日本史を歪めた元凶・長州ナショナリズム


 今回の講座はエンターテイメント性を高めるためにフィクションとして人類歴史裁判所日本史法廷を設定して、表題の「小早川秀秋の目に映った関ヶ原合戦」の公判定に先んじて日本史検察官長井健史の論告求刑から始めたいと思います。ハンドルネーム「ひであきらさん」ならびに瑞雲寺住職、宍戸駒子さん三者連名による「関ヶ原合戦時の小早川秀秋の行動の解釈と評価に対する異議申し立て」がありましたので、これを告発状と理解し、被疑者不詳として起訴する運びとなりました。陪審員には時空の旅人である露木透、宮野響子、真実根(まみね)一郎検事、真実根次郎警部補が選ばれる予定です。もちろん、陪審員は小説の登場人物ですから架空の人物です。

訴訟を指揮するのは秦野章裁判長です。警視庁初の私大出の警視総監として破天荒な働きをした方なのでご存知の方が多いのではないでしょうか。

事前審理の席で「ひであきらさん」が原告団を代表して秦野裁判長にあいさつしました。

「お忙しいのにすみません。関ヶ原合戦からすでに四百十四年も経っておりますのに、小早川姓を名乗るだけでおかしな目で見られることがあるものですから、歴史裁判所が開設されたと知って、何とか事実関係でも正していただきたいと……異議を申し立てさせていただきました」

「すまんのはこっちのこっちゃ。今頃、歴史裁判所もねえだろうと思うんだがね。冤罪はこの世に一つでもあっちゃいけない。よくぞ申し出てくれたよ。泣き寝入りすることはないんだ、悔しいと思ったら忠臣蔵がそのためにある。おかしいと思ったら正すべきだ。そのために歴史裁判所ができたんだからよ。そうだろ、検察官」

「おっしゃる通りです。ただし、私の経験を加味していわせていただければ、小早川秀秋の冤罪を晴らすだけでは十分ではないと思います。問題は傍聴人のほうにあります。傍聴人は関ヶ原合戦ないしは小早川秀秋に関心を持っているはずですが、これは小早川秀秋の冤罪が晴れた、めでたし、めでたしという事案ではないということを、十分に認識してもらわないことには、歴史法廷そのものの意義が陳腐になりかねないのです。あれもおかしい、これもおかしい、うわあ、ひどいもんだなあ、小早川秀秋どころの騒ぎじゃないじゃないか、これで終わりじゃない、始まりなんだということになっていかないと、いけないと思うわけです。何を隠しましょう、山口県では今でも吉田松陰を美化するために、対立関係にあった時の執政長井雅楽(ながい・うた)に対する評価を改めようとしないのです」

 今回、論告求刑を担当する長井健史検察官は幕末の長州藩執政長井雅楽の子孫なのです。長井検事は次の事実を裁判長と原告団に開陳しました。

         

 長井雅楽は藩校明倫館で学び、藩主毛利敬親に小姓、奥番頭として仕え信任を得た。世子定広の後見人を務め、安政五年、藩の直目付に就任して「安政大獄」に当面する。当時、松下村塾で攘夷を説く吉田松陰に対して、長井雅楽は開国論を主張した。その説くところは以下の通り。

 朝廷は条約を認めず鎖国遵守を求めるが、そもそも鎖国は島原の乱に端を発して禁教となったキリスト教の布教を防ぐための便法であり、祖法という性質のものではない。過去二百五十年の間、日本の政府が幕府であるのは自明の理であり、幕府が結んだ条約を違勅というのは簡単だが、日本国内でのみ通用する意味合いでしかなく、外国が承服するだろうかといえば、承服はすまい。恐らく戦争になるだろう。この戦争は一国の存亡にかかわる戦争である。

 しかしながら、この戦争に大義名分があるのか。

 ひとたび結んだ条約を破棄するとなれば、名分は相手にある。孫子は兵法書の冒頭に「兵は国の大事、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず」と述べている。戦争は国を存亡の瀬戸際に追いやるものだから軽々しく考えて行動を起こしてはならない。何よりも大義名分を重んじ、事を構える前に利害を明察し勝算を計るべきである。一時の血気をもって無策の戦いに敗れた例は古来から枚挙にいとまがない。わが藩はそういう無責任な態度は取るべきではない。むしろ、わが国は積極的に開国して公武一和を計って交易を推進し富国強兵の原資を稼ぎ、軍艦をつくったうえで攘夷を行うべきである。

いきなり攘夷を断行して外国艦隊の艦砲射撃を浴びて、イギリス一国の東インド艦隊に壊滅させられたお隣の清国みたいに降伏したのでは何にもならないのだから当然の主張であった。

「寅次は破壊論者なり。国益を起こすの人にあらず」

 長井雅楽はこういって松陰が唱える「大攘夷論」を真っ向から批判した。

 パターン化していえば戦前の日本の陸軍と海軍の対立を考えるとわかりやすくなる。吉田松陰の大攘夷論は開国を否定するものではないが、「わが国の主体性が貫かれたうえでの開国でなければならない、外国に屈服し朝意をないがしろにした勅許なき条約など破棄すべきである」というのだから、事実上の鎖国思想であり、開国してからの鎖国主義だけに始末が悪い。どう考えても長井雅楽の主張に客観的合理性があり、吉田松陰の主張はあまりにも観念的である。さらに加えていうならば松陰の観念的な主張に久坂玄瑞、高杉晋作らの盲目的な行動主義が結びついたのだから余計に始末に負えなかった。にもかかわらず、松陰は松陰で長井雅楽を「青面の鬼」と呼んで憎んだ。

 私はあるがままに事実を踏まえて述べているわけであるが、既存の認識とはかなり異なってしまったことを残念に思う。長州には吉田松陰や久坂玄瑞、高杉晋作らを正義派、開国派の長井雅楽、椋梨藤太らを俗論派として色分けする伝統的な史観があり、正義派が明治政府の中枢を占めたために歴史事実を無視した解釈が権威で裏づけられてきた。それがよいとか悪いという前に、歴史解釈は事実のみによって裏づけられるもので、そうでない場合はやり直すだけのことだというのが私の考えである。だから、すでに阿部正弘の時代に輸出用生糸の増産が密かに進行して、増産体制と流通システムの確立を待って日米通商条約調印、横浜開港と同時に生糸貿易が始まる寸前にまでさしかかっていた事実、さらには外様大名の政治的発言が禁じられた時代に薩摩藩主島津斉彬が「倒幕不可避」を唱えた事実に照らすとき、何という不毛の議論をするものかと私としてはただただ呆れるばかりである。

 不毛の議論の原因が松陰にあるのは明白である。ペリー来航時に密航しようとした行為とまるで正反対のことを主張する松陰の攘夷行動主義は理解に苦しむ。しからば攘夷の究極の根拠は何であったかといえば孝明天皇の紅毛人嫌いという無知から生じる生理的嫌悪以外の何ものでもなかった。

長井雅楽の主張もまたご大層にも「航海遠略策」の名で藩論として採用され、幕府にも意見として陳述されるに至るのだが、いまさらの観がしないでもない。とはいえ、尊皇主義と結びついた攘夷論が宗教的病熱を帯びた時期に開国を唱えるのは死を覚悟しなければならなかった。そうした観点からすればその姿勢は賞讃に値する。だが、井伊直弼が断行する安政大獄が長井雅楽の身に思わぬ災難をもたらした。

薩摩と水戸は倒幕を目的として義挙計画を進め井伊直弼暗殺を標榜した。

「水戸と薩摩が井伊大老を討つなら、長州は京で尊攘派浪士を弾圧する老中間部詮勝を討つべし」

 声を大にして唱えただけで実行には至らなかったのだが、老中間部詮勝暗殺未遂の嫌疑がかかって、幕府から長州藩に松陰を江戸に差し立てるよう命令がきた。長井雅楽は藩の直目付だから手続きに従って江戸送りとした。これは少しも間違いではないのだが、松下村塾生から逆恨みを買い、久坂玄瑞と前原一誠に命をねらわれた。

 久坂玄瑞のこのときの行動にもおかしな点があった。

 長井雅楽弾劾書を藩に提出して要撃を試みて失敗すると、玄瑞はみずから「待罪書」を提出して謹慎生活に入ったのである。いかにも口先だけではなく実行したことをアピールするようなパフォーマンスではないか。これこそ松陰の行動主義といわれるゆえんであり、久坂玄瑞はそれを継承したにすぎない。

「長井雅楽の航海遠略策は朝廷に対して不敬の論である」

 不敬の論といっても孝明天皇の攘夷は「紅毛人と聞くだけで身の毛がよだつ」という生理的な理由で開国を認めないだけであって、特にこれといった国家観に基づく主張ではなかったから、挙兵倒幕勢力による政権奪取が視野に入った時点で厄介者視して暗殺を図らなければならなかったくらいである。それにもかかわらず久坂玄瑞は「朝廷に対する不敬」を理由に長井雅楽を弾劾、かえって朝廷に攘夷論を入説して孝明天皇の紅毛人嫌いを理論化してしまった。藩論が真っ二つに割れたのはそのためであった。藩分裂の責任は久坂玄瑞にあるのだが、朝廷から幕府には攘夷奉承を迫る勅使が向かう事態を憂慮し、文久三年二月六日、長井雅楽は内乱が起きることを懸念して自害した。不毛の議論から起きた混乱の責任を一身に負ったわけである。

  君がため捨つる命は惜しからで

  ただ思はるる国のゆくすえ

 曽祖父という血縁を度外視して、長井雅楽の残した辞世に私が感動し共感を覚えたのは、観念的な理非を問うことをせず、さらには眼前に現前する不都合の解決を先送りせず、当面する不都合を一身に引き受けて解決し、問題や不都合を後世に先送りしないという仏教の「後生に願う」生き方すなわち死に方をおのが行動の原理としていたからである。

          

 長井検事は説明を終えて、裁判長と原告団の三人に呼びかけました。

「日本の学校で使う教科書の日本史が、実は学術的に一度もオーソライズされていない事実を初回に明らかにしましたが、日本史なんでおりゃ知らんよという人にとっては、そして、大半の日本人がノンポリ族なんですが……おまけに家永教授の起こした『教科書裁判』によって注意が逸らされてしまったために、問題の解決を一層困難にしております。原告団に申し上げたいのは告発したのが運の尽き、待っているのは古代貨幣史から幕末開国まで間口を広げての膨大な証拠調べですから、小早川秀秋の冤罪だけ晴らして、ハイ、さようならとはいかないのです。最初から最後までお付き合い願わなければなりませんから、申し立てを取り下げるなら今のうちと申しておきます。どうしますか。お取り下げになりますか」

 瑞雲院の住職が敢然といい放ちました。

「まさに望むところ。存分に審理していただきましょう」

 賛同するように、ひであきらさん、宍戸駒子さんも大きくうなずきました。

「よし、やろう。検察官、次回は吉田松陰の密航を事実に即して訂正するということだが、変更はないかね」

 秦野裁判長が確かめると、長井検察官はきっぱり宣言しました。

「変更はありません。予定通りに進めます」

 かくして歴史裁判所初の公判廷が次回より開かれることになったわけですが、架空の人物として登場してくる陪審員諸氏ならびに途中から選任されるはずの弁護人を紹介する意味で、本講座と並行して『小説・古代貨幣史考』というブログを開設したいと考えております。本講座の「その1」で和同銭和銅元年初鋳説のまやかしを暴くと書きましたが、二本立てを思いつきましたので、事前審理からは除きます。ブログ『小説・古代貨幣史考』は水曜日更新で準備が整い次第スタートさせる予定ですので、双方併せてお楽しみいただければさいわいです
 

(つづく)




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