前回の記事に書いた「無心の咸」。
無心な状態になるときってどん な時かというと、
集中しているとき。
邪念が無い状態ですね。
「我を忘れて仕事をする」
なんて。。。
(わたしは仕事のときは邪念ばっかりです)
では、これが「無心の咸」かというと違います。
邪念が無い状態は同じですが、
咸とは「みんな、すべて」という意味です。
集中は一ヶ所に集めるので咸ではありません。
周りをすべて意識した状態で、
邪念が無い、心が動かないのが、
「無心の咸」だと言えます。
意識というか、受け入れた状態と
言ったほうがしっくりくるかもしれません。
世阿弥に言わせると、
心を修行するとできるようになるそうです。
どんな修行をするのでしょうね。
無心な状態になるときってどん な時かというと、
集中しているとき。
邪念が無い状態ですね。
「我を忘れて仕事をする」
なんて。。。
(わたしは仕事のときは邪念ばっかりです)
では、これが「無心の咸」かというと違います。
邪念が無い状態は同じですが、
咸とは「みんな、すべて」という意味です。
集中は一ヶ所に集めるので咸ではありません。
周りをすべて意識した状態で、
邪念が無い、心が動かないのが、
「無心の咸」だと言えます。
意識というか、受け入れた状態と
言ったほうがしっくりくるかもしれません。
世阿弥に言わせると、
心を修行するとできるようになるそうです。
どんな修行をするのでしょうね。