秦野裁判長がしみじみといいました。
「民主主義は過去にギリシャとドイツで二度国を滅ぼしているんだな。だけど、これに代わる制度がない。消極的支持であり、仕方のない選択なんだ。要するに所詮は制度なんだということだよ。だから、手続を守ることが大事になってくる。しかし、そこに精神性を持たせることがことのほか大事だ。で、ないと、ヒトラーのように形だけ民主主義の手続を踏んで、ああいうインチキをやってしまう。今日の民主主義信奉者も手続を守ることに熱心で、危険性には目もくれない。どうしたら民主主義が牙を剥かないですむか、用心のための確固たる精神性を持たせないといけないのだが、漠然と精神性みたいなもの(これを似非という)を持たせているから観念論に陥ってからまわりしてしまう」
以上が秦野裁判長の持論なのです。
「さて。そこで、だがよ。たまさか警察畑出身の俺が日本史に興味を持ったから長井検察官のいうことを理解できたんだけどもよ。普通はそうはいかないんだろ」
「おっしゃる通りです。コナン・ドイルが考え出したシャーロック・ホームズが自白偏重の捜査法から徹底した証拠集めに基づく推理洞察を実際にやってみせて、そこから現場保存という新しい概念が現実世界にも生まれました。日本史の教科書はまだその前の自白偏重、目撃証言重視、つまり、どっちも紛れの入り込む余地が多くて証拠としては不確実性の高い材料で判断するお手盛り解釈の段階なんですね。証拠主義に目覚めた警察はDNA鑑定まで含めた科学捜査まできましたが、日本史教科書の検証はまだまだ夜明け前なんです」
「そうだな。シャーロック・ホームズを引き合いに出すと、説明がわかりやすくなるかもしれんな」
ホームズの名が出た途端、長井検事の瞳が輝きました。
「日本史がホームズ以前の犯罪捜査と同じだというのは、書かれていない事実を掘り起こそうとしないからです。現場保存という考えがまったくなくて、犯人の自白と目撃証言だけに頼っていましたから、警察官も野次馬も現場に出入り自由、これではせっかくの証拠が台無しです。そもそもコナン・ドイルが『緋色の研究』を発表した一八八〇年当時の警察は証拠を積み上げて事件の全貌を論理的に構築して結論に到達する道筋など、考えもしない時代でした」
長井検事はぺろりと舌を出して「釈迦に説法かと思いますが、このままいわせてください」と秦野裁判長に一礼、再び意見を述べました。
「今日までの日本史も、ホームズ以前の警察と同じなんです。忠臣蔵を例に取ってみましょうか。赤穂浪士の吉良邸討ち入りは厳然たる歴史的事実でだれにも否定できません。しかし、そこに至る過程はどうなのでしょうか」
ここで開陳した長井検事の論述は次の通りです。
嘘から出た真実の吉良邸討ち入り
たとえば国民的人気の忠臣蔵、事実といえども脚色がはなはだしく、実際はすぐれたフィクションで、純然たる文学作品である。まず、刃傷事件の現場とされる松の廊下はでっち上げで、実際の現場は柳の間前の廊下だった。吉良上野介と浅野内匠頭の不仲は前々からのことで、勅使接待の役目で接した折、日頃の悪感情が爆発したためという。
当事者の評判も、当時、隠密が調査した報告によれば、浅野内匠頭は藩政には関心がなく、女好きで、気に入った女をあてがえば必ず出世させてくれた殿様だった。家老の大石良雄も見て見ぬふりをして意見一つしなかったという。
もう一つ大事な史実は、大石良雄が考えたのは御家再興であったということ。ただし、武家諸法度により死闘は禁じられ、犯したときは両成敗が鉄則であった。過去に大老堀田正俊が刃傷に遭ったとき、即座に脇差を腰から抜いて鞘に収まっていることを周囲に示してから息絶えた。吉良上野介の場合も逃げる一方で抵抗していない。だから、加害者側のみ取り潰しに遭い、被害者側は無事を得たのである。そういう先例を大石が知らないはずがないし、知っていたればこその窮余の決断だった。ただし、加害者側の御家再興など尋常一様の手段では無理な話だ。この認識が大事。
ところが、大石良雄の吉良邸討ち入りの企てが何者かによってリークされた。リークしたのは大石本人だったかもしれない。なぜなら、浪人した大石たちは御家再興を幕府に掛け合う立場にない。浅野本家を介して幕府評定衆に働きかけるほかないわけである。すなわち、吉良邸討ち入りの企ては浅野本家と幕府に対する恫喝であった。
では、なぜ吉良邸なのか。
大石たちが討ち入りを企てた頃、吉良邸は江戸城内にあった。もちろん、大石は本気ではなかったと思うのだが、そこへ討ち入るということは江戸城へ攻め入るのに等しい。それほど御家再興に執着したわけである。幕府にしてみればそんな脅しに屈するわけにはいかない。吉良邸を本所に移転させ、老中小笠原長重が自藩の茶頭山田宗偏に邸内で開かれる茶会の日取りをリークして早々に幕引きを図ったと考えたほうが合理的である。つまり、吉良邸討ち入りは嘘から出た真実で、大石たちにとっては不本意であったはず。しかし、こんなふうに解釈したのではだれもが鼻白んでしまう。のちに将軍吉宗が士風の刷新に忠臣蔵を利用したように、嘘と知りつつ「嘘のほう」を信じたほうが正解かもしれない。
その証拠に『徳川実紀』は吉良邸討ち入り事件については巷で語られるほうの話を紹介して真相には触れないでいる。
どうですという感じで、長井検事は胸を張りました。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花……日本史にはこの調子の似非事実が多いのです。書き直そうとしたら、和同銭どころか、関ヶ原合戦はもちろんのこと、忠臣蔵もしかり、あれもこれも軒並み解釈し直さなければならないでしょう」
「書き直すのが関ヶ原合戦だけだったら、いいわけだな。小早川秀秋の評価を改めて済むことだったら、わけなく応じられるのだろうが、古代貨幣史から幕末史まで広範囲にわたるとなると、他の歴史区分を受け持つ学者まで巻き込んで迷惑をかけてしまう」
「日本人はそれをひどく嫌がるんです」
「それもあり、これもあり、いくつもの要因が積み重なって、今のおかしな日本史が成り立ったわけだ。だから、それをほぐし、白紙に戻し、先入観なしに事実に語らせればよい」
「そうなんです。一つの要因で今のような日本史になったわけではないのです。資料主義といいますが、忠臣蔵はあえて真相は記録せず巷でいわれる話を代わりに述べると徳川実紀がいっているように、パターンでいうと本当のことをあえて記録しないケースが結構あるんですね。ホームズだったら、そういう点は見逃さないでしょうが」
「類似のパターンとしては、信長公記の桶狭間合戦の部分があるんだろ」
「そうなんです。信長が太田牛一に合戦のもようを話さなかったんですね。だから、太田牛一はまわりの者から聞いて書かなければならなかった。しかし、まわりの者も、信長がいわないのに自分がしゃべるかというと、そういうわけにはいかない。ほどほど適当に語ったことを、現場を知らない牛一はかなり不正確に解釈して書いた。桶狭間の合戦は世界的にもめずらしい誤算の勝利だったんです。十七、八歳のときから今川を田楽狭間の一本道に誘い込んで全滅させる作戦のための水中訓練をしながらゲリラ豪雨のため義元は田楽坪で停滞してしまった。ああ無情となるところを、これまでの訓練が雨中行軍の訓練を兼ねたから、むしろ、ゲリラ豪雨を利して接近し、「すわっ、かかれ、かかれっ」となったもの。だから、信長は真相を語らなかった。そして、もう一つ重要なことが、今川勢を沓掛から田楽坪へ誘い込んだ小一郎秀長の働きで、それによって木下仲(のちの大政所)一家は信長から信任を得た、ということです。直前まで今川に仕官して、仲に呼び戻され、清洲に残って桶狭間に関与しなかった藤吉郎秀吉は、小一郎秀長のお陰で命拾いしたわけです。藤吉郎秀吉はミスばかりしていたんです。松永久秀が謀反を起こした時の軍令違反しかり。今はこれくらいにしますが、豊臣家の構成と羽柴家(木下家)の構成はまったく異なるのです。大政所と秀長が信長という幹に宿木となって天下取りに動いた羽柴家時代と大政所と秀長が病死して秀吉がワンマンになった豊臣家という具合に……結局、吉川英治も、松本清張も、太閤記の《主人公の性格一変》というあり得ない現実に気づきながら、そこまで読みきれなかった。主人公のキャラクターが理由なく一変するわけがないのですから、主人公が入れ替わったと素直に解釈すればよかったのです」
「信長は真相を語らず、秀吉は真っ赤な嘘を語ったということか。関ヶ原合戦の前段の武将相関図を正確にするためにも、今、その証拠調べをやってしまおう。結論を先にいってしまうと秀吉の存在など無視していいわけだろ」
「無視するわけにはいかないと思いますが、限りなく軽視すべきです。いかなる太閤記も秀吉を主人公とするかぎり虚妄の書なのですから」
「本当の主人公はだれだい」
「秀長と彼を陰で操る大政所です。そのように理解することで、本能寺事件のナゾも矛盾もすんなり解消します」
「うーん、そこまでいってしまうのか。それがシャーロック・ホームズ式日本史解釈というわけだな」
「解釈といわず演繹的推理といっていただきたいですね。証拠の積み重ねから得た結論ですから」
「わかる。わかる。事件が起きるたびにだな、前科者をしょっぴいて自白を強要する。それと、目撃者の証言だ。目撃者の証言は不正確なのが本当なので、ちゃんと見ましたなんていうのは、むしろ、用心してかからないととんでもないことになる。それなのに、いかにして落とすか、落とす、この言葉が今でも生きている。それでは駄目だということをシャーロック・ホームズは実践して見せてくれた。あんたはホームズの役割を日本史で果たそうとしているわけだろ」
「僭越ですが、現実には、そういうことになります」
「ちっとも僭越じゃない。おおいにやってもらおう。ところで、関ヶ原合戦を結末とすると起点はどこになるんだ」
「桶狭間合戦です。ですが、そこから入る前に、疑問を感じ取るセンス、疑問感受性に言及させてください。シャーロック・ホームズのあのゆたかな推理力はどこから生まれるのかというとですね。私は疑問感受性のなせるわざ、つまり疑問を感じ取るセンス、つまり好奇心の賜物だと考えているんです。もちろん、先入観を持たない、白紙で現場検証に臨まないといけないわけですが、たとえば富本銭には銀銭がありませんね。なぜだろうと考えると、厭勝銭だったら銀銭は不可欠なのですし、流通銭で厭勝銭に用いられなかった例はないわけですから、どちらでもないことがわかります。そこから外交目的の銅銭という推理が生まれるわけです。これが演繹的推理です。もう一つ例をあげると、坂本龍馬暗殺事件、これはどういうことかというと、なぜ十二月十五日だったのか(でなければならなかったのか)という疑問が決め手です。なぜなら、龍馬は護衛を一人連れただけで福井へ旅して三岡八郎や松平春嶽に会ったり、十四日には朝も晩も護衛一人のまま幕府の永井尚志を訪ねているのですから、居場所が不明もへったくれもなく筒抜けです。もし、龍馬が標的だったら、池田屋にいて姿を見つけにくい十五日は最悪の条件なのだし、よほどの馬鹿でないかぎり十四日以前に襲うはずなのです。だとすると、陸援隊隊長の中岡慎太郎はどうなのでしょうか。武力倒幕派急先鋒の中岡は幕府勢力からねらわれており、現実に新撰組と高台寺党が陸援隊屯所に密偵を送り込んでいました。用心して単独行動を取らない中岡が、十五日にかぎって単独で池田屋に向かったのです。中岡をやるなら、十五日しかないのです。それを思えば、俺がやったなどと三人も名乗った京都見廻組の三人など論外中の論外です。元陸援隊士田中光顕が彼らを売名の徒呼ばわりしたのもうなずけます。田中光顕は「犯人は新撰組だ」と断定しておりますから、明らかに龍馬の暗殺はミステイクで中岡の巻き添えなのです。近藤勇は龍馬と旅した仲ですから、「しまった」という思いで口をつぐみ、田中は自分たちの隊長の巻き添えで龍馬が殺されたなどということは公にしたくないわけで、本当の犯人と真犯人を知る人間は口を閉ざしたまま。このように歴史にはさまざまな人物が登場し、正直者もいれば平気で嘘をつく者もいる。口をつぐんで真相をひた隠しにする者もいる。だから、考証法は犯罪捜査法とイコールでないといけないわけです。現場の保存に相当する資料の取捨選択の確かさ、証拠となる事実をすべて集めたうえで仮説を立てる正しい手続の確立が急がれるわけで、そのためのお手本としてシャーロック・ホームズが必要なんです」
「わかった、わかった、よっしゃ、ホームズのやり方に倣って、日本史の再検証を始めるとしよう。用意はいいかね」
「はい。いつでも」
「ところで、何から始める?」
「豊臣恩顧などという言葉が飛び交うくらいですから、果たして「豊臣恩顧」などという概念が実存したのかどうか、豊臣秀吉の徹底した棚卸しから始めないと、土台から腐ったまま関ヶ原合戦という構造物を建てることになってしまいます」
「そこから、いくわけか」
「はい」
長井検事は本当と思うことを存分に語ることができる喜びで瞳を輝かせました。
