私が逃したチャンスは大きなものでし
た。
さてどんな大きな魚を逃してしまった
のでしょうか、ご覧下さい。
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■平成12年(その2)
■編集後記
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■平成12年(その2)
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平成12年を続けることにしましょう。
過去最高の成績を収めることになる、
南アフリカで開催される第10回世界
選手権ですが、西村コーチ兼任選手を
含め9名の選手の他に、杉本さんがこ
の選手団にマネージャーとして同行し
ています。
私もオーナーから1回だけ、
「お前も行くか?」
と聞かれましたが、遠いし、治安も良
くないと聞いていましたし、選手団と
してはトレーナーも同行していました
ので、
「行けません。」
と答えたら、それっきりでした(笑)
行ってみたら宿舎が体育館みたいなと
ころで、大変だったとかということは
あったみたいですが、世界で2位とい
う、今後もなかなか出来ない好成績の
大会になりましたので、無理してでも
行っておけばよかったかなと、今にな
ると思いますね。
典型的な
「後悔先に立たず。」
のお話です。
これも私の運のなさということでしょ
う。
7月1日に関西国際空港から香港を経
由して南アフリカに入った日本チーム
は、現地で練習試合を5試合行って全
勝とまずまずの仕上がりで本番を迎え
ることになりました。
ところが始まった本戦の初戦ベネズエ
ラ戦で、チャンスはあったものの決定
打が出ず、延長9回0-0でタイブレ
ークに入り、0-1で敗れてしまいま
す。
16奪三振の西村投手を見殺しという
ことになってしまいました。
第2戦の相手は台湾でした。
この試合の先発は大木投手、打線も闘
犬センター勢の活躍もあって5-0と
完勝して、初勝利を挙げています。
第3戦はドミニカでした。ピッチャー
は宮平、馬場両投手の継投、打線は5
回に一気に6点を奪う集中力で、6-
2で勝利します。
4日目は2試合でした。
第4戦のオーストラリアに対し、西村
大木の闘犬センターの継投で、失点は
大木投手の1失点のみ。
打線も闘犬センター勢の好調な打撃で
5得点を挙げて、5-1で勝利します。
続く第5戦のボツワナ戦も飯田、天野
両投手の継投で5-0で完封していま
す。
この時点で混戦模様になったB組では、
日本が1位通過する可能性も出てきま
した。
翌日の第6戦の相手はオランダでした。
馬場、天野、飯田の3投手の継投で臨
んだこの試合は、先制を許したものの
好調な打線が9点を取ってくれて、9
-2で完勝して、予選通過を決めます。
予選リーグ最終戦は強敵のカナダ戦で
した。
さすが前大会の優勝国のカナダです。
苦戦はしましたが西村投手が本領を発
揮して、カナダ打線を抑えこみ、5回
から登板した宮平投手と二人で失点0
としました。
打線も6回1点を挙げて結果は1-0
の完封勝利、通算成績を6勝1敗とし
てB組2位で決勝ラウンドに進むことに
なりました。
この決勝ラウンドに何位で上がるかが、
最終成績に大きく影響してきます。
1位もしくは2位で決勝ラウンドに残
るのと、3位、4位で決勝ラウンドに
残るのでは、1位、2位の方が圧倒的
に有利になるシステムなんですね。
この2位通過がこの後の成績に繋がっ
たと言っても過言ではありません。
さて始まった決勝ラウンドでは、第1
戦でA組1位通過のニュージーランド
と対戦して、岡本のホームランで挙げ
た1点を、西村、天野、飯田の継投で
完封し、1-0で勝利します。
続く第2戦のアメリカ戦も相手のミス
で挙げた1点と山崎(泰)のタイムリ
ーでの合計2点を、宮平、大木の二人
で守りきり、2-0で勝ち上がります。
この時点で日本の「銀メダル」以上が
確定します。
日本が一つの大会で「世界の3強」
(アメリカ・カナダ・ニュージーラン
ド)に勝ったのは初めてと新聞には紹
介されていますが、こんなことを想像
した人間もいなかったというのが本音
じゃないでしょうか。
この大会の日本の勢いを感じさせる、
決勝ラウンドの戦いでした。
「金メダル」を狙った決勝戦の相手は
やはり、A組1位のニュージーランドが
勝ち上がってきました。
しかし1回勝っている日本チームは、
もうその名前に気後れすることはあ
りませんでした。
3回に1点先制した日本でしたが、4
回に西村投手がホームランを打たれて
同点とされます。
最後は西村投手を救援した飯田投手が
7回に決勝点を与えてしまって、結局
1-2で逆転負け、打線も相手投手に
1安打、17三振とやられてしまいま
した。
本気のニュージーランドはやっぱり強
いといったところですが、このニュー
ジーランドを含め、世界の強豪に対し
堂々と渡り合い、本気にさせたこの時
の日本チームは強かったということで
しょう。
これで過去最高の「準優勝」という成
績を持って日本に帰国することになり
ました。
主将を務めた岡本選手は、
「3強以外もレベルが高かった中、前
回より順位を上げられた。。」
「もちろんうれしいが、ここまで来た
ら1番を取りたかった。残念な気持
ちが先に立つ。」
「この悔しさを糧に次は優勝を狙うが
うちの若い選手には自信になった。」
「この経験をもとに高知国体でも種目
別優勝を果たしたい。」
と語っています。
帰国した選手団は高知に帰り、成績報
告のために高知新聞を訪問しています。
そこで岡本選手は
「金メダルが欲しかったが、打つほう
がいまひとつ。」
と語っていますし、西村選手は
「オールジャパン、イコール闘犬セン
ターだから責任は重かった。」
と準優勝にホッとした気持を語ってい
ます。
そして、
「2年後の高知国体まで、ずっと優勝
を続けたい。」
と力強く締めくくっていまっす。
こも頃には何でも高知国体の話題にし
ようとする力が働くようになっていま
した。
それは当然オーナーの強い意向があり
ました。
これで世界選手権は全て終わり、日本
国内での戦いに戻ります。
こうやって振り返ってみると、何で行
かなかったのかなって気持が、どんど
ん湧き上がってきますね。
本当に残念です。
今日はここまでにしますね。
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世界で2位なんてすごいでしょう。
もしこれがオリンピックでの、
「銀メダル」
ということであれば、1日にして世の中
が変わったというこらいの出来事になっ
ているのでしょうけど、これが男子のソ
フトボールということで、世間的にはほ
とんど話題にもならないのが、残念です
ね。
それでもこの結果は、誇らしい結果でし
た。
岡本主将のコメントも立派ですね(笑)
