たとえ犬畜生と思われようとも、戦うからには勝たねばならぬ
(その前編)



 藤川台の松尾山側に結いまわされていた馬防柵、それは依然としてナゾのままです。しかし、藤堂高虎の軍勢が吉継に対して攻撃を開始しました。京極、朽木、脇坂、赤座、小川が挙って藤川台に攻めかかりました。

かくなるうえは、馬防柵、何するものぞ。

 これまで総攻撃の決断を妨げてきた秀秋の疑念は払拭されました。

しかしながら、実は関ヶ原に来るまで、秀秋は吉継が麓に陣取っていることを知らなかったのです。加えて、小早川勢八千が攻め下ったら西軍は壊滅的打撃をこうむるでしょう。

秦野裁判長がおごそかに開廷を告げました。

「秀秋がアイスピックを振り上げた。今、それを振り下ろそうというとき、秀秋の胸を去来したのは何であったか」

 長井検事が発言します。

「関ヶ原合戦、なかんずく秀秋がまさに『かかれっ』と攻撃命令を下したときの心境はまだ手つかずです。無能なるがゆえに決断できずにきたというような解釈は、まさに中世の宗教裁判と同じです。現代に身を置くわれわれまでそのような暗黒主義にお付き合いすることはありません。近代的捜査法を関ヶ原合戦にしっかり当て嵌めてやってみましょう。ただし、経験則がなければ予測は不可能です。選挙予測調査が当たるのは、誤差の大きい調査データを選挙区の情勢に明るく経験則的知見を持つベテラン記者が誤差を修正するから、予測がつき、素早い当確となり、結果が正確に出るのです」

「そうすると、わしがこれから披露するのは調査データに当たる要素ということになるな」

「そうです。遂に、そのときがきました」

「戦闘が始まるまで、秀秋はこれから自分のすることがどれほどの結果をもたらすかわからなかった。わかってみると、さあ、えらいことだ、おのれが参戦することで何百人、何千人の将兵が命を落とすに違いない。東軍も、西軍も、へちまもない。何人の兵が死ぬか、犬畜生のように嫌われるかもしれない。これが秀秋の心理を読み解く鍵となる思いだな。しかも、最初に蹴散らす相手は大谷吉継だ。この最悪のシチュエーション下で、アイスピックを振り上げた秀秋の心理状態がようやく見えてきた。土台は迷いだ、極めて人間的な……」

 秦野裁判長はみずから裁判長席から証言台に身を移し、

「これから朝倉教景が一向一揆加越連合軍三十万のうち二十万人を殲滅させた九頭竜川の合戦について述べ、そのうえで秀秋の心理分析を行います。なお、史料にはいくさの概略しか記録されておりませんので、某小説家が書いたばかりの原稿を拝借して、私の論述に代えます」

このように前置きして以下の論述を行いました。

          

 教景が貞景に進言した策は巧妙に実行に移された。教景は敦賀へ帰るとみせかけて大塩の円空寺、石田の西光寺、久末の照巌寺、荒川の興行寺の住持たちを捕縛して一乗谷へ送り、藤島の超勝寺を襲い、実顕を加賀国に走らせた。

 蓮淳が率いる近江一向一揆軍は合流するはずの実顕が現われず、越前国内から呼応する動きも見られぬため、早々に戦意を喪失、教景の手勢にざざんに蹴散らされて敗走に次ぐ敗走を重ねて、命からがら堅田から来援にきた本福寺明宗にようやく助けられるといった体たらくであった。

 約束したことをわずか三ヵ月の間にまるで庭の草を刈り取るようにいともたやすくやってのけて現われたた教景を、貞景は居並ぶ重臣たちの前で大喜びで迎えた。

 しかし、教景はいった。

「戦後の対策を先にやっただけで、本当のいくさはこれからです。全軍の総大将はお決まりですか」

「そちしかおらぬ。教景のような大将軍の指揮なら誰もが従うだろう」

「それでは、配置を述べます」

 教景は重臣たちを一人ひとり名指しして持ち場を伝えた。

「偵察して得た情報によると、去る七月十七日、九頭竜川右岸に加賀・越前・越中の一向一揆連合軍が続々終結を始めたということだ。鳴鹿表に超勝寺実顕を将とする五万五千、中ノ郷村と五領ヶ島の対岸領家に河合藤左衛門、蕪木常専の両将が率いる十万八千、高木村の対岸中角に越中瑞泉寺勢など八万八千、黒丸村対岸に河合藤八郎、山本円正入道ら五万七千。これに対して味方は鳴鹿口に朝倉景識、魚住帯刀以下三千三百騎、中ノ郷口は朝倉教景、有藤民部丞、前波藤右衛門以下三千騎、高木口は勝蓮華右京進、堀江景実、武曾深町以下二千八百騎、黒丸口には山崎祖桂、中村五郎右衛門、半田次郎兵衛、江守新保以下二千騎を配置する。おのおのがた、よろしいか」

 教景が見渡すと朝倉景識が代表して質問した。

「足軽は何千ほどか、おおよその数だけでもお教え願えまいか」

「足軽は無用の兵ゆえ一兵も用いません」

「騎馬武者だけでは戦えんぞ」

「九頭竜川を渡河するとき足手まといになりますからはずしました」

 教景と景識のやり取りを聞いて重臣たちがめいめい勝手に意見をいい始めた。

「川の半ばを渡るとき討つ、それがいくさの常道であろう。こちらから渡河しては流れの藻屑になってしまうぞ」

「いっそ、それぐらいなら、一乗谷に誘い込み、決戦に出たがよかろう」

 重臣たちの代表的な意見は以上の二つに要約されそうだった。

 教景は好きなようにいわせておいた。景識は最初から教景の作戦に従うつもりだったが、重臣たちの本音を引き出すために一役買ったのだ。教景と景識が黙ってしまったのに気づいて、重臣たちは沈黙した。

「一向一揆は号して三十万、さばを読んだとしても二十万は下らないだろう。迎え討つわが軍は約一万騎。普通の神経で勝てるかどうか、考えてもみよ」

 教景の言葉に多くの者がうなずいた。

「それがしはこたびのいくさに一罰百戒の意気込みで臨むつもりである。いくさとは国が滅びるかどうかの瀬戸際でするもの、一向一揆の連合軍はどうかといえば、欲に駆られての越前国への侵略、これを罰せずにおいては世の中に示しがつかぬ。しかし、百姓と百姓を戦わせるのは避けたい。武士と百姓が戦えばどうなるか、事実をもって世の中に訴えたい。そういういくさを戦うのだから、なおのこと負けるわけにはいかぬのだ」

 呼びかけではなくて教景の決意表明であった。

「いくさはもう嫌だとだれもが感じ始めている。だが、やめさせられるのか。しからば、とのようにして……どうしたら、なくせるのか」

 教景は天魔鬼神となって九頭竜川の陣頭に立った。味方は一万騎、敵は三十万と号している。ここを破られると一乗谷まで足羽川という一筋の流れしかない。敵の渡河を防ぐには味方が渡河するほかなかった。当然、軍議は紛糾をみた。

「無事に渡河できたとして、たかだか一万の軍勢で三十万の敵をどうやって倒すのか」

「おのおの方は木曾義仲の倶利伽羅峠の合戦をご存知か」

「もちろんである」

「存知よりならば詳しくは申すまい。倶利伽羅峠には壮大な落とし穴が隠されていた。ぼそぼそに風化してちょっと力を加えただけで木々という木々が根こそぎつちくれとともに千尋の谷底に向かって落ちていく。まさ土と呼ぶのだそうだ。義仲がうっかりうとうととして馬上で居眠りしたため、乗馬が右に寄って部下の将を押しやり、馬もろとも谷に転落させてしまった。義仲はおどろいて目を覚ました。そのとき恐ろしい落とし穴が口を開けて、われに敵の生き血を吸わせよとわめき叫ぶのを見、天佑と感じたという。新しい花崗岩は堅くて道具をもってしても打ち砕くのは大変だが、大自然が膨大な時間を費やして倶利伽羅峠のすべての花崗岩を土よりももろいまさ土に変えてしまった。しかも、深い谷の斜面のすべてがまさ土ときた。しからば、九頭竜川で倶利伽羅峠の落とし穴に相当するのはなにか。九頭竜川である。九頭竜川そのものである。論より証拠という。お疑いならばついて参られよ」

 教景は先頭に立って九頭竜川へ行き、迸るように流れる急流を指差した。

「この光景をしっかりと脳裏に焼き付けてもらいたい」

 九頭竜川の急な流れ、えぐれたような切り岸、さして遠くもない対岸、などなど、重臣たちはそれぞれに記憶に焼き付けて本陣に戻った。すると、そこに一乗谷からの急使としてきた小泉四郎が教景を待ち受けていた。

「ご上意です。敵を渡河させてはなりませぬ。こちらから機先を制して渡河作戦を敢行せよとのことでござります」

 小泉四郎は貞景の花押の入った軍令状をかざして、重臣たちを眺め渡した。教景は一乗谷を発つとき貞景から軍使を派遣して全軍に渡河作戦を命じるようあらかじめ手をまわしてきたのであった。

 教景はすっくと立って宣言した。

「もはや軍議のときは去った。かくなるうえは天魔鬼神ともなろう、犬畜生ともなろう。おのおのがたも、これまでのいくさの常識は捨ててかかってもらうぞ」

 教景は貞景の命令に重しをつけるため四郎を戦目付の格で陣中に留めてから、さらに具体的に噛み砕いて説明を加えた。

「およそ、いくさには法がある。数でするのは下の下、九頭竜川を見たであろう。あの急流、水量、岸に這い上がろうとしても川の中からは地面に手が届かない。敵将の立場で考えれば童子でもわかることではないか。三十万もの人数を敵の目の前でどうやって渡らせるつもりか」

 重臣たちは目から鱗が落ちたように愁眉を開いた。

「もう一つ、大事な、秘中の秘がある。おのおのがた近う寄られよ」

 鳩首して顔を寄せてきた重臣たちに、教景はささやいた。

「ここまでくれば騎馬隊のみで軍を編成した理由はおわかりと思う。一つは渡河には馬が必要なこと、もう一つは三十万の大軍を蹄にかけて蹴散らすため。敵がいくさのために渡河してくるときは、そのつもりで準備もし、それなりの覚悟で渡ってくるはずだ。しかし、背後から騎馬の蹄で陣形をくずされ、逃げ惑う兵の目に牙を剥いて流下する九頭竜川は何と映るか。あれよあれよという間もなく次から次へと押されて飛び込み、あるいは突き落とされ、あたら流れに呑まれて溺れ死ぬのみ。敵兵を殺す得物は槍、刀にあらず、馬の蹄である。それゆえ総攻めのときは身軽を旨として槍、弓矢などは持参すまじきこと」

 九頭竜川という大自然が掘った落とし穴、三十万大軍の墓場……。

これまでのいくさのやり方をがらり一変させた教景の考えに重臣たちは声を失った。

 

 教景は月が欠け切って新月になるのが先か、雲が広がって月明かりを遮るのが先か、どちらかの機会を待っているのだが、八月に入っても快晴の日ばかりつづいて、とうとう新月になるのを待つばかりとなった。

 八月五日の朝を迎えて、中角の渡しに展開していた一向一揆軍から緋縅しの鎧で身を固めた騎馬武者が進み出て名乗りをあげた。

「われこそは寄せ手の大将河合藤八郎なり。一騎打ちにて勝敗を決しようではないか。いかがか」

 黒丸口の守将山崎小次郎祖桂が進み出て応じた。

「山崎小次郎祖桂である。来るには及ばず、こちらより参る」

 流れにざんぶと馬を乗り入れ、巧みに流れを横切って対岸に駆け上がったかと思うと、太刀を振りかざして河合藤八郎に突っかけた。

「え、おうっ」

「こな糞」

 打ちかかる太刀と受ける太刀が火花を発し、閃き合って、遠くからも両将の戦いぶりが見て取れた。

「小次郎、負けるな」

「藤八郎様、しっかり!」

 敵味方が両岸から声援を送るうちに藤八郎の太刀が根本から折れてしまった。これはいかんと藤八郎は逃げ出した。

「逃げるかっ。こら、待て!」

 退こうとする藤八郎に背後から追いついて、小次郎が太刀を両手に持ち替えて刺し貫いた。藤八郎は絶命して馬から転げ落ちた。

「口ほどにもない。黒丸口を小次郎が受け持つかぎり一兵たりとも九頭竜川を渡すものではないぞ。ほかに一騎打ちを望む者はないか」

「おうっ」

 黒糸威しの鎧を着た僧形の騎馬武者が小次郎の前に進み出て名乗った。

「山本円正入道である。覚悟はよいか」

 小次郎が応じようとすると、いつの間に渡ってきたのか、中村五郎右衛門が横から円正入道に突っかけた。

「坊主の相手はこの俺だ。われこそは黒丸口の副将中村五郎右衛門なり。おまえの相手はこっちだ」

 小次郎は疲れていたので一騎打ちの相手を素直に五郎右衛門に譲った。すると円正入道は口ほどもなく五郎左衛門に討たれてしまった。いくさのために訓練を積み重ねてきた武将と弱卒の中でふんぞり返って暮らしてきた雇われ武者の戦闘能力の違いは歴然としていた。

 小次郎と五郎右衛門が新しい敵を物色していると、味方のほうから声がかかった。

「早く引き返せ、たわけっ!」

 小次郎と五郎右衛門が声の主を振り返ると、いつの間にきたのか軍目付小泉四郎が馬上でのびあがるようにして罵っていた。

 勝ったはずの二人は再び流れを渡って罪人のようにこそこそと小泉四郎の前に進み、下馬して片膝立ちの姿勢を取った。

「勝ったからよいようなものの負けていたらどうする。取り返しがつかんぞ」

「向こうから今にも渡河してこようとしたものですから」

「来たけりゃ来させろ。好きなように渡らせろ。渡りたくても渡れないから二十日近く滞陣したままなのだぞ。こちらが渡らないものだから、しびれを切らせて挑発にかかったのがわからんのか」

「ちと、お声が高くありませんか、四郎殿」

 叱り飛ばしている当の小次郎に注意されて、四郎は顔を真っ赤にしながら怒鳴った。

「明日は新月、ささやかな祝いを催すゆえ、本陣に参集せよ」

 四郎が口にしたのはあらかじめ各口の守将たちに伝えられて、二人とも待ちに待った総攻めの暗号なのである。

「そう、こなくては」

 小次郎と五郎右衛門は生気を取り戻し、晴れ晴れとして、馬に飛び乗って駆け去る四郎を見送った。

 

 黒丸口から本陣へ駆け戻る途中の高木口で、四郎は馬筏を組んで渡ってくる敵を見かけて駒を急がせた。高木口の守将勝蓮華右京進が左岸に騎馬隊を展開して迎撃の陣形を取っており、四郎が到着したときは矢頃を測っているところだった。

 渡河半ばのところで僧形の鎧武者が大声で呼びかけてきた。

「法華院甲斐坊と申す。一騎打ちが望みじゃ。われと思わん者は神妙に名乗り出よ」

「矢は射んでよい。かまわん、岸に上げさせて応じろ。よいか、これが敵の作戦なのだ。その証拠に後続の馬筏が見えないではないか。全軍が馬筏で渡河を敢行するには絶対数が足りない。一騎打ちでこちらを負かして挑発して、わが軍に渡河させようとしているのだ。どこまでも、こちらを誘って戦うつもりなのだ」

「ならば、それがしが」

 福岡七郎兵衛が進み出ると、勝蓮華右京進が許した。

「よし。七郎兵衛ならば遅れを取るまい。ただし、明日のことがあるでな。あんまり呆気なく勝ちを取るなよ」

 勝蓮華右京進は四郎が一騎打ちを許した意図に気づいているようだ。明日には渡河作戦が断行されるのだから、その気がないように見せかけて油断させる必要があった。

 右京進がいったにもかかわらず、七郎兵衛は太刀を二、三合斬り結んだだけで馬上から敵を斬って落としてしまった。

「おまえたちはどうする?」

 七郎兵郎に問いかけられたのに誰一人意味がわからないらしい。馬筏で逃げ戻ろうにも向きが逆で足軽兵たちはうろうろするばかりだ。

「それがしと一騎打ちをする気はないのだろう」

 全員が黙ったまま頷いた。

「ならば命は助けてやる。馬も連れ帰ってよい。帰ったらおえら方にいうんだ。喧嘩を売るつもりなら、全軍を挙げて来いとな。そうすれば半分くらいは渡らせてやる。ちゃんとそういうのだぞ」

 一揆勢が馬筏を方向転換させて逃げるのを見送りながらひとしきり哄笑していた七郎兵衛が、これでどうだといわんばかりに自慢げに四郎を見た。

「上出来だ」

 四郎は満足して中ノ郷本陣の方角に駆け去って行った。

          

 まだ、途中ですが、掲載スペースの関係で、後半は来週更新の(その後編)に先送りさせていただきます 

(つづく)




ブログランキングに参加しています。
↓ポチッとお願いします↓
人気ブログランキング