ニュースな歴史館:古代の北朝鮮は進んでいた
毎日小学生新聞 2012年04月13日

 東京芸術大学のチームが2月、北朝鮮にある世界文化遺産「高句麗古墳群」の古墳の壁画を独自のデジタル技術を使って、世界で初めて原寸大で復元したというニュースがありました。

北朝鮮と言えば、「人工衛星」と言いながら実際は軍事ミサイルの実験を行うのではないか……と疑われている怪しい国のイメージがあります。しかし、こうした不可思議な国になったのは第二次世界大戦後のこと。
しかも、日本の戦前の支配も原因の一つでした。紀元3~5世紀ごろに全盛を迎えた「高句麗王朝」のころは、日本よりもはるかに進んだ文明国家があり、仏教などの宗教、学問の中には当時、高句麗を経へて中国から伝えられたものもあります。

復元された壁画は、切手などでも知られる飛鳥時代の高松塚古墳(奈良県明日香村)の美しい壁画とそっくりなのが分かるでしょう。当時の日本は高句麗の美しい文明をそのまま、コピペしながら輸入し、やがて独自の文化を生み出していったのです。【森忠彦】
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先ずね、日本には古潭や熊曾などの固有のインディアン(原住民)が住んでいたのです。(笑)
台湾の高砂族の衣装とも共通性があり、縦に長い日本は自然と共生する人々で素晴らしい国でした。

それを朝鮮族が島を支配するために、太古の日本に自分たちの文化を押し付けました。
文明としては短い期間で見ればそれはそれで良いのですが、長い目で見た時に、
自然破壊、戦や戦いなど人と争い、略奪する文化となってしまったのです。

それは、朝鮮族が流れてきたその日から日本の崩壊が始まった事の証です。

第二次世界大戦前後の近代の話と、高句麗の時代の話をくっつけるなんて愚の骨頂。
それまで、百済、新羅、みなま等の多くの国柄に略奪を通じて変遷していったのが現代の朝鮮であり、もともとどの国がどのような文化の流れなのかなんて厳密に研究されていない。

それなのに、いきなり第二次世界大戦と日本の統治でおかしくなっただと?
アホと違うか?
元寇の時代、日本を征服しようとしてモンゴルに統治された朝鮮軍が自ら何度も神風により失敗しただけじゃないの。

そりゃあ、朝鮮王宮の真正面に日本は総督府という馬鹿でかい建物を立てて権力を誇示したり、横暴だったかもしれない。

しかし台湾などは巧く日本と交流できた。
この違いは何だ?

この浅はかな文章を書く押し紙新聞紙と執筆者などに子供を洗脳させる訳にはいかない。
まあ、マクドナルドに洗脳されているお母さんは無理だろうけどね。(笑)

もちろん、こんな新聞紙、それほどの時間を要せずグループの放送局ごと消え失せるだろう。