神戸が舞台ということもあるが、私が幼いころは戦後の名残が町並みや生活全般の至る所に残っていたし、頭の片隅にある忘れかけている大切なものを引っ張り出せるような気がするのだ。

日頃、置き去りにしている何か大事な物。
日常に使う道具などもそうだが、「教え」というか「ものの考え方」というか何か言葉では表せない大事な物が引っかかっているのだ。

そして、粗製濫造、大量消費、大量廃棄の止める事ができない世間の流れに一つの小石を投げるような、そんな期待があるのだ。

私の住んでいた六甲の下街には、神戸製鋼だったと思うが、社員寮があった。
コロニアル風の建物で、玄関入ったところのホールの床は、黒白の市松模様の大理石風のタイル貼りで、建物の周囲がテラスになっており、真ん中がやや膨らんだ柱で支えられる石細工の手すりがついていた。

おそらく進駐軍の社交クラブを払い下げたものと聞いたことがあるが、何となく懐かしい。

懐古主義に浸るために見たいのでは決して無いが、忘れかけている、何かが頭の片隅から引きずり出せた瞬間、現実の呪縛から開放されそうな、そんな気がする。

日本の映画を見たいと思ったのは、「おくりびと」「剣岳」以来だ。

果たして呪縛から開放されるのか、単に現実逃避をしたいためのノスタルジーなのか、自分でも見るまで答えは出ないだろう。