本能寺級の事変を予測したミスターX


 秀吉と秀長の仲が小牧長久手までだったとすると、本能寺事変を原因として秀吉と秀長の不仲があたかもそこを分水嶺として始まったことになる。振り返ってみれば、天正十年は本能寺事変にとどまらず、備中大返し、家康の伊賀越え、光秀討伐、清洲会議など一連の大事件が連続しており、一つにくくって「天正十年事変」として認識するほうがより現実的といえる。そこをきちんと踏まえることができたなら、秀吉、秀長、家康ら信長以後のスタンスが明確になってきそうな気がする。
 時系列的にはジグザグの順序になってしまうかもしれないが、備中大返し、家康の伊賀越え、光秀討伐、清洲会議などは縦糸と横糸が多重にからみ合っており、個々に説明して終わりというわけにはいかない。しからば、どこから切り込んだら、縦糸横糸を縦横無尽にからめ、なおかつ全体像を歪めず理解に導くことができるか、よくよく考えたうえで、当座、「家康黒幕説」なるものを決定的に排除するためにも、堺で本能寺事変の報に接した直後に家康一行が演じた京洛脱出劇の重大さを浮き彫りにしてかかるのが妥当と結論した。
 堺から伊賀に至る経路の中間点たる宇治田原に山口藤左衛門を名乗る人物の屋敷があった。藤左衛門屋敷は小牧山西方の生駒屋敷と類似の居館と思えばよいだろう。あるじについては諸説があるが、だれであるかここではまったく問題ないことだから、違っていたとしても多羅尾城主山口光俊の五男藤左衛門ということにしておく。信長が家康一行に案内役としてつけた長谷川秀一は山口光俊と五男藤左衛門のいずれとも懇意であった。しかも、藤左衛門は木津川草内の渡しまで迎えの人数を出し、居館に招いて昼食を振舞った。火急のことだから、だれが家康の現在地を藤左衛門に知らせて迎えの手配をしたのか、加えて昼食の手配までしたかということなどを考え合わせると、こうした行き届いた行動は藤左衛門みずからの意思ではなく、今のところ正体不明の「ミスターX」のしわざとせざるを得ない。
 昼食後、ここから先の経路は、やはり諸説があるのだが、「地形は第一級の史料なり」に基づく私自身の現地調査をもとに家康一行は鷲峰山(じゅうぶせん)に登り、ほぼ平坦な稜線づたいに裏白峠に出て信楽へ下ったことにしておく。さらに桜峠を越えて丸柱に到着、王徳寺で一泊した。丸柱から柘植の里を経て白子湊へは一日行程である。
 当初、家康一行が予定した脱出経路は宇治田原、鷲峰山金胎寺、多羅尾城、御斎峠(おときとうげ・音聞峠は表記の誤り)、柘植の里であったが、急遽、変更になったのは現地で野伏や盗賊を掃討して避難経路をあらかじめ用意した「ミスターX」が当地で待ち受けており、丸柱経由の道筋のほうが安全で速いと告げたためであろう。
 多羅尾経由だと山また山で視界が狭まり、待ち伏せ、不意打ちの危険に絶えず悩まされる。いかに多羅尾城主の支援があるといっても時間がかかるのが最大の難点であった。
 自分が光秀を討てば主導権が転がり込む。
 家康は一刻も早く居城に帰り着いて挙兵する必要に迫られていた。迅速な避難をいかに優先させたかは白子湊に到着、船を見つけるなり、家臣を置き去りにしてさっさと海路を三河に渡ってしまった事実が物語っている。
 ここで見落とされてきた重大な問題を提起しよう。
 家康一行が予定した通り御斎峠経由をたどっていれば、家康一行以外にも本能寺事変を予測した者がいたという驚くべき事実は埋もれたままで終わったのだが、道筋が変更されたことで「家康一行以外にも本能寺事変を予測したミスターXなる者がいた」という事実が浮き彫りになったことである。このことは殊更に重大視されてしかるべきである。
 繰り返しになるが、多羅尾城主山口光俊と五男藤左衛門のいずれとも懇意であった長谷川秀一も何らかの異変を予測する立場にあったとしないとおかしいのであるが、いずれにしてもその認識は信長、家康と同等のレベルにすぎない。だから、変更前の避難経路は「一応、用心のため」という程度で、経路の決め方も人間関係に重きを置いたため、現実的には危険が多く役に立たないものであった。ましてや、山道に入るのに昼立ちというのは無謀である。だから、変更前のルートをたどるとしたら、宇治田原泊としたことだろう。あえてタラレバ思考でいうと、あらかじめ予定した通りの経路で脱出を図ったとしたら、家康一行が無事を得たかどうかわからなかった。
 それに対してミスターXが用意した経路は、草内の渡しから宇治田原を経て柘植の里まで安全かつ妨げさえない完璧なものであった。信長が本能寺まで出たという事態をより深刻に受けとめ本能寺事変級の異変を確信したからこそ、事前にそれだけの手配ができた。いや、やってのけなければならなかった。人数、時間に限りがあることであるから、宇治田原から信楽、丸柱、柘植の里の間の安全策を講じるのが精一杯だったのだろう。そのうえで、藤左衛門屋敷から迎えの人数を出してもらい、宇治田原・草内渡し間の安全策に代えたのである。
 以上、長谷川秀一とミスターXとの手配の仕方の落差を考えれば、両者における危険予測の度合いには大きな隔たりがあるのは明白であり、それゆえに異なる二人の人間が関与したとみなさざるを得ない。まず、この一点を解析の土台に据えておこう。

(つづく)




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