アナーキズム(無政府主義)について考えました。
 アナーキズムに関しては、あらゆる主義主張が存在しており、右から左まで様々です。
 共産主義・社会主義の観点からのアナーキズム。
 個人主義・自由主義の観点からのアナーキズム。
 それぞれ、考え方が違います。
 
 どちらにせよ、政府=国家による国民への支配の否定に行き着くわけです。
 
 アメリカの保守と言えば、リバタリアン(自由主義)ですが、そこから生まれるのがアナーキズムとは言わないまでも、それに近い考え方であり、「小さい政府」の肯定です。

 しかし、「小さい政府」が国家による規制の縮小・緩和であるとするとしたら、その少ない規制しかない社会を維持するのにも国家が必要なのです。
 でなければ、個々人が自分勝手に規制を乱立させることになります。
 国家には規制を個々人に勝手に作らせない役割もあると考えるべきです。

 それも否定し、国家の支配そのものを否定するとしたら、分離独立しかありませんが、それは新たな国家の創造であり、その場合、ほとんどの独立国家がそうであるように、「大きな政府」となります。
 独立分離した国家とは不安定な存在であり、強固な中央集権国家でなければ、独立直後の荒波を乗り越えることは出来ません。

 それもいやで、個人主義を貫いて家族だけで無人島に引っ越すのもいいでしょう。
 しかし、それだって、その家族は小さな国家と考えれば、そのような無人島で生き残るには家族のリーダーが主導権を握って全てを統べるほどの強権が無ければいけません。
 立派に「大きな政府」です。

 では、共産主義・社会主義によるアナーキズムではどうでしょうか?
 これらのアナーキズムは社会平等主義という現政府を超越するシステムがあり、そのシステムに沿って国民共同体を運営されれば、幸福な社会が実現できるという考え方です。

 いわゆる設計主義です。

 現行制度に基づく国民国家の否定です。

 しかし、ソ連邦の崩壊でこの社会平等主義によるアナーキズムはほぼ否定されました。
 少なくとも実際的ではないと考えますし、一つのイデオロギーに支配された政治体制は腐敗を約束されたものであると、私たちは学びました。

 私自身、アナーキズム自体、空想の産物、としか思えません。
 そして、アナーキズムを指向する階層は比較的安定した社会で、比較的金銭的に余裕がある階層の言葉遊びにしか過ぎないのでは?とも思えるのです。
 少なくとも、貧困で今日食べるのも困るような階層の人々が考えるようなことでは有りません。

 貧困層の不満は「反政府」になっても「無政府」にはならないからです。
 政府が無くても自分の生命や財産の安全を守れると考える人たちしか、アナーキズムを指向しないと考えるわけです。