今日、職場で午後2時46分に黙祷をしました。
4年前。
娘は、中学校の卒業式を2日前に済ませ、一人で家に居た。前日に、第一志望の高校の合格発表があり、夢叶わずにそのまま私立高校への入学手続きも完了していたので、予備校の体験学習に行くこともなく、のんびりと過ごしてた。
息子は、小学校の卒業式を一週間後に控え、校庭で飼育している動物の観察をしていたようだ。ものすごい揺れに、担任の先生は座り込みながら、避難を指示してようだが、声が通らずに息子が変わりに
「校庭の真ん中に向かって走れ!」と、大声で叫んだようだ。
後日、卒業式が済んだ後に、先生から感謝の言葉を頂いた。
私は、商社に勤務していたので、営業マンも出払った事務所でひとり、キャスター付きの椅子から転げながら、キャビネットが倒れブリンターを破壊する中、娘の携帯に連絡をしていた。運よく繋がり、無事の確認が取れたので、早々に残務処理とコピー機の電源を切り、本社へ電話し営業マンとのコンタクトを試み、施錠して帰宅を急いだ。
事務所のあるビルの高層階のガラスは割れ落ち、歩道に破片が飛び散っており、交差点は液状化現象で、池と化していた…
道路もひび割れ、段差は大きなところでは20センチ以上にもなり、通常は車で20分も掛からない道のりを、約1時間かけての帰宅になった。
家に着くと、子供たちは庭にレオンを抱いて立っていた。家の中は、いろんな物が落ちて怖くて居られなかったという。
すぐにカセットコンロとランタンを出し、片っ端から片付けにかかった。明るいうちに安全を確保するために…
玄関に置かれた、ガラス製の温度計は割れ落ち、石油系の匂いで充満していた。
洗面ボールの中は、棚の上に置かれてたムースやスプレーなどでいっぱいになっていた。
神棚からは、榊を入れてある瓶が落ち、水がこぼれていた。近くにパソコンを置いてあり、地震で揺れ始めた時、娘はそこでネットサーフィンをしていたが、すぐに避けて難を逃れたと、後に聞いた時は鳥肌がたったのを覚えている。
夫の職場までは、30キロ近くある。仕事の関係上、おそらく帰っては来れないだろうと思っていた。流石に車での帰宅は諦め、職場の方のご厚意で、自転車を借りて2時間半かけて、無事に帰ってきた。
電気も水道も止まった状態で過ごした一夜。みんなでリビングでランタンをつけながら、ウトウトして12時過ぎくらいに余震もおさまった感もあり、それぞれの部屋で眠りについた…地震発生から約10時間。長い一日が終わった。
何気ない日常、当たり前の日々。
家族の健康、一緒に過ごせる楽しさ。
一瞬にして、何もかもを奪い去ってしまった大地震と津波。
大切に一日一日を生きよう。
精一杯、悔いのない人生を送らなければ、生きたくても生きられなかった方々に失礼だから…
東日本大震災で亡くなった方々へ、ここにご冥福をお祈り申し上げます。