英語があまり聞き取れなくても、雰囲気でわかる。こんな監督就任記者会見はあまり見たことがない。出席者がみんな知り合い、笑いと涙ありの感動ものだった。


ルイジアナ大学の監督に、昨シーズンまでアリゾナ大学助監督だったハベッツが就任した。その就任記者会見。






ハベッツはルイジアナ大学の近く出身。ルイジアナ州初の高校野球部女子選手。しかし、大学に女子野球部がない時代。天才スポーツガールのハベッツは、バスケでルイジアナ大学に入った。


ソフトにも興味がわき、バスケ部監督に兼任を懇願。1993年、ルイジアナ大学の全米選手権初出場に貢献した。卒業後は女子プロ野球選手になった。


ルイジアナ大学時代の知り合い、マーフィーがアラバマ大学ソフト部監督になり、ハベッツをコーチに招聘。以来、25年間、務めた。




ところが、昨シーズン、母親の介護を理由に、アラバマ大学助監督を引退し、ルイジアナに帰った。


オイラ、英語はあまり聞き取れないが、読むのはできる。ザ、昭和の受験英語。だから、記者会見の記事を読んだ。それによると。


ハベッツは、母親の介護でルイジアナに戻り、家で母親の世話をする日々。そんなとき、ルイジアナ大学から電話が入った。「グラスコ監督がテキサステック監督になる。あなたに後任監督になってほしい」。



グラスコ監督は7年間務めた。


監督就任要請に、ハベッツは、母親の介護がある、と断り続けた。ルイジアナ大学は、次から次に使者を出し、ハベッツを口説いた。そこは母校、ハベッツの知り合いだらけ。


親戚も、母親の介護を手伝う、と言ってくれた。なにより、母親が背中を押した。




「あなたが監督になったら、毎試合、応援に行くから」。ハベッツファミリーにとって、昔からハベッツのスポーツ応援が元気の源。ハベッツの祖母は、ハベッツの応援で長生きできたらしい。


ハベッツは、これは天命、キリスト様のお告げ、と判断。監督就任を引き受けた。







母親とソフト部時代の監督。


母校愛、ハベッツ愛が溢れた記者会見。みんな、ハベッツを学生時代から知っている。記者も。


ハベッツによると、7年前にグラスコ監督が就任する前、ルイジアナ大学から監督就任要請があったらしい。しかし、そのときはアラバマ大学から離れることはできなかった。


それもずっと、ハベッツのアタマの中にあった。故郷ルイジアナのために生きていない、と。オイラの知る限り、ルイジアナ州民はルイジアナ愛が強い。


しかし、7年間監督だったグラスコ監督の移籍で、ルイジアナ大学の選手は、相次いで移籍ポータルに登録した。アメリカあるある。監督辞めれば、みな、移籍する。


ハベッツ新監督、来シーズンは厳しい戦いになりそう。