大和大納言秀長が亡くなり、羽柴政権の大御所・大政所が他界した時点で、政権トップの座は徳川政権に禅譲されるのが筋でした。ところが、資格のない秀吉が横からかっぱらってできたのが豊臣政権というふうに前日の審理で述べましたが、それを一番よく知っていて忠実に守ろうとしたのが北政所(高台院)でした。本日の審理はここから始めることになります。
「秀吉存命中は北政所、死後は出家して高台院と号した。つまり、お寧と呼ばれる女性については、自分から藤吉郎(秀吉)に惚れ込み、恋愛結婚をしたといったガセ情報が平気で電波に乗せられているようだが、事実を知っていたらあり得ない典型の話だな。前野家文書『武功夜話』は信長が桶狭間めざして未明に疾駆したとき、藤吉郎は清洲城に残ったと述べている。今川義元が田楽坪と呼ばれる松林で休息するよう蜂須賀小六らが影で画策する場面の描写は地形に対して正確無比の内容だし、不明とされる桶狭間山の位置も正確に特定している。一級資料とされる『信長公記』の記述が不正確すぎるから、謎でもないことがナゾにされてしまうのだ」
秦野裁判長がいうと、長井検事がそれとなく注意を喚起しました。
「そのまま続けると、桶狭間合戦に脱線します、裁判長」
「わかった、わかった。脱線は避けよう」
秦野裁判長は気を取り直して、言葉をつづけました。
「高台院の取った行動が何を暗示するか。彼女を政(まん)かかと呼んで慕った加藤清正らなら、その暗示するところを読み誤ることはないだろうから、高台院の行動を時系列に従って明らかにすれば、羽柴政権から徳川政権への『禅譲』も可能性として見えてくる。こう考えるが、よいかな」
「それは事実が語ってくれるはずです」
「では、家康が加賀征伐を宣言したときに高台院がどうしたか、そこのところから論述してもらおうか」
秦野裁判長の指揮に従って長井検事が論述を開始しました。
政権の正統的な継承者は誰かを一番よく知るのは高台院だった
時代小説というと女性を「男尊女卑」的な目でしか見てこなかったが、そこからして決定的な狂いを乗じさせる原因になってきた。たとえば、加賀前田家の国柱とされた芳春院(前田まつ)が残した言葉からその人物人となりの大きさと深さが感じられる。
その言葉がいわれる場面を祖父江一郎著『関ヶ原合戦』(角川春樹事務所刊)から引用する。家康は加賀征伐を宣言した。それに対して申し開きの役目を仰せつかって大坂城へ現われた横山長知と家康とのやり取りの場……。
《家康は緊張の面持ちで現れた横山長知の気持ちを和ませようとして、気さくに声をかけた。
「遠路の使い大儀でござった。中納言殿はお元気であろうかの」
「お心遣いかたじけのうござりまするが、元気なればみずから参上致すでありましょう。主君はあらぬ疑いをかけられ、立ち歩きもできぬほどに衰弱なさっておられます。それゆえやむを得ずそれがしが代参仕りました」
家康は主君の病を理由にさりげなく弁明する長知の機転に感心するように二度、三度うなずいてから、手文庫から書状を取り出し、彼の前に差し出した。
「これは今年の春、出羽殿より差し出されたものである。長らく判断に迷ってきたが、大蔵少輔の密告もあり、決断せざるを得なかった。加賀征伐は時間をかけ、手順を尽くしたうえでの決断じゃ。それを根も葉もないことと申されては、わしが天下に顔向けできなくなってしまう。ただの申し開きでは済まぬと思うがの」
大蔵少輔というのは名束正家のことである。長知は偽の書状のことは篠原出羽から聞かされている。偽者と断じてしまえばただの紙切れである。ここまで握りつぶしてきて、今、目の前に突きつける家康の深謀遠慮に長知は感嘆し、悪びれずに微笑んだ。
「しからば内府様のお顔が立つように致しましょう。それがしも出羽殿によくいい含められて参りました。どうすればお顔が立つか、率直にご指図くだされ」
「忠興殿もわしに背かぬと誓紙を差し出した。中納言殿からも誓紙を出して欲しい」
「国許へ立ち帰り、早速にも計らいましょう」
「ただし、一片の紙切れで片付くことではない。両家のきずなを幾久しく保つためにも、この際、二つの条件を呑んでもらう」
さて、これからが本題だ、と長知は身構えた。
「まず、承ります」
「条件の一つとして珠姫と利常との縁組みを取りまとめたい」
「承知仕った」
「条件の二つ目は、芳春院のことじゃがの……是非にも江戸へお迎えしたいと思うておる。是非にもな」
長知は唖然として、真意を疑う目で家康を見据えた。
先代利家存命中から芳春院を一つの核として纏まってきた加賀前田家である。体は残してやるから魂をくれというに等しい。無理難題である。どうやらすんなり収まりそうだと安堵しかけていた長知の気持ちは微塵に踏みにじられた。長知の顔から見る間に血の気が引いて行く。
長知は席を蹴って帰りたかった。だが、使者の役目がある。思いもよらぬ家康の注文にどのように応ずべきか、長知は咄嗟の判断に行き詰まった。
「芳春院様のことにつきましては、それがし、ご返事する言葉を持ち合わせませぬ」
「否ということか」
加賀前田家から名も実も取ろうというのである。家康も前田利長がすんなり呑む条件とは考えていない。だが、この条件を通さなければ、本尊・脇侍は成り立たないのだ。石田三成が動いたとき、中立の大名たちが彼の味方に走るのを防ぐ歯止めとはならないのだ。加賀前田八十万石でさえ、これほどの犠牲を払っても徳川には楯突かなかった、という証拠を得たいのだ。
家康は横山長知に詰め寄った。
「故なくして芳春院を望むのではない。源氏の世が滅びてより関東から戦乱が全国に広まり、世の中が千々に乱れてきた。右府公はいくさをなくすためにいくさの権化となられた。美濃国を手に入れられたとき居城を井ノ口に設けられたが、名を岐阜城とされた意味は奈辺にあったか。周の武王が岐山に本拠を置いた故事になぞらえ、岐阜の文字にその念願を籠められた。武王の政は後に孔子や孟子が褒め讃えていることからもわかるように、民を愛し世の中を富ませた人である。右府公のお心にはそうした理想がおありになった。だからこそ、わしは右府公に心から服従し、わが妻、わが子の命を差し出せといわれたとき、涙を飲んで従ったのだ。いつまでもいくさを繰り返していてはならん。加賀前田家が芳春院を差し出してくれさえすれば、たとえいくさになるとも、無用の者どもまでは騒ぐまい。わが妻、わが子を大義のために犠牲にしたわしが頼んでいるのだ。これを非情と受けとめてはくれるな」
家康の言葉に駆け引きはなかった。力を込めるでもない、訥々としたいい方であったが、信念と情熱が吐露されていた。
長知も家康の説くことが理解できないほど愚かではなかった。
「当方と致しましても、だからこそ豊臣家の後見でありながら先代より内府殿を立てる方針で参ったのです。なれど、芳春院の儀だけは……それがしのみでなく、家中一統の苦衷をお察しくだされ」
「わしが望むのはそちの返答ではない。芳春院殿がどのようにご返事なされるか。それが知りたいのだ。早々に立ち戻り、芳春院殿のご意向を確かめて参れ」
長知は重く肩を落とし、十年も老けたような顔をして出て行った》
ここに至る前、家康は二つの条件をクリアしている。そのうちの一つが小早川秀秋を越前北ノ庄から筑前名島に戻すことであった。さらにもう一つが、以下の重大事件であった。すなわち、家康は大軍を率いて大阪入りし、大坂・堺奉行の屋敷を仮の住まいとして、高台院が西の丸を明け渡すのを待った。当時の大坂城留守居が木下家定である。木下家定こそは秀秋の実の父親であり、高台院の実兄である。原因を省いて結果のみ述べると、高台院が西の丸を空けて京に引きこもり、家康が跡に入って天守を築いた。その普請奉行を務めたのは片桐且元だが、天守を築くのを許したのは木下家定だ。
大坂城に天守が二つ……。
そんなことを認めたらどうなるか。
余程の理由が存在しないかぎり、「オッケー」を出せないシチュエーションであったとはだれもが認めよう。ここでものをいうのが、家康が三成を助けたときに確かめた「政かか」(高台院)の説得力であった。木下家定の同意に隠れているのが高台院の同意である。西の丸を家康に明け渡した事実とぴたりと整合する。まことに事実は小説よりも奇なりである。
原因といえるかどうかは判断がむずかしいところだが、念のために「傑出してすぐれた女性の男を選ぶ眼」という物差しをもう一つ用いてみたい。大政所が問題児藤吉郎の嫁に選んだくらいだから、お寧の人物・人となりはかなりのレベルであったと考えてよい。では、具体的にどの程度かというと、判断材料が少ないのがもう一つの尺度を用いる理由で、それが芳春院すなわち前田まつである。加賀前田家が秀吉にどうにかされそうになると、まつはお寧に頼んで無事を図ってきた。お寧が秀吉を懐柔し牛耳ってきた女丈夫と認識していたからだろう。単に気が合うといったレベルではなく運命を左右するレベルの付き合いであったと見なければならない。
安土桃山時代は女性の時代でもあった
そこで、まず、「おまつさん」こと芳春院の人物スケールを知っておこうというわけである。おまつさんが、家康のもとから戻ってきた長知を迎えた場面をつづけて引用する。
《横山長知は一刻ほどして戻ってきた。いくつもある明かり取りの窓からの晩秋の柔らかな陽差しの中に、長知は青ざめた顔で座った。
「不首尾に終わったのかや」
芳春院は長知を迎え、意外な面持ちでたずねた。
長知は黙ったまま首を横に振った。
「なれば、もっと嬉しそうな顔をしやれ」
長知はなおも黙って俯く。
「首尾はいかがでしたか、申しやれ」
「わがご主君が内府殿に対し他意なきことを誓い、なおかつ利常君の正室に秀忠殿の次女珠姫様を迎えるならば、こたびのことは不問にする……内府殿はそれがしにかように申されました」
「上首尾ではありませぬか」
ならばなぜ浮かぬ顔をするのか信じられないという目で、芳春院はうなだれている長知を見つめた。
利常は側室ちよの子で、利家の四男。七歳とまだ幼いが、家康の三男秀忠の娘を迎えれば前田家と徳川家は姻戚の間柄となり、事態は一気に好転する。
武将としての資質は次男・秀康ほどではないが、三男の秀忠は性格も温厚で中庸に徹し、人の意見をよく用いるという。大久保忠隣ら重臣たちの多くから推されていて、今では家康の跡を継ぐのはこの人だろうといわれている。秀忠がいずれ天下様になり、加賀前田家が脇侍に徹して支えれば、世の中は今よりずっと落ち着くだろう。それを思えば豊臣家の後見役を放棄した今、利長が家康に誓紙を差し出すことなど何でもないことだし、利常と珠姫の婚姻について豊臣家の許しを事前に得る必要もなかろう。
「なのに何故浮かない顔をしやるか」
「はは、なれど」
まだあるのです、といいたげに長知はいいよどんだ。
「申しやれ」
「は……はは……」
長知はなおいっそう頬を強張らせ、後ずさった。
「申せ」
「申しあけかねます」
「何のために使いしたのか、申せ」
押し問答の末に、家康が前田家に突きつけた残る一つの条件は、芳春院を江戸へ人質として差し出せというものだった、と長知は苦痛に顔を歪めて白状した。
「その儀ばかりは呑めぬ、とその場でお断りして帰りました。たとえ仮にそれがしが承知致しましても、国許の御主君はもとより、家中の者一同が承知致しませぬ。それがしは腹を切る覚悟で立ち帰りました。かくなるうえは死んでお詫び申しあげる、御免」
長知はその場で脇差を抜こうとした。芳春院は飛び掛って長知の手を押さえ、揺さぶるようにしていい聞かせた。
「なぜ、その場でお受けせなんだ。もう一度参ってお受けして参れ」
「は?」
長知は聞き間違いではないかと疑い、目のすぐ前に迫る芳春院の顔を見た。
芳春院は長知から脇差を奪って離れ、きちんと座りなおした。
「長知に今一度使いを命じます」
芳春院の反応は長知が予想だにしなかったものである。家中のだれも納得しないだろうし、主君利長はもとより、何より本人が受け容れまい、決裂やむなし……と、悲痛な思いで立ち帰ったのである。なのに芳春院はいささかの迷いも見せずに受け容れるという。家中のためにみずから進んで生贄になるという。
だが、しかし……。
芳春院はよいといっても、長知には受け容れがたいことであった。長知は身をわななかせ、顔を背けた。背けた頬に涙が流れ落ちた。
芳春院は人質となって江戸へ行くことを承諾したが、望んでのことではない。京・大坂の賑わいに比べたら関東などは片田舎も同然である。町並みに建設の槌音は高いと聞くが、文化・技芸いまだ育たず、移り住んだ町衆も男ばかりで、暮らし向きも今ひとつという。そのようなうそ寒い土地へ、ましてや人質となって行くのである。今、長知に未練を許してはせっかくの覚悟に水を差される。
「参れ」
長知は喉をくくっと鳴らし、嫌々をするように首を振った。
「無理です。それがし、このような使いは出来ませぬ」
「ええ、気弱な。それでも武士か」
「何と申されましょうとも、それがしにはつとまりませぬ。たってとあれば他の者をお遣わしくだされ」
「汝はおのれが厭う役目を他人に押しつけるおつもりか。よいか、直ちに内府殿にお目にかかり、つとめを果たしたならば、即刻、国許へ立ち帰り、利長殿に申し伝えよ。侍は家を立つることが第一、わたしは年も取っているし、覚悟もできている。この母を思うがために家をつぶすようなことがあってはならぬ、つまるところ、われらをば捨てよ」
芳春院の面には身を犠牲にして奉仕する喜びの色が浮かんでいた。芯の強い愛情というべきだろうか、叱る口ぶりにもあたたかな響きが感じられた。
長知は顔全体を歪め、ぽろぽろと大きな涙を落としたかと思うと後ずさり、畳に口が触れるほど深く平伏して、堪えきれずに声を放った》
この小説は芳春院が実際にいった言葉として記録されてきた次の言葉から構想が得られたのだそうだ。
《つとめを果たしたならば、即刻、国許へ立ち帰り、利長殿に申し伝えよ。侍は家を立つることが第一、わたしは年も取っているし、覚悟もできている。この母を思うがために家をつぶすようなことがあってはならぬ、つまるところ、われらをば捨てよ》
芳春院がどれほどの女性であったか。はたまた傑物であったか。ほかにも利家が小さくなってしまうほどの人物スケールを伝えるエピソードがいくつかあるが、それを伝えるのは史家の役割であって、「日本史を冒涜するおそれのある検察官」のすることではない。
さて、ところで。
豊臣家の淀殿、秀頼は本丸のお飾りで、お飾りでしかない母子を追い出したりするのはおとなげないので、西の丸に天守を築いて実質的に政権を担当する、ということが了解されていなかったら、芝居だけの世界になってしまうようなことが現実化したわけである。この事実は動かせない。その意思決定に百パーセントの確立で関与したのが、高台院、芳春院という女丈夫であった。すなわち、高台院が家康に西の丸を明け渡し、天守を築くことまで許した理由はそこにあろう。
秦野裁判長が讃えるように長井検事を見て口を開きました。
「まさにジャンヌダルクだな。男がだらしなくなると、女性が立ち上がって緩んだ箍(たが)を締めなおす。国の違い、時代の違いを超えた真理だ。戦国時代というと織田信長から初めてしまうが、そこからして違うんだよ。南北朝時代の頃から京と鎌倉に二分した足利氏が反目して、絶えず謀反の煙を立ち上らせてきた。他方、一向宗の城郭寺院が山科の本願寺を総本山にして、河内国、摂津国、近江国、越前国、加賀国、能登国、越中国、あるいは三河国、尾張国、美濃国などに城郭寺院を開山し、加賀国ではとうとう一向一揆というかたちで守護大名を名目化、税の徴収権を室町幕府から許されて、「百姓が持ちたる国」が出現した。そのために本願寺派教団(一向宗と呼ばれた)が一向一揆派と一揆禁止派に二分し、三分し、やがては四分五裂に陥り、越前国にまで触手をのばして九頭竜川の惨劇を招いた。あれはすごかったんだよなあ」
「一向一揆連合軍三十万に対して朝倉宗滴率いる朝倉勢はわずか一万、それが加賀国に逃げ帰れたのは三分の一しかいなかったといわれるくらい朝倉方の大勝利に帰したわけですから」
「二十万が屍となって九頭竜川を埋めつくした。そういう戦国時代が、まだ信長の生まれてくる前からあったのだから、信長の叡山焼打ち、一向一揆焚殺とくると、それに負けない規模の細川政元の叡山焼打ちなどを見てきている民衆には『もう、いい加減にしたら?』という厭戦気分が充満していた。その中から立ち上がったジャンヌダルクが木下仲こと大政所で、かくして天下取るおっかさんの登場となるんだな」
「主人公は秀吉にあらず大政所なりということで、『太閤記』の全面的改訂版なんてことになったらおもしろいでしょうね」
「もう書いている人間がいるそうだ。しかし、そういうことをいっていると脱線のほうがおもしろくなってしまうから、審理に戻るが、政権レベルでいうと当時の世の中を牛耳ったのは高台院と高台院人脈の芳春院だったということになりそうだな」
「事実が語るところでは、そうなります。二人とも大政所が尾張時代から目をかけてきた女性なんです。家康はその二人の信任を得たことにより、時代をリードする主導権すなわちヘゲモニーを得てしまいました。関ヶ原合戦どころか、まだ会津討伐宣言まで進んでいないというのに……このシチュエーションを思い描くことができないから、民主主義と口ではいいながら『女は出しゃばるな』と怒鳴り散らしてしまうのです」
「いや、日本史はおもしろいなあ。見落とし、目こぼし、それを見つけるだけでも、かなり、おもしろいぞ。当時と今を比較するおもしろさもある。自在性のあるエンターテイメントの宝庫といえる」
秦野裁判長が手のひらで膝頭をぽんと叩いてつづけました。
「ところで、今、安倍政権が数値目標を掲げて女性管理職を増やすといっているが、どう思うかね」
秦野裁判長はどうしても現代史に結びつけたいようです。
「どう思うかと裁判長はお聞きになりますが、自分の意見がいいたいだけなんでしょう」
「率直にいうと、そういうこっちゃ」
「では、どうぞ」
長井検事の巧みな誘導で秦野裁判長の熱弁が始まりました。
「基本はだな。すぐれた人間には男女の区別は関係ないということだ。古代には女性の天皇がいて、聖徳太子のような優秀な人物に存分に腕をふるわせ、能力を引き出し、発揮させた。男女がどうこうというより、人物の優劣、適正なやり方が問題なんだよ。どういうことかというと、わかりやすく経済でいうと、松下幸之助、井深大、本田宗一郎などによって象徴される創業者たちの時代が終わって、起業家の時代になった。創業者の原動力は経世済民だったが、起業家の原動力は金融だから、個人的には魅力もあり気は利いているけれども、世の中との関わりでは物足りない。乏しいものを分け合ってという精神は皆無で、競争、這い上がり、蹴落としの世の中に逆戻りしてしまった。実は創業者の時代の女性は溌剌としていたんだよ。ところが、今の男はこころの面で物足りない。数値目標も結構だが、場所塞ぎを取り除くのが女性登用の必須の職場づくりといえそうだな。場所をあけてやりさえすればすぐれた女性は多少の妨害くらい押しのけて上がってくる。創業者たちはそうなるように努めたが、場所をふさぐ輩も必死だから、百点満点とはいかんかった。それぐらいだから、管理職の立場を私的に利用して時分の気に入らない者をいびりつぶすなどのことはもつと多くなるだろうな。気をつけんといかんのは女性の上司の女性社員いびりだ。男の上司はすでにやっていることだから増えることはない」
いわせるだけいわせておいて、
「あれ?」
長井検事が小首を傾げました。
「ひょっとして、裁判長、関ヶ原合戦前後のことを暗喩していっているのではありませんか」
「本能寺事件までが創業者たちの時代、大和大納言秀長と大政所亡き時代は『場所塞ぎの時代』というくくり方はどうかね。現代人にはわかりやすいと思わないかい」
「すると、問題は家康に相当する人物がいるかどうかの違いでしょうか」
「家康がいることによって、どういう影響が出たかというと、利常はここでは七歳だが、家康ににらまれないための苦肉の策として痴呆を装ったということだが、秀秋の悲劇的な末路が原因となったのは明らかだよ」
「秀秋も秀忠よりずっと優秀だから、未必の故意により殺害されたといえなくもないでしょうね」
