子どもの頃、父親がかいた胡坐の上によく座っていた。

父が好きで、どこでも、何にでもついていった。

ゴルフ練習場で、炭酸ジュースが苦手なのにそれしかなく、そのジュースにつられるふりをしながらついていった。

無口な父は、あまりしゃべることもなく、歩いているときは黙ってさっさと行ってしまい、その後を小走りでついていっていた。

小学生の4年生の終わり頃、出かけた先で、少し疲れもあった私は、父がいつものようにさっさと歩く後姿を見て、「どこ行くんだろ、なんでこんなに急いでいるんだろう、疲れた、歩く」

と父に対して、ちょっと不満が芽生えて、タラタラ歩いた。

父は、大分先に行った後に、振り返って、少し驚いたような不思議そうな顔をした。

初めて、娘が自分について来なかったものだから、どまどったのだろう。

さびしそうな顔も一瞬みせたが、黙ってその場に立って私が追いつくのを待っていた。

その短い時間の出来事から、私の思春期が始まったような気がする。

父の胡坐には座らなくなり、一緒にお風呂にも入らなくなった。

急速に自我が強くなっていった。

親離れの象徴のように、霞がかかったように記憶が薄れつつある小学生時代のなかで、くっきりと思い出せる。

切ない気持ちとともに。