進の他国の模範となりましょう。時には大胆に大鉈を揮うのが政治です」

 キング上院仮議長が畳みかけるようにいうと、

「上院仮議長がまた、なさけないことをいうものよの。しかも、親分のジャクソンに向かってじゃぞ」

ジャクソンはこういって鼻先で笑い、揶揄するようにキング上院仮議長に次のように反問した。

「ところで、ウイリー、あんた『忠臣蔵』を知っているか」

「は?」

 キング上院仮議長は面喰らってジャクソンを見つめ返した。

「日本には仇討ちという精神文化があるそうだ。仇討ちそのものは今でこそ禁止されているが、どういうものだったかというと、つまり、こちらでいう決闘のようなものだな。名誉を守るために生命を賭ける。ただし、日本では仇討ちは個人ばかりでなく集団にも適用される。なりゆきによっては国家転覆のエネルギーともなりかねないから、日本政府は禁止に踏み切った。それでも仇討ちはなくならない。ジェイビーの請け売りだが、そういう根強い精神風土を持つ日本に戦争をしかけた場合、軍事力の差で勝つには勝つだろうが、焦土の中から国民的エネルギーが一丸となって蘇り、前にもまして旺盛な復讐心で立ち向かってくる、そうした恐ろしい事態に、政治家としてどう対処するつもりか」

 ジャクソンの思いもよらない鋭い舌鋒に気圧されて、キング上院仮議長は唖然とした。ジャクソンはここぞと畳みかけた。

「太平洋航路を開くまで日本を開国させるメリットは何もない。アメリカの利益は清国にある。マカオを拠点に現に貿易が行われ、アメリカのすぐれた綿製品が粗悪なインド綿を用いたイギリスの綿製品を駆逐しつつある。アメリカ製品がイギリス製品に取って代わる日は遠からず必ずくると思うが、まだ太平洋航路を開くほどの段階ではない。実現しつつある可能性をふいにしてまで対日交渉を急ぐ必要がどこにある」

 マカオを根拠地とするアメリカの対清貿易量が倍増するまで、現状の喜望峰まわり、ホーン岬経由、どちらでも間に合う。太平洋航路開設を必要とするレベルに対清輸出高が達するまで、対日交渉は少しも急ぐ必要はないのである。これがジャクソンの対日外交スタンスだった。

「日本を開国させるのは太平洋航路を開くときだ。太平洋航路を開く前にアメリカ本土で西漸政策を一段と進める必要がある。イギリスとはオレゴン問題があり、メキシコとはテキサス問題を抱えて、今はそれどころではない。上院仮議長ともあろう者が、それくらいわからんで何とする」

「そういうことでしたか。まさにオレゴンとテキサスが先です。目から鱗が落ちました」

キング上院仮議長はジャクソンが明快に説く道理に返す言葉がなかった。キング上院仮議長が自分のいうことを理解したと見て取ると、ジャクソンは一転して静かに語りかけた。

「何もいわずに、ジェイビー(ジェームズ・ブキャナン)と会え。上院仮議長と国務長官が力を合わせて伝書鳩プロジェクトを実現させてくれ」

「何ですか、その伝書鳩プロジェクトというのは?」

「ジェイビーと会えばわかる」

 国務長官ブキャナンが日米通商条約批准時の大統領になり、キング上院仮議長がペリー提督二度目の来航時の副大統領であることは前に述べた通りである。日米外交に深く長く関わった二人が、ジャクソンと強いつながりを持ったことも、アメリカでは周知の事実である。

 さて。

 こうした背景の下、音吉とチャールズ・キングのホワイトハウス召還が行われ、音吉の伝書鳩プロジェクトがスタートするのであるが、個別に行われた二人の召還が一つにより合わさった八年後に起きるのが、デフォルメ仮説「チャールズ・キング殺人事件」なのだが、それはまだ先のことだから、ひとまず脇へよけておく。

          

 長井検事の代読が一区切りついたところで、秦野裁判長がいいました。

「モリソン号事件によって対日批判の世論がアメリカで高まったのは事実だが、非武装の船を予告なしに攻撃するのは重大な国際公法違反だというのは、むしろ、付けたりの理由で、《難破という不運に遭い、運よく助けられながら、今はホームシックに泣く自国民の船乗りたちに、日本政府の役人はなぜにかくも無情なのか》という人道上の非難の声が本当の理由だったということ、さらには、アメリカの目的は太平洋航路の開設にあり、そのために不可避な下田開港が最優先事項で、必ずしも開国や通商が主目的ではなかった。こうした認識に立たないと、『艦隊を派遣して鎖国の扉を破壊し、即刻、開国させるべし』というアメリカ世論を読み誤ってしまうだろう。本日は、その点を強調して閉廷する」

 こうしてモリソン号事件に関する本日の公判廷は幕を閉じました。

 ところで、モリソン号事件に関しては、事件当時二十八歳だったチャールズ・キングが、八年後、三十六歳の働き盛りでなぜか急死を遂げる事実に関する審理が残っており、そこまでやり遂げてこそ、審理が全うされるのですが、一事案の審理にこだわっていると、幕末開国史全体の動きが見えにくくなってしまうため、次回は音吉に関係する栄寿丸遭難漂流について、審理することに致します。モリソン号事件には、デフォルメ仮説「チャールズ・キング殺人事件」が残されていることを、のちのちのためにもご記憶いただきたいと存じます


(つづく)




ブログランキングに参加しています。
↓ポチッとお願いします↓
人気ブログランキング