そもそも、「死後の世界」自体に懐疑的な自分ですが、
輪廻転生となると、もっと懐疑的な自分がいます。
私だって、一人の人間として「死」はめちゃくちゃ怖いですし、
「死後の世界」だって存在してほしいと心の底から思っています。
しかし、理性がそれを許さないのです。
感情がそれを望んでいてもです。
とくに、輪廻転生ともなると、
理性的には嫌悪感さえ感じます(ちょっとおかしな表現ですねw)
輪廻転生とは今ある自分の世界を遠回しに否定しているようでならないのです。
前世、来世を想定してしまうと、
今という現世なるものが希薄に感じられてならないのです。
現世は前世の影響を受け、
現世はより良い来世のためにあるとでもいうのでしょうか?
わたしは輪廻転生を信じる信じない以前に
理性的な嫌悪感を感じざるを得ません。
そんなことのために私は生きているわけでもありません。
そして、それらの輪廻転生をよしとする場合、
宗教的な差別を容易に生み出すことは想像に難くありません。
前世はこうだったから・・・あなたの現世の階級はこうなのだ・・・
そう言われたら、宗教的洗脳に染まった人間ならどう否定できるのでしょうか?
できるはずもありません。
だからこそ、輪廻転生など現代の社会には持ち込んではならないと考えるのです。
この際、輪廻転生が本当に有る無しは関係ありません。
そんなの誰も証明などできるはずもないのですから。
とくに、「ない」という証明は「悪魔の証明」でしょう。
私が言いたいのは、「生きる」ということに「理由」や「意義」というものを
無理矢理くっつけっては危険だということです。
それは、あくまでも相対的な事象であり、
輪廻転生といった超常的なことでは量ってはならないと考えるのです。