東西両軍の決戦場がどういういきさつで関ヶ原に決まったのか、第一日目から思いもよらない推理が語られてきました。残るテーマは「どうして決戦の場が関ヶ原とわかったのか」ということですが、はたして本日はどうなることでしょうか。
「さあ、やるぞ」
開廷宣言と同時に秦野裁判長は掛け声を発しました。
「家康と三成がとうとう至近距離に近づいた。これほど興奮する瞬間はない。両者とも相手だけを殺すことに専念すれば、関ヶ原合戦へとつづくこの瞬間はなかったのだから。かくして、決戦のときに当たり、両者の準備はどうかというとだな。追い詰められたのは三成のほうで、気の毒になるくらい取り乱した」
「具体的におっしゃっていただいたほうが……」
長井検事がそれとなく促します。
「もちろんだとも。だが、もう少し待ってもらいたい。家康にはやらねばならんことがたくさんある。まず、そっちから片づけようじゃないか」
「どうぞ、お好きなように」
「ありがとう」
秦野裁判長は姿勢を正して話し始めました。
「九月八日、白須賀に到着した家康は秀秋の使者と会見した。八日といえば、大谷吉継が松尾山の麓の藤川台に陣地を構えてから六日目、吉継より一日遅れの三日に到着した脇坂安宅、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保らも吉継の至近距離にいた。この事実は何の意味を持たない事実であるかのように書かれてきたが、既存の関ヶ原合戦説の大きな破れ目の一つだな。読者に疑問の喚起を試みた解説もないし、事実に意味を持たせたこともない。史家に「どうしてなのか」と質問して答えてもらいたいところだが、審理を進めたいからやめておく」
「賢明です」
「問題は白須賀で家康と秀秋の使者の間で何が語られたかということ。どういうことかというと、決戦のときが近づくにあたり、決戦の場が関ヶ原と決まったとなると、家康としてはようやく絵が入ったもう一枚の作戦地図を実用化するためには、秀秋の松尾山占拠と家康の赤坂岡山の本陣入りが一日の誤差もないように事を運ばなければならん。しかも、いつでもよいというわけではないぞ。三成が笹尾山にあらかじめ運び込んだ五門の大砲を使い物にならなくするためにも決戦の日は雨の日でなければならん。したがって、秀秋の松尾山占拠と家康の赤坂岡山本陣入りは、その前日でないと困る。では、どうやって天候を読むかといったらだな、観天望気といって空の雲の種類、雲の重なり具合、風向き、温度・湿度の変化、ありとあらゆる経験則に照らして、雨の日はいつかを割り出すんだ。百姓や漁師のように天候にかかわりの深い生業の者に聞けばわかる。すなわち、家康の指令は『向後、雨降りが予想される前日に松尾山を占拠せよ』でないと、ああはうまくいかんかったろうと思う。結果は秀秋の松尾山占拠が十四日、家康の赤坂岡山本陣到着が十四日、それなのにこの十四日がどういう日であったか、翌日の雨を予想させる空模様だったということに言及した史論がまったくない。こりゃ、どういうことなんだ」
「好奇心の欠如というほかないのでは……」
長井検事としては審理をスムーズに進めるため、当たり障りなく答えたつもりのようでしたが、逆効果だったようです。秦野裁判長は一段と声を張り上げました。
「それだけじゃないぞ。西軍には殺されるためとか、窓際族、将来に展望が開けないヤケクソ族というか、そんな連中ばかり集まったわけだよ。それなのに西軍こそ正義だなんて、どういう神経なんだ。ちょっと、いいすぎかな」
「いいです、いいです、好きなことを好きなようにおっしゃってください。ブレーンストーミングなんですから」
「しかし、学者、学芸員ら、専門家はみんな事実を知っているんだろう?」
「わたしらよりも、もっと多くの事実を把握しているはずです」
「だったら、明らかに事実誤認とわかることばかりなのに、どうして是正されないんだ」
「関ヶ原合戦とはこういうものだとカッチリ話が出来上がってしまっていますからね。それに対して『ノー』という勇気がないのか、面倒なことになるだけと割り切ってしまっているのか、とにかく、おそまつの一語に尽きます。ましてや、事が秀秋のことになると、推理小説の巨匠で時代小説の大家でもあった松本清張あたりですら、おかしくなってしまうのですから、まったくミステリアスです」
「つまりは、任意性に疑問がつく自白調書ばかりなわけか」
「おっしゃる通りです。本法廷で証拠採用できるのは事実を述べた部分に限られます。だから、限りなく真相に近い推理を提示していかなければないないと思います」
「よし、わかった。そのつもりで進めよう」
それにしても、関ヶ原合戦に関する既存の著作物のほとんどが「任意性に疑問がつく自白調書ばかり」というのは驚くべきことです。
秀秋は松尾山に登ってまず何をしたのか
秦野裁判長が次に取り上げたのが、松尾山を占拠した秀秋がまず最初にやったことでした。
「秀秋に関する事実のすべてについて質問したいところだが、こちらがやるべきことなら、こちらがやるだけのことで、他は一切不問にしよう。そうするとだな。秀秋としては松屋山に登った、あとは雨が降るのを待つばかりとはいかんだろう。いくさをするために登ったのだから、当然、陣地は築く。次に攻め下るのだから、その道筋、麓の調査・検分だな。そのことによって、わかったことがあるだろう」
「藤川台に大谷吉継が陣地を構築していること、馬防柵を結いまわしているということ、近くに脇坂安宅、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保らも陣地を置いていること」
「一番の問題は馬防柵だな。実は秀秋は吉継が隠れ東軍だということを聞いていたはずなんだ。だから、『馬防柵とはどういうことなんだよ』と戸惑ったに違いない」
「逡巡した理由は一つだけではないと思いますね」
「そこなんだ。今、まさにアイスピックを振り上げた、そのときの被告人秀秋の心理は殺意の判定に欠かせないものだから、ありとあらゆる角度から検討されなければならん」
「今、やってしまうんですか?」
「まさか。そのときでなければ意味がない。しかし、駆け下りたら真っ先に待ち受けるのが馬防柵とわかったからには、対策を考えなければならん。それも秀秋がやったことの一つとして挙げないわけにはいかんだろう」
「おっしゃる通りです」
「馬防柵は何らかのメッセージとは考えられないのか」
「さすが、裁判長。藤川台にもうけられた馬防柵のメッセージ性について、ここに私なりの推論をまとめてきました」
こうして長井検事の論述が始まりました。
秀秋は吉継が麓に設けた馬防柵の対策に最後まで悩まされた
これまでの関ヶ原合戦は「紙の上の合戦」というほかない展開の仕方でつづられてきた。たとえば秀秋が松尾山にきたと知ると、吉継のほうから出向いて意見したといわれる類いである。吉継は失明状態で、身体不自由、輿に乗って移動しなければならなかった。しかも、十四日夜のことだという。
これも紙の上だから「あったこと」のように書ける。現実には秀秋(もしくは代理)のほうが山から降りて吉継にあいさつし、麓の地形を諳んじて戻った事実がなければならない。なぜなら、翌日には雨で足許がぬかるんだ下りの山道を麓へ攻め下ることになっているからである。盲目同然に出たとこ勝負で駆け下るなどということはあり得ない。
そんなに疑うなら、なぜ吉継は秀秋を松尾山にすんなり登らせたのか。九月二日に藤川台にきてから、一体、吉継は何をしていたのか。紙の上だけの考証だから何もしないで十四日を平気で迎えさせてしまう。実際には四方に見張りを置いて警戒を怠らなかったはずだから、当然、中山道筋にも警戒陣を張っていたはず。中山道から分岐して松尾山に登る道があったようだから、秀秋が関ヶ原に駆け下った道とは正反対の側に別の道がついていたわけであり、仮にそうだとしても吉継の陣の警戒線の範囲内である。これほど重大な過失を犯しておいて、「最も秀秋を疑った一人」もないものであろう。
すなわち松本清張曰く、「大谷吉継は、最も秀秋を疑った一人だ」は、次のように書き換えないと嘘になってしまう。
「松本清張もまた、最も秀秋を疑った一人だ」
こういう支離滅裂の方法論的混乱がこれまでの関ヶ原論にはある。
考証に際して適正な手続き(方法論)がなく、「我思う」まま、めいめい自儘に書くから、「一犬虚を吠ゆれば万犬実を伝う」というようなことになってしまうのだ。百家争鳴ならばまだしも健全といえるのだが、まったく不可解というほかない不文律的約束事が支配して判で押したような統一的見解の「秀秋バッシング」である。法曹界に身を置く者としてこの異常ぶりは異様で寒気さえ覚える。考えても見よ。最も疑う秀秋を松尾山にやすやすと登らせて最も困るのはだれかといえば吉継本人ではないか。
関ヶ原合戦に言及しようとする人すべての人の脳から「おかしな先入観」を取り除くことから始めないと、適正手続きを踏み、事実にあるがままを語らせても、「嘘だ、間違いだ」と思われてしまう。
しからば、事実に語らせるとどうなるのか。
吉継が秀秋を松尾山にすんなり登らせたという事実が語るのは、秀秋も吉継も共に「隠れ東軍であり、どちらもそれを承知していた」ということである。十五日当日になって両者が激突するくらいなら、一日前の入山時に激突したほうが西軍のためにはなったであろう。
それが何で十五日当日なのかというと、失明し、身体不自由であり、静かに畳で死ぬほかない吉継は武将として、武将らしく、隠れ東軍のまま死に花を咲かせにきたのだから、西軍逆転勝利というようなことにならない局面で死に花を咲かせるのが理想であった。
後世に語り継がれるほど善戦し、敗れる。
それが目的で、そのことは秀秋も、藤堂高虎も、もちろん、家康も承知していたはずである。
だからこそ、馬防柵があると報告を受けて、秀秋は「まさか、そこまでやるか」と戸惑うほかなかったのだ。
「吉継は信頼できるのか」
松尾山にすんなり登らせた事実を考えれば、吉継は信頼してよい。しかし、馬防柵となると疑義を差し挟まざるを得なくなってくる。秀秋にとっては永遠に解けないナゾではなかっただろうか。
秦野裁判長がいいました。
「今、無理に解く必要はないだろう。信じるべきか、信じざるべきか、ハムレットの心境のままにさせておいたほうが、自然でよい。本日はこれにて閉廷」
