檻の中の動物は近くにいるようで近くない。
私は小さい頃動物園に行ったとき思ったものです。
テレビで見るのと動物園で見るのは、大差ないと。
直接見ても、触れなければブラウン管でみるのとは変わりません。
(今は液晶ですね)
だから、動物園に行ってもそんなに感動しなかったです。
象をみても、麒麟を見ても。
パンダを見たときも。
全く感動しませんでした。
どこか遠くにいる存在のようで。
しかし、初めてウサギを触ったときは感動しました。
猫や犬、鶏を初めて触ったときも感動しました。
いくら珍しい動物でも、触れてみないと感動しません。
逆に、そこら辺にいる動物でも触れてみると意外と感動するものです。
私はそうでした。
つくづく嫌な子供ですね。
周りの人たちは初めて見る動物に感動していると言うのに。
一人だけ冷めているなんて・・・。
政治家についても同じように感じられます。
檻の外から出なければ、政治家は何時までも遠い存在。
一般国民が政治家に触れる機会と言うのは、選挙のときぐらいしかありません。
この人はどういう人か?と言うのを知る機会は限られています。
本当に信頼できる人かどうかは、直接触れ合ってこそ解るものです。
一回や二回ではなく。
何度も、何度も・・・。
しかし、その触れ合う機会と言うのはほんの数回。
私に至っては、政治家と触れ合ったことなんて、今まで一回もありません。
私の家族もそうです。
ややもすると、政治家と触れ合うことなく一生を終える人も出てくるのではないのでしょうか?
私の祖父や祖母がそうですね。
しかし、本当にそれでいいのでしょうか?
政治家と触れ合って初めて見えてくるものもあります。
その人の人となりと言うのを知らなくては、国民生活は任せられません。
地元の有権者の人と、密に触れ合ってこそ得られるものがあるのではないですか?
唯でさえ国民生活とは乖離した世界に住んでいます。
後援会との会合も、秘書を行かせるだけで済ませる議員もいるみたいです。
それで、国民生活を議論することはできるのでしょうか?
もっと広く有権者と触れ合い、語り合うことが必要です。
そうすれば国民生活が見えてきます。
選挙のときではなく、当選した後こそ触れ合うことが大事です。
当選したら、有権者は用無しですか。
選挙のときだけ謙り、当選したら片手団扇。
傲慢だと謗られても仕方がないですね。
言い直してみれば、選挙ののときだけ檻の外に出て、選挙が終わったら檻の中に戻る。
檻の中にいる動物は餌のとり方を忘れるという話を聞いたことがあります。
同じように政治家も檻の中にいたら、国民生活を忘れてしまいます。
常に檻の外にいる必要があります。
選挙のときだけ、親しさをアピールするのは欺瞞でしかありません。
票を貰う為の演技です。
本当に親しさをアピールするのなら、国会が閉会したら地元に戻り広く有権者と語り合っていただきたい。
触れ合っていただきたい。
自分の選挙区内で、様々な会合を開いていただきたいです。
少なくとも私の選挙区内では、そういう会合が開かれたと言う話は聞きません。
総理や閣僚、各党の代表者に至っては、年に一回でいいですから、地方に足を運んでいただきたい。
秘書ではなく本人に来てもらいたいですね。
特に総理や野党第一党の代表。
そして、地元の人と触れ合ってもらいたい。
国民生活に根ざした政策を打ち出すことが可能ではないでしょうか?
政治離れが進んでいると言いますが、今まで政治に関係する人と触れ合う機会がなかったのです。
檻の中にいる政治家を、外から国民が眺めているだけ。
残念ながら、それが今の日本の現状です。
それでは、余計に政治と言うものが遠く感じられるでしょう。
興味を持てといっても、少し無理があります。
国民と広く触れ合うと言うのは、国民にとっても政治家にとっても利になります。
少々大変でしょうが、それが国民の代表者たる政治家の使命のひとつだと思います。
政治家というのは、偉い様で偉くない。
国民なしでは成り立たない職業であることを、心に刻んでもらいたいですね。
その上で、広く有権者の声を聞くことがこの国を良くするために必要なことだと思います。
初心忘るるべからず。
初心を忘れた政治家は最早政治家ではありません。
政治屋でしかありません。
日本国にとっては、害しかもたらさない存在です。
そして、檻の中のパンダより、檻の外のウサギになってもらいたいものです。
司馬法・尉繚子・李衛公問対 (全訳「武経七書」)/守屋 洋

¥2,940
Amazon.co.jp
私は小さい頃動物園に行ったとき思ったものです。
テレビで見るのと動物園で見るのは、大差ないと。
直接見ても、触れなければブラウン管でみるのとは変わりません。
(今は液晶ですね)
だから、動物園に行ってもそんなに感動しなかったです。
象をみても、麒麟を見ても。
パンダを見たときも。
全く感動しませんでした。
どこか遠くにいる存在のようで。
しかし、初めてウサギを触ったときは感動しました。
猫や犬、鶏を初めて触ったときも感動しました。
いくら珍しい動物でも、触れてみないと感動しません。
逆に、そこら辺にいる動物でも触れてみると意外と感動するものです。
私はそうでした。
つくづく嫌な子供ですね。
周りの人たちは初めて見る動物に感動していると言うのに。
一人だけ冷めているなんて・・・。
政治家についても同じように感じられます。
檻の外から出なければ、政治家は何時までも遠い存在。
一般国民が政治家に触れる機会と言うのは、選挙のときぐらいしかありません。
この人はどういう人か?と言うのを知る機会は限られています。
本当に信頼できる人かどうかは、直接触れ合ってこそ解るものです。
一回や二回ではなく。
何度も、何度も・・・。
しかし、その触れ合う機会と言うのはほんの数回。
私に至っては、政治家と触れ合ったことなんて、今まで一回もありません。
私の家族もそうです。
ややもすると、政治家と触れ合うことなく一生を終える人も出てくるのではないのでしょうか?
私の祖父や祖母がそうですね。
しかし、本当にそれでいいのでしょうか?
政治家と触れ合って初めて見えてくるものもあります。
その人の人となりと言うのを知らなくては、国民生活は任せられません。
地元の有権者の人と、密に触れ合ってこそ得られるものがあるのではないですか?
唯でさえ国民生活とは乖離した世界に住んでいます。
後援会との会合も、秘書を行かせるだけで済ませる議員もいるみたいです。
それで、国民生活を議論することはできるのでしょうか?
もっと広く有権者と触れ合い、語り合うことが必要です。
そうすれば国民生活が見えてきます。
選挙のときではなく、当選した後こそ触れ合うことが大事です。
当選したら、有権者は用無しですか。
選挙のときだけ謙り、当選したら片手団扇。
傲慢だと謗られても仕方がないですね。
言い直してみれば、選挙ののときだけ檻の外に出て、選挙が終わったら檻の中に戻る。
檻の中にいる動物は餌のとり方を忘れるという話を聞いたことがあります。
同じように政治家も檻の中にいたら、国民生活を忘れてしまいます。
常に檻の外にいる必要があります。
選挙のときだけ、親しさをアピールするのは欺瞞でしかありません。
票を貰う為の演技です。
本当に親しさをアピールするのなら、国会が閉会したら地元に戻り広く有権者と語り合っていただきたい。
触れ合っていただきたい。
自分の選挙区内で、様々な会合を開いていただきたいです。
少なくとも私の選挙区内では、そういう会合が開かれたと言う話は聞きません。
総理や閣僚、各党の代表者に至っては、年に一回でいいですから、地方に足を運んでいただきたい。
秘書ではなく本人に来てもらいたいですね。
特に総理や野党第一党の代表。
そして、地元の人と触れ合ってもらいたい。
国民生活に根ざした政策を打ち出すことが可能ではないでしょうか?
政治離れが進んでいると言いますが、今まで政治に関係する人と触れ合う機会がなかったのです。
檻の中にいる政治家を、外から国民が眺めているだけ。
残念ながら、それが今の日本の現状です。
それでは、余計に政治と言うものが遠く感じられるでしょう。
興味を持てといっても、少し無理があります。
国民と広く触れ合うと言うのは、国民にとっても政治家にとっても利になります。
少々大変でしょうが、それが国民の代表者たる政治家の使命のひとつだと思います。
政治家というのは、偉い様で偉くない。
国民なしでは成り立たない職業であることを、心に刻んでもらいたいですね。
その上で、広く有権者の声を聞くことがこの国を良くするために必要なことだと思います。
初心忘るるべからず。
初心を忘れた政治家は最早政治家ではありません。
政治屋でしかありません。
日本国にとっては、害しかもたらさない存在です。
そして、檻の中のパンダより、檻の外のウサギになってもらいたいものです。
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