同期会 | 社員ブログ|EVERYDAY成長!&感動!ソフトコミュニケーションズアワー!

同期会


石村です。

先日、私が大学卒業後入社した某メーカー勤務時代の仲間が集った

「同期会」

が開催された。

今回は、銀座に集まれるほんの一部だったものの懐かしい時間を過ごす事が
できました。

思い返せば、19年前・・・。
歳をとりました・・・

当時はバブルが崩壊して

「就職氷河期」と言われていた時代。

大卒の就職率も70%をきっていたように思います。

たった数年前は超売り手市場と呼ばれていたのに・・・

そんな背景をもろともせずに、そこに集まった同期入社の仲間は
文系・理系合わせて総勢80人。

まさしく

「同じ釜の飯を食った」

友人以上家族未満の同志です。

我が同志

1994年3月31日。

同期のうち、約40人近くが富山県の某所に集結。

そこで入寮生活を送る事になります。

全国から集まった有志達を待ち受けていたのは、

「6畳一間に二人ずつ」

の共同生活。

それぞれがまだ素性も知らない奴といきなり共同生活が始まりました。

もちろん、与えられたのは部屋だけ。

共同トイレ、共同風呂。

唯一安らげる場所はトイレの中・・・。

いきなり遊び心とはお別れです・・・。


私は、文系上がりの営業職採用。

当時流行っていたCMは

「24時間闘えますか?」でおなじみのリゲイン。

かっこいいスーツを着て、地下鉄を乗り継ぎながら疾走する
ビジネスマンを想像して入社したにも関わらす、

与えられたのは、

「作業服と安全靴とエアードリル」

工場研修の名のもとに、4月1日から私達は組立1課、2課などに配属。

新調したスーツを着たのは入社式のみ。

そして見知らぬ土地で団体生活。どこへ行くのも一緒。
何をするのも一緒。

当時この工場研修は人事部から3ヶ月と言われいましたが、

結果一年間もの間、この生活を続けました。

毎朝、

6:30 起床

7:00 だだっ広い寒々しい食堂で冷えきった朝食

7:30 バスに乗り込み工場へ

8:00 作業開始

17:00 終業

17:15 バスに乗り込み寮へ

17:30 だだっ広い食堂で冷え切った夕食

18:00 部屋に戻り共同生活

これを延々と一年間・・・。

皆が口々に

「こんなの牢●生活」

と当時は言っていました。

時にある奴は、部屋のベランダから大声で

「ここから出せ!!俺は●●じゃねえ!!」

と吠えたたぎり・・・

ある奴は人事部に談判し、

「生活環境を改善してくれ!!」

と懇願したり。。。

徐々に疲れきっていき・・・。

叶えられたのは、

夏を迎える頃にやっと認められた

「マイカー持ち込み」だけ。

富山県では車がないと行動範囲すら広がらない。

休日になっても、行くところと言えば、歩いて行ける

「ホームセンター」程度・・・

皆が車やバイクのありがたみを実感・・・


富山は雪が降る場所。

関東からやってきた面々は冬場、雪になると憂鬱になり。。。

いつのまにやら部屋にこもり・・・

本当に、本当に濃密な1年間を過ごしてきました。

こうした経験を経て、全国に散らばっていった私達。

喜怒哀楽を共にし、互いに助け合いながら成長し、
気付けば心の底から仲間となって、

最後の別れで固い握手をした仲間達。。。

19年経った今、久々に再開して交わすのは、

当時の昔話以上に、

「あの経験が現在の糧になっていること」

そして、

「今も変わらず同志であること」

働く場所、環境は変われど、思いは一つです。

私も彼らに本当に救われ、教わり、成長させてもらったと感謝しています。

そしていざとなったら、間違いなく力になりたいと改めて思える同志達でした。

「もう一度あの時に戻りたいか?」

と問われれば、全員が

「NO」

ですが、

その経験、時間を共にした仲間と出会えた事には、同じく全員が

「本当に良かった」

と答えます。

20年近くたった今も、集まれば基本は昔のまま。

本当に久々の再開に楽しい時間を過ごしました。

本当にみんなありがとう!

そして今でも変わらず頑張っていて、どこかトンガっていて、
ちょっと皆生意気で・・・。

最高です!

今回は5人でしたが、この輪を徐々に広げていこうと約束しました。

同志の輪を広げる活動を始めます・・・。

全国から集まって、もっと大きな会をしたいと思いました。

友人でもない、家族でもない、同志の輪を・・・。

お互い頑張りましょう!