笹尾山から三成が見渡したところ家康の本陣を示す馬印が桃配山にある。獲物は罠に入った。あとは出口を塞ぐばかりである。そのときには桃配山の背後の南宮山に陣取る毛利秀元と吉川広家に合図の狼煙を上げることにしておいた。
吉川広家と毛利秀元が南宮山に勝手に布陣しても三成が文句をいわなかったのはこの「袋の鼠作戦」が閃いたためであった。松尾山の小早川秀秋を破格の条件で協力を約束させたのも、同じ理由からであった。彼らが山を
下るのを見届けてから総攻撃に移る。
どうあがこうと内府は袋の鼠よ。
三成の顔にはまだ不敵な笑みがあった。
午前十時、藤堂隊、大谷隊に攻撃開始。寺沢広高隊が攻撃に参加するが、直ちに北へ転進して織田有楽隊とともに小西行長隊と白兵戦を展開した。寺沢広高隊は高虎に邪魔者扱いされて追い払われたのである。
家康が陣場野に進出したのはその頃であろうか。
午前十一時頃、小西隊と戦っていた寺沢広高隊が宇喜多隊攻撃に転じた。それを見て大谷隊が宇喜多隊の応援に向かった。藤堂隊、京極隊、織田有楽隊がその大谷隊の進路を阻むように宇喜多隊との中間に割って入った。
天満山では本多政重と明石掃部が槍衾を連ねて福島隊を押し返してい
るさなかだ。藤堂高吉は大谷隊と宇喜多隊の間に割り込みながら松尾山を眺めてもどかしげに眉を顰めた。松尾山の秀秋が攻め下る前に政重が吉継に合流してしまうと計画に手違いが生じて、政重の関ヶ原脱出が不可能になりかねないのである。
高吉のもう一つの誤算は高知隊が肌に吸いつく蛭みたいな感じで藤堂隊をぴったりマークして離れずについてくることであった。おまけに遊撃の寺沢隊まで引き返して加わった。
「ここはわれらに任せよ」
高吉が大声で呼びかけても効き目がなかった。
京極高知も、寺沢広高も、藤堂高虎が笹尾山の事前工作の発見者だということを知る立場にあった。当然、笹尾山の石田隊の直前に布陣するものと思っていたところ、あに図らんや藤川台の正面を望んでいるようす、あえて藤川台を目指すからには何かありそうだ。高虎にくっついていれば大きな手柄のお相伴にあずかれるのではないか。
こんな計算が働いたのかもしれない。
これでは駄目だ、クソっ。政重殿を脱出させられない。
高吉は藤堂隊から飛び出していって大谷隊に側面から槍をつけた。
「白頭巾の世迷い人、死に急いでいずこへ参るか。汝の墓は藤川台なるぞ」
吉継にする合図としては、それで十分だった。
大谷隊は藤堂隊に京極高知隊が加わっているのを見て藤川台に引き返した。藤堂隊もそれ以上は攻勢に出ず大谷隊をわざと小ぜり合いに巻き込み時間稼ぎしながら秀秋が攻め下るのを待ち受けた。
かくして、いまだ戦闘に加わらずにいるのは、松尾山の小早川隊、麓の脇坂隊、朽木隊、小川隊、赤座隊、南宮山の吉川隊、毛利隊、麓の安国寺隊、名束隊、長宗我部隊、そして小西隊と石田隊の間に布陣する島津隊だけとなった。
ところで。
関ヶ原合戦を情報戦という観点から考えると、どういうことになるだろうか。その前にはっきりさせないといけないのは、こういう事実を踏まえて、こういう考え方をしたら、日本人のすべてが「問うに落ちず語るに落ちる」ようになり、日本史の光景はおのずとあるがままに再現されるということである。そのためには『踏まえるべき日本史事典』を編纂する必要があるのだが、考証に追われてそこまで気づかなかった。今からでも遅くないの精神で取り組むつもりだが、この場合の「踏まえるべき事実」には二つある。証拠となる基礎事実と基礎事実から導かれる状況事実である。
状況事実の例としては関ヶ原合戦の場合、三成が家康の赤坂到着を九月十四日夕刻まで知らなかったのが「踏まえるべき事実」で、この事実さえ踏まえれば三成の十四日夜中における異常な行動をあるがままに「異常な行動」と気づくことができる。これが状況事実である。
それなのに関ヶ原合戦について述べる諸書はなぜかことごとく三成の行動が「異状」だったという認識に立てないまま事実を羅列して書いている。これもまた異状というか学術的にいって怪奇現象なのである。つまり、このことが本講座のタイトル「おかしな、おかしな」の根拠になっているわけである。
さて。
情報戦という観点からすると、石田三成は「家康の赤坂到着を九月十四日夕刻まで知らなかった」というほど、その必要性を認めていなかったことになる。これも状況事実の一つである。
島津惟新の立場から三成の行動を見つめると、三成が十四日夜中に取った行動の異常ぶりが際立つ。
一、豊久を見殺しにしようとしたこと。
一、夜襲を無視したばかりか、島左近が何かいったこと。
一、それでいながら今夜の行動は何だ、わけがわからぬまま関ヶ原にきてみれば、三成は笹尾山に本陣を置いた。こんなところに、なぜ、と物見にやらせると馬防柵が結いまわされ塹壕が掘られていて、大砲五門が運び込まれているという。陣城が築かれているということは……。
「今にして思えば、そういうことであったか。あやつの一存で事が行われているとなれば、最早、西軍も、東軍もない」
