キーワード「勃興」と「消滅」を再現させるための踏まえるべき事実、見えてくる事実の実例(その15)


踏まえるべき事実から見えてくる事実群(その8)

 

天保八年に起きた出来事群から見えてくる事実(その八)

 

 加州侯の大義の外交面が間宮林蔵の弟子だった韮山代官江川太郎左衛門、斉藤弥九郎、中居屋重兵衛に移ることが、昨日の公判のしめくくりで明かされました。そればかりか、二宮金次郎が将軍家慶と一体化することで、事実上の将軍として活躍するというのです。果たして、どういうことになるのでしょうか。

 秦野裁判長が入廷してきて、すぐに付け加えました。

「昨日は、少し言葉が足らなかったようだ。加州侯の大義は、むしろ、加州侯が亡くなってからが本番で、金次郎は輸出用生糸の増産で、江川太郎左衛門、斉藤弥九郎、中居屋重兵衛らと一体になっていく。今の段階ではだれも本気にはしないだろうが、家慶政権は金次郎政権の様相をかぎりなく呈していくんだよ。昨日、考証した阿部正弘の飛び級的出世と、それに軌を一つにする水野忠邦・鳥居耀蔵の失脚劇は、金次郎の後ろ盾を強化するのが目的なのだから」

 またまた爆弾発言が飛び出してきました。

「そのためにも、二宮金次郎の報徳仕法がどのように行われたか、事実に即した知識を共有する必要があるので、これから何回かに分けて、説明していくことにする」

 陪審員席と傍聴人席の驚きをよそに、今回も、いつものように、長井検事による秦野裁判長の論述書代読で公判の幕が上がりました。

 

二宮金次郎が天保八年までに行った報徳仕法の実際(その一)

 

 加州侯の大義とか、改革といういい方をしてきたが、中身は二宮金次郎の報徳仕法による改革である。前回の公判で明かした阿部伊勢守正弘の飛び級的出世の目的が報徳式治世で世直しすることにあるとすると、その全貌は「天保八年まで、すでに手がけた報徳仕法(目に見える)」と「天保八年以後に行われる報徳仕法(これから行われるから、まだ見えない)」の二つの業績に因数分解されるのだが、現実には後者はさまざまな偶然の要素に隠され、「消滅」させられて、存在しないように扱われてしまっている。まず、それがどういうことかを明らかにしてかかるのが順序と思う。

 まず、「天保八年まで、すでに手がけた報徳仕法(目に見える)」というくくり方でいうと、金次郎は加州侯に支えられて存分に働くことができた。次に「天保八年以後に行われる報徳仕法(これから行われるから、まだ見えない)」というくくり方からすると、家慶に金次郎を起用して改革に着手するように命じられながら、金次郎を忌避して降板させ、代わって鳥居耀蔵を立ててすべてにおいてしくじったのが水越侯であり、松平河内守近直に後ろ盾をさせて存分に働かせたのが阿部正弘だった。これから、ここで述べるのは、以上の三カテゴリーのうち、「天保八年までの金次郎の報徳仕法がどのようなものであったか」という実録の部分である。

 

これから先は「家慶イコール金次郎」と考えないと見えてこない

 

 さて。

 加州侯が最初に金次郎にやらせたのが、「旗本宇津家桜町領復興計画」であった。宇津家の家祖は、元禄十一年当時、小田原藩主が大久保忠増の代に分家した弟の教信である。宇津姓を名乗り、江戸に屋敷を構える教信に、十一万三千石のうちから分け与えられた四千石は、下野国桜町領からの実入りであった。元禄時代の桜町領は四百四十戸の農家が存在し、四千石の年貢が実入りとして得られたのだが、その後、百年ほど経過するうちに、百四十戸に減少し、田畑の三分の二が荒廃してしまった。名目は四千石でも、実際の年貢は一千石にも満たなくなって、増徴に次ぐ増徴で、百姓の困窮逃散が増加する一方の悪循環で、宇津家の台所の窮乏はのっぴきならない状態に陥った。

 加州侯は、本家の立場から、分家の窮状を憂いたのだが、何といっても再建の眼目は、将軍家斉の乱脈治世で傾いた幕府財政の建て直しにある。しかし、百姓出身の金次郎にいきなり担当させられることではないから、まず、宇津家の財政再建で実績を挙げさせ、幕臣に登用し、幕府の財政の傾きを是正させようと考えた。加州侯が宇津家の再建と桜町領の復興を命じると、金次郎はいったん断ったうえで、厳しく注文をつけた。

田畑の三分の二が荒地に戻り、残る三分の一を耕す農家もやる気をなくしています。現状の実入りは九百三十六石しかないわけですから、どんなにうまくやっても、四千石の復興は不可能です。しかし、倍の二千石なら不可能ではないでしょう」

それでよい。やってくれるか」

ただし、お願いがあります。これまでのように、お下賜金により百姓を働かせようというお考えは、この際、改めていただきます。一両といえども、お使いにならないでいただきたいのです」

金を使わずに、やれるのか」

復興に必要なのは、お金の力ではなく、仁政です」

仁政にも、いろいろとあると思うが?」

日本橋は住むうえでは家賃が高くて、敬遠されそうですが、実際には商売に向いていて、大きな利益が上がりますから、人が集まり、土地も栄えます。一方、郊外の巣鴨を例に取りますと、家賃はかなり安くて、見た目は住みやすそうですが、実際には田畑を耕すほかに生活の糧は得られませんので、百姓しか集まらず、静まり返っています。ましてや、江戸から遠く離れた桜町領を復興するとなると、仁政を施して、そこに住もうという気を起こさせなければならないでしょう。それも、一時しのぎではなく」

 金次郎は、そういって、加州侯の反応をじっと見守った。

もちろん、一時しのぎは考えてはおらぬが、まだ、申すことがあるなら聞こう」

 金次郎が桜町領の復興だけについていっているのではない、ということがよくわかっているので、加州侯は、あくまでも聞く姿勢を保った。金次郎は答えた。

温泉は、人の力によらず、いつも温かい。しかし、お風呂は、薪を焚いて沸かしますから、焚くのをやめると、すぐに冷めてしまいます。仁政は、温泉のようでなければなりません。桜町領の荒廃を救い、末永く民心を安んじようとするなら、現状の苦しみの原因を取り除き、荒んだ人情を改め、みずからやる気を起こさせるほかないでしょう。お金は、使ってしまったら、それきりです。今後は、お下賜金を一両たりとも、お使いにならぬようお願い奉ります」

約束してもよいが、金を使わずに、どうやるのか」

わが国は、開闢以来、何万町歩という田畑を開墾して参りました。お金が欲しいためではなく、鍬の一打ち、一打ちに明日の夢があり、それが現実になっていく喜びにいきがいを見出してきたのです。十年で、四千石を得ようとしたら、増えた分をすべて年貢にまわさなければならず、気持ちまで余裕を失い、途中で挫折します。しかし、現状の二倍の二千石に十年かけて増やせばよいことにすれば、収穫が増えた分の半分を年貢分にまわし、半分は飢饉時の備蓄や生活の蓄え、来年の種籾として使えますから、鍬の一打ち、一打ちに明日の夢があり、それが現実になっていく喜びにいきがいを見出すことでしょう。そういうところなら、行って住んでみたい、いきがいを得たいということになるのではないでしょうか」

 金次郎が報徳仕法を手がけて十年を経た天保二年の時点で、桜町領の年貢として収納可能な収量は千八百九十四俵に増加、目標の倍増は達成されたわけであるが、金次郎は加州侯に復興計画の五年延長を求め、快諾を得た。理屈では、宇津家の課せられた一千五俵の分度を二千俵に引き上げるのが可能になったわけだが、そうしてしまうと百姓の暮らしに負担感がのしかかり、気持ちの上で復興の妨げになりかねないというのが、五年延長の理由であった。

 ――金は要らない、必要なのは仁政である。

 このように考え、なおかつ実践できる金次郎は不世出の名君といってよい。しかし、百姓だったから、名君に値する働きはできない。ところが、加州侯は可能だと考えた。自分が老中首座になれば、彼に権限を委譲するのは自分の一存でできるのだから、妨害さえ排除してやれば十分に可能だと考えたのである。

 ところで。

 卓見の士がいても、具眼の士がいなければ、用いられず、野に埋もれてしまう。さりとて、具眼の士ばかりでも、実践につながらないから、世の中のお役に立てない。金次郎の報徳仕法に真っ先に飛びついたのは加州侯であるが、もっと切実に金次郎に世直しをやらせてみたいと願ったのが、当時、将軍継嗣で実権を持たなかった家慶であった。金次郎が説く「金は要らない、必要なのは仁政である」という経世思想が、将軍になって実権を握ったら世直しをして親の恥を子として濯ぎたいと願う家慶のこころを揺さぶった。

――将軍などとは名ばかり。五十年近く在位して、何か、世の中のためになることをしたかといえば、女淫にふけり、幕府の財政を傾けさせ、奸臣ばらを肥え太らせただけ。今も、まわりに佞臣、奸臣ばらをはびこらせて、老いてもまだ女淫にふけり、北海の鱈のごとしと揶揄されるほど子をもうけた情けない親ではあるが、親の恥は子の恥という。世の民はお蔭参りとやらに救いを求めるほかなくなっていると聞く。そうしてしまった親の責任は、子のおれがすすがねばならないだろう。

 世の中に金次郎ほどの経世家が存在することを知ったことで、家慶は大いに望みを抱いて加州侯と同じように考えた。

 ――寛永の祖法重んずべしといえども、現今のごとき非常時に能ある者を眠らせておくのは天下の大罪である。自分が将軍になれば、金次郎に権限を委譲することに反対する者はないのだから、妨害さえ排除してやれば彼を将軍の立場で働かせることは十分に可能だ

 もちろん、事実をデフォルメした仮説であるが、加州侯が家斉政権から家慶政権への移行を実現させるべく、間宮林蔵を特命の隠密として政局がらみの働きをさせたのは事実であり、そして、それは私的利益を目的とした水越侯の場合とは似て非なるものであったから、以上のような高邁な考えを持つことができるのである。

          

 長井検事が論述書を読み終わると、秦野裁判長が発言しました。

「金次郎がいうのは、まさに経世の真髄だな。加州侯と家慶には私心がないから金次郎の意見に共鳴できる。これから登場する水野忠邦と鳥居耀蔵とは、そのあたりからして根本的に違う。前に、『加州侯・林蔵ルート』が消滅したと述べたが、『家慶・金次郎ルート』というかたちで『加州侯の大義』は継続していたわけだ。けれども、家慶と金次郎は身分が違いすぎて接触するどころか、連絡を取ることさえできなかった」

「さまざまな偶然の要素に隠されて《消滅》させられて、存在しないように扱われてしまっているといわれたのは、『家慶・金次郎ルート』と『阿部正弘・松平近直・金次郎ルート』の間に、改革に値することを何一つやらなかった『水越侯・鳥居耀蔵ルート』が割り込んだため、一見、中断したような錯覚と誤解を与えてしまったということですね」

「そういうこっちゃ。家慶イコール金次郎という認識を欠くと、『水越侯・鳥居耀蔵ルート』どころか、『阿部正弘・松平近直・金次郎ルート』さえ、真相を見誤ってしまうだろう。そのことを予見して、本日は閉廷」

 ようやく「勃興」の片鱗が見えてきました。すべてがあきらかになったとき、どのような勃興の種々相が解き明かされるのでしょうか


(つづく)

    
  ごあいさつ

 長いことおつきあいいただきまして、ありがとうございました。
 過日、右目の手術をし、一時間におよぶ難手術が成功裏に終わりましたが、その後の養生で長くパソコン画面を見ていることができません。そのようなわけで、小説の執筆に割く時間を確保するため、本講座を当分の間、中断することに致しました。
 状況が改善されましたならば、再び、何らかのかたちで再開したいと考えております。
 事情をご賢察いただき、ご了解いただきたく存じます。

                                                      祖父江一郎




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